映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

映画『ロジェの復讐』 監督:アンドレ・カイヤット (1946年 フランス)

2020年12月07日 03時07分30秒 | アンドレ・カイヤット
映画『ロジェの復讐』 (1946年 フランス)

監督:アンドレ・カイヤット ANDRE CAYATTE
PRISES DE VUES DE ARMAND THIRARD
DECORS DE JACOUSES COLOMBIER
DIECTEUR DE PRODUCTION ROBERT LAVALLEE

出演者
LUCIEN COEDEL
PAUL BERNARD
MARIA CASARES
LOUIS SALOU
JEAN TISSIER
JEAN DESAILLY
CABRIELLO
RELLYS

SIMONL VALERE
PAULETTE DUBOST

日本未公開作品

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実業家ロジェ・ラロックは
家族と幸せに暮らしていたが
ジェルビエのせいで突然事業の危機に
ラロックの発明した
世界初の水蒸気自動車を認めず、借金返済を要求
それは倒産を意味する
返済日にジェルビエは殺され
返金したはずの札を持っていたラロックは殺人容疑で逮捕
確かなアリバイはあったが
事件当時彼は愛人ジュリアノ・ノワヴィルの元に
夫が親友であるため彼女を巻き込まないように黙秘
窓から夫が殺人を犯す場面を娘と見ていたラロックの妻は
判決の日に死亡
ラロックには有利になるのか
真犯人のド・ルヴェルソンは
ラロックの愛人ジュリアの手紙を
夫で容疑屋の弁護士ノワヴィルに提出
彼はラロックの無罪弁護の直前にショック死
ラロックは強制労働の刑となった
収容所への道中に脱走し死亡説が
彼は子供を預けた使用人のもとに戻り
クリスマスの夜の自分は無実だと主張
そして娘を連れて運命の旅に出た

12年後、カナダ.....映画の始まり
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10枚1800円で文句を言っても仕方がないかも知れませんが、それでもやっぱり、かなり酷い訳と言うべきでしょうか.....
観ていても何がなんだかさっぱり分りません.
まあ、それほど重要ではないと言うか、簡単に言ってしまえば、ラロックは冤罪で有罪になったが、護送中に脱走してカナダへ逃げ、そしてカナダで事業に成功した後、娘が二十一歳になった時真犯人に復讐するために、娘と共に再びフランスへ戻って来た.....映画の始まり、こんな感じです.

少し手を加えてみます.
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実業家ロジェ・ラロックは家族と幸せに暮らしていたが、出資者のジェルビエのせいで突然事業の危機に陥ってしまった.
ジェルビエはラロックの発明した世界初の水蒸気自動車を認めず、借金返済を要求した.その行為は倒産を意味するものであったが、ラロックは借金返済を決意した.けれども、返済日にジェルビエは殺されてしまったのだった.
返金したはずの札を持っていたラロックは殺人容疑で逮捕された.彼には確かなアリバイはあった.が、事件当時彼は愛人ジュリアノ・ノワヴィルの元に居たのだった.彼女の夫とラロックは親友であったので、彼は彼女を巻き込まないように黙秘した.
窓から夫が殺人の場面を娘と見ていたラロックの妻は、夫が殺人を犯したと思い込んだまま判決の日に死亡してしまった.
ラロックに有利にするつもりだったのか、真犯人のド・ルヴェルソンはラロックの愛人ジュリアの手紙を、彼女の夫で容疑屋の弁護士ノワヴィルに提出したのだった.けれどもそのノワヴィルも、ラロックの無罪弁護の直前にショック死してしまった.
結局ラロックは強制労働の刑となった.
彼は収容所へ護送中に脱走し死亡説が流れたのだった.
彼は子供を預けた使用人のもとに戻り、クリスマスの夜の自分は無実だと主張言い残し、そして娘を連れて運命の旅に出た.

12年後、カナダ.....映画の始まり
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続く

火の接吻 (アンドレ・カイヤット)

2016年05月19日 16時04分47秒 | アンドレ・カイヤット
『火の接吻』
公開 1950年 107分
監督 アンドレ・カイヤット
脚本 ジャック・プレヴェール
撮影 アンリ・アルカン

出演 セルジュ・レジアニ (アンジェロ)
   アヌーク・エーメ (ジョルジア)
   マルティーヌ・キャロル (ベッティナ)
   ピエール・ブラッスール (ラファエル)
   ルイ・サルー
   マルセル・ダリオ
   シャルル・ブラヴェット




ロミオとジュリエットの映画撮影、ロミオの代役アンジェロとジュリエットの代役のジョルジアが、撮影中にバルコニーで出会い互いに一目惚れをして愛し合ってしまう.あたかもロミオとジュリエットの物語のように、純真な愛が二人にあるように想えるのだけれど、本当にそうなのか.




女優のベッティナとアンジェロ
「幸せ?」
「どういう意味?」
「恋をしてるかい、真剣な愛じゃなくていい.....ただの恋さ」

アンジェロはベッティナを口説こうと果敢に話しかけ、年配の映画制作者の男の女らしいベッティナは、若いアンジェロに心を惹かれるものがあったようだ.
アンジェロはベッティナを口説くことを職場仲間達との賭にして、撮影スタジオに出かけていったのだが、彼は、代役のジョルジアに一目惚れしてしまった.所詮はいい加減な男だった.




波止場の花売り娘、クリオ
波止場でベッティナに手を振るアンジェロに、クリオは話しかける.
「美人ね」
「妬けるか」
「女なら誰だって」
「年頃のせいだからさ」
「そうかしら」
「どうした」
「別に」
「寂しそうな目だ」
「悩みのタネがあそこに、妊娠したの」
「まさか」
「あなたのじゃないわ」、クリオは正直に告白した.
「確かなのか?」
「そうならよかったのに」、クリオはアンジェロとの結婚を望んでいた.
「そんなことはない、ガラス職人は病弱だ」、アンジェロは相手によって自分の都合に合わせ、言うことがころっと変わる男.
「相手は?」
「歌にあるわ」
「耳飾りのため、一片のパンのため、家族を養うために仕方なく、アメリカ人に心の太陽を売った」
「家を追い出されたの」
「やむを得ない.どうする気だ.うちに来いよ」、こう言われても、クリオは一度は拒んだのだった.
「そうか、2、3日考えろ.愛してる」、この言葉は、結婚を決意してから来いと、クリオには受け取られたはず.
「私もよ、優しいのね.まるで兄さんみたい」、決意したクリオだったのだが.....






ジョルジアとアンジェロ (ベローナの河で)
「前に好きな人いた?」
「いや、ふりをしたことはある.好きだと言って」
「なぜ」
「喜ばせたくて」、アンジェロは相手を喜ばせるために、いい加減なことを言う男だった.
「私にもそうなの?」、この言葉は、自分がそうでなければ良い、と言う意味なのか?.
「君は違う」、相手を喜ばせるために嘘を言うことが悪いことだとは、二人共考えなかったようだ.
「愛してる.君こそ恋人は?」
「誰も.でも婚約者が」
「婚約者?」
「誰だ」
「いいじゃない」
「若い男か」
「まあね」
「仕事は」
「自分で」
「結婚は?」
「もちろん.....家族が決めたの」












クリオとアンジェロ (ムラノ島のアンジェロの家)
アンジェロはベローナから家に帰ってきた.花売り娘のクリオは仕事の支度をしていた.
「クリオ」
「ベローナは美しかった?」
「とても」
「心配してたの、昨夜、男が二人来たわ」
「会ったよ、心配ない.嫌な思いを?」
「いいえ」
「今日、誰か来た?」
「ううん」
「何か?」
「別に」
「ここが嫌いか?」
「いえ、あなたがいなくて寂しいだけ.でも、戻っても同じ」、ここまで言っても分らない男だったらしい.
「なぜ?」
「私はあなたの妹?」
「クリオ」
「クリオ、クリオって名前を呼ぶだけ」
「仕事場へ行く.賭に負けてワインをおごらされる.誰か来るかもしれない」
「誰かって女ね.愛してるの?」
「とても、こんなの初めてだ」、全くクリオの気持ちを考えないで、自分のことだけを言っている.
アンジェロは女優のベッティナを口説くという賭に負け、酒樽を持って仕事場へでかけた.





クリオとジョルジア
アンジェロとすれ違いに、ジョルジアはムラノ島のアンジェロの家を尋ねてやって来た.
「今日は」
「何の用?」
「アンジェロの家?」
「そうよ」
「彼は?」
「今頃、映画の撮影中よ、ベローナで」
「知ってる」
「一緒だったの?」
「ええ」
「彼はお兄さん?」
「いいえ」
「そうね、聞いてないわ」、妹でなかったら、なんだと思ったのだろうか?.
「戻ります?」
「気になる?」
「ええ、姿を見せないから.戻ったら、一晩中スタジオにいるって伝えて」
「これを、メモよ」
「渡しておくわ」

ジョルジアはクリオに伝言を頼み、そして書き置きを渡したのだが.
「これを伝えに、鞄まで持って?」、クリオは帰りかけたジョルジアに言った.ジョルジアは振り向いたが、黙って帰っていってしまった.
クリオはメモを破り捨てた.





召使のレティシアはアンジェロを殺害する悪巧みを抱いてやって来た.レティシアが去った後で、アンジェロはクリオの姿を見かけたので、「クリオ、夕食を一緒に」と声をかけたのだが、クリオは黙って行ってしまった.
この時クリオがジョルジアが尋ねてきたことを伝えていれば、悲劇は起きなかったのである.レティシアはジョルジアが監禁されていると嘘を言ったので、ジョルジアが尋ねてきたことさえ分れば、騙されることは無かったのであるが.けれどもクリオは何も言わず行ってしまった.

クリオは『あなたの子供ではない』と、自分にとって都合の悪い事実を、正直に言った素直な女の子だった.『あなたの子供よ』と言って騙すような女の子では無かったのだ.けれども、アンジェロはクリオの気持ちを全くと言ってよいほど理解しようとしなかった.
そして、ジョルジアもまたクリオの気持ちを考えたかどうか?.
「これを伝えに、鞄まで持って?」、クリオにこう言われて、ジョルジアは何も言わずに帰ってしまったのだが、なぜ一言、何か言うことが出来なかったのか.
『あなたは鞄を持って、この家で暮すつもりで来たのでしょう?』、クリオはこう聞いたのだ.
『ごめんなさい.私、あなたが居るとは知らなくて』と、ジョルジアがクリオに一言でも謝っていれば.....
『あなた、行く当てはあるの?』、家を追い出されてアンジェロの救われたクリオなので、きっと聞いたであろう.
『家に居られなくなって、逃げ出してきたの』.....
このような会話があれば、クリオは少なくともジョルジアが尋ねてきたことは、アンジェロに伝えたと想えるのだけど.

アンジェロは相手を喜ばせるために平気で嘘をつく男で、嘘をつくことが悪いことだとは全く考えない男だった.嘘をつくことが悪いことだとは考えない、この点ではジョルジアも同じであったらしい.二人共に、恋愛感情を交えた嘘が、相手に苦しみを与え、そして悲劇を招くとは全く考えることは無く、自分達だけが幸せならばそれで良いという、身勝手な二人だったと言える.

ベッティナは『今度は私が代役よ』と、アンジェロを待ちわびるジョルジアに言ったのだった.元を質せばアンジェロは自分を口説きに来た男のはずだったけれど、ベッティナは二人の気持ちを想い遣る、優しい心の女性だった.
そしてクリオ、彼女は『あなたの子供じゃないわ』と告白した.クリオは嘘をつかない女の子だった.


眼には眼を 監督:アンドレ・カイヤット (1957年 113分 フランス、イタリア)

2014年09月19日 01時09分49秒 | アンドレ・カイヤット
『眼には眼を』

監督  アンドレ・カイヤット
原作  ヴァエ・カッチャ
脚本  アンドレ・カイヤット
    ヴァエ・カッチャ
撮影  クリスチャン・マトラ
音楽  ピエール・ルイギ

出演
クルト・ユルゲンス
フォルコ・ルリ
パスカル・オードレ
レア・パドヴァニ
ポール・フランクール
ダリオ・モレノ

眼には眼を=復讐
復讐とは、悪意をもって相手に冷たく当ること.
親切とは、善意をもって相手に優しく接すること.
と言うことで、親切から先に考えてみましょう.

医師が、死んだ妻の実家を訪れたとき、妻の妹に『わざわざ遠くまで送ってくれて、親切な方ね』、と言って感謝され、ぜひ泊まっていって欲しいと、親切にされた.けれども、医師が相手の車を壊してしまったので送ってきたに過ぎないし、理由がどうであれ、死んだ病人に対して親切にしなかったのだから、彼は、親切にされる筋合いのない相手から、親切にされと言える.
彼は、親切にされて嬉しかった.だから僻地の病人のもとへ.....
(死んだ妻の親が、お守りを見つけると窓から放り投げて、捨ててしまった.『こんなものは、役に立たない』、まさしくその通り、病人を守るのは、医師の職務であった)

妹の逆が召使である.難しい手術、急患と続き、医師は疲れ果てて自宅に戻ったのだが、召使はお祈りをしていて、主人を出迎えはしなかった.きっと彼は、怒りがこみ上げてきて、一瞬怒ろうと思ったであろう.けれど医師は、祈りの邪魔をしないように、自分の部屋へ引き上げたのだった.医師は、親切にされるべき召使に親切にされず、疲れた心を余計に疲れさせることになった、出来事であった.
やっと自分の時間、ラジオを聞きながら、疲れきった身も心も休めることが出来ると思った.そこへ車がやってきた.『多分、病人であろう』、そう思いながら窓から様子を伺っていると、案の定、召使は診察してくれと電話をかけてきた.『疲れきっている主人を察して、なぜ断ってくれないのだ』、そう思うと、また疲れが蘇ってきた.そして、電話口の召使に対する言葉は、次第に怒りに満ちてきた.彼の疲れ果てた心は、結果として病人を追い返すという、冷たい心になって現れてしまった.
親切にされたら親切にしたくなる.反対に、親切にされなかったがために、親切にすることが出来なかった.

翌日、病院で経緯を知り、死んでしまった病人の顔を見て、『なぜ、生きているときに顔を見てやらなかったのだ.死人の相手をするのが医師ではない.生きた人間の治療をするのが医師なんだ』、彼は良心の呵責に苦しむことに.....

苦しさを紛らわすために酒場にはいると、あのアラブ人の男がカウンターに座っていた.そして成り行きは、財布を忘れた医師の払いを、アラブ人の男が払っていっていた.医師は親切にされる筋合いのない相手に親切にされ、金を返そうと必死に男を捜し求め、そして、酒場の女が親切に行き先を教えてくれたので、車で追い回していったのだが....

あのアラブ人の男は、仮に診察していたとしても、その時、既に妻が死んでいたとしたら、『さっきまで生きていた.お前が顔を見たから死んだのだ』と言って、復讐を行いかねない未開人と思われる.
召使は、医師が病気で寝ていても、病人を連れてきて診察してくれと言うであろう、未開人である.
僻地のの病人の家族は、お呪いで病気が治ると信じている、未開人であった.

皆、善意(親切)、あるいは医師の職務と言った考え方とは、無縁の人間であった.私達が、仮初めにも文明社会に生きていると自負するならば、彼ら未開人と同じであってはならない.復讐を行ってはならないのは勿論のこと、善意(親切)とはどの様なことかをよく考え、医師も患者も互いに理解し合う社会でなければならないはず.皆が善意を持って理解し合えばこそ、医師も善意を持って医療を全う出来る.
(どんな仕事でも、同じなのですが)
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少しアラブ人の男の復讐を書いておけば、
酒場の払いを払ってやって、医師に親切にした.妹が、居間の床にマットを敷いて寝てもらおうと言ったら、ベットのある部屋に案内して、親切にした.
その少し前のシーン、姉の散らかった荷物を妹が片付けるのを手伝っていたら、男が戻ってきた.あの男はこう思って医師を見たに違いない.『お前は、今更親切にしても遅いんだ』
男は、医師に親切にすることによって、『お前は、俺達に親切にしなかった』と、責めたてた.
車が故障し、病人の妻は6kmの道を歩かなければならなかった.言われてように病院に辿り着き、やっと助かると思ったら、医者に騙されて(誤診によって)殺されてしまった.
男は砂漠のなかを、医師に歩き回らせ、そして親切にしては騙して、苦しませたのだった.

つまり、アラブ人の男の行為は、親切=復讐、であった.

砂漠のなかをさまよい歩き疲れ果てた医師は、『殺してくれ、死んだ方がましだ』と、言ったのだが.
『妻が死んだとき、俺もそう思った.死にたかった』男は、こう言った.
男は、医師に自分と同じ想いをさせて、復讐を成し遂げたかに思われた.復讐を成し遂げたのだから、医師を許すかに思われたのだが.
医師は寝ている男の腕を切りつけて、『治療をして欲しかったら、道を教えろ.助かりたかったら、道を教えろ』と迫った.
男は、『助けてくれ.街に着いたら治療をしてくれ』.....

医師は、『殺してくれ』と言ったけれど、未だ生きたいという希望を持っていた.では、なぜ『助けて欲しい』と、言わなかったのか?
男は、『助けてくれ』と言ったけれど、彼は妻が死んだとき、『死にたい』と思ったので、助かりたいとは思っていなかったであろう.

なぜ、こんなことになったのか.男は病気の妻を連れて、医師の自宅を訪れ、『助けてくれ』、と頼んだのに、医師は助けてくれなかった.
『助けてくれ』と、病人が頼んでいるのに、医師は何もしてやらなかったので、良心の呵責に苦しみ、結果としてこんなことになったのである.

医師は、僻地のに病人がいる話を聞いたとき、『助けてくれ』と言っていると思い込み、遠い山道をやってきたが、病人の家族は治療を拒否した.『助けてくれ』と、言ってはいなかった.

若い医師は、『酷い話だ.誤診で病人が死んでしまった.あなたは名医だから、あなたなら助けられた』、と言ったけれど、
『自分はへぼだから、病人を死なせてしまった.今度からは名医のあなたに聞くから、助けて欲しい』、と頼むべきではないのか.
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もう少し、書き添えておこう.
亡くなった妻の妹、あの娘は話せば分る人間であったと思う.

『先に一言、これは分ってくれなければいけないことなのだけど、私達の医療は、お呪いとは違う.設備の整った病院でなければ、まともな診察を出来なければ、なんの治療も出来はしない.だから私邸に来られても、困るんだ』
『それから、これは言い訳に過ぎないと思うけれど.明くる日、話を聞いた俺は死んだ彼女の顔を見に行った.そして思った.俺は何をやっているのだ、死人の顔を見るのが医師の仕事ではない.生きている人間の顔を見て、治療を行うのが医師の仕事だと.さっき、なんの役にもたたなかったと、お守りを捨てたけれど、未だお守りの方が、いつでも側に居て心の支えにはなっていたのだろう.それに引き換え自分はと言えば、彼女の顔も見ようとしなかった.何も出来なくても、顔を見て心の支えにだけでもなっていればと思うと、俺は、あの役立たずの、お守り以下の人間だったに違いない』

きっとね、医師は召使を叱れば良かったのだし、あの娘も、『私は、あなたを許せない』と、一言言えば良かったのではないのか?
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アラブ人の男は、無言電話をかけてきた、故意に車を病院に放置したかも知れないが、けれども、決して医師を付け回したわけではない.医師が良心の呵責も手伝って、『きっとあの男は復讐に来るに違いない』、と思い込み、付け回されているように思い込んでいただけである.

死んだ女の顔を見たときの彼の気持ちを書き加えれば、『なぜ昨日、顔を見てやらなかったのだ』と思ったのだが、つまり、召使を間に挟んで話をしたことが間違っていたことを物語る.
医師は、召使が話の分らない人間なのをよく分っていたはずなので、重要な事柄に関して、話の分らない人間を介して話をしたことが間違っていたと、より強く良心の呵責に苦しむことになったであろうか?、医師にとって自分の責任であった.自分で自分に納得の行かない行為であり、良心の呵責に苦しむことになったと言える.

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アンドレ・カイヤットは頭が良い、勿論そうですが.
でも、5千円札の女の子、樋口一葉は、頭の良さでは決してアンドレ・カイヤットに引けを取らない女の子でした.

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福知山線の脱線事故
運転手は、少し前にオーバランの運転ミスを犯し、懲罰勤務に怯えながら運転していた.その結果が事故を引き起こした.
運転手のミスを犯したという、自身に対する呵責が、悲劇を導いたと言える.
この人の場合、過酷な勤務が招いた悲劇であり、映画の医師の場合と良く似ています.
結果としてJR西は、列車のスピードダウン、終電車の時間の繰り上げ、初電車の時間の繰り下げを行い、運転手の労働環境の改善を行いました.決して運転手一人で解決できる問題ではなく、乗客に対して不親切にすることで対応しました.(親切にしすぎだった)

北海道炭坑汽船夕張新炭坑、ガス噴出、爆発事故
北炭は政府の出資を受け、夕張新炭坑を開坑したが、約束の日産5000トンの出炭に程遠い、3500トン程度の出炭しか出来なかった.
社長の役目は、通産省に出炭実績の報告に行き、『約束通りの実績を上げろ』と叱責され、現場に戻って増産のハッパをかけることだった.
目標を達成できなければ倒産しかない.経営者も労働者も、増産だけに夢中になった.
労働者は毎日張り出される前日の出炭実績を見ては、ある程度の数字ならば、ほっと一安心したそうである.
約束の実績を上げることが出来ないという、自身に対する呵責が、悲劇に導いたと言える.
出来ないことは出来ない.実はそうではなかった.一週間生産を止めて、坑内整備をすれば生産を上げることが出来ると提案した人がいたが、誰からも無視されたそうです.

JR北海道
JR北海道は経営基盤が弱いので、国鉄が民営化されるとき国から基金を貰い、基金のお金を国の事業に有利な金利で貸し付けて(借りてもらって)、利息で赤字を補って経営を成り立たせています.
やはり経営者には、こんなに助けてもらっているのに、と言う負い目があったのだと思います.けれども、北海道の都市部以外の人口がどんどん減って行き、元々少ない乗客がさらに減ってしまったのは、経営者の責任ではありません.
高速道路が開通すれば、乗客はバスに奪われます.それを防ぐために、JR北海道は車両の高速化に夢中になりました.その結果、安全対策がおろそかになり事故を引き起こすことになったのですが.けれども、それは、人口減による乗客の減少を、必死に食い止めようとした結果でもあるのです.
社長が事故を起こした良心の呵責から、自殺してしまったのですが、けれども社長一人で解決できる問題ではありませんでした.
乗客の減った路線は、切り捨てるほかありません.単に、地域の住民に親切にすれば良いわけではない.親切にして残すべきものと、薄情に切り捨てなければならないもの、その判断も必要でした.(一列車に乗客が一人あるかないかでは維持できない)
JR北海道もも、列車のスピードダウンと本数の削減を行いましたが、やはり乗客に対して能力以上の親切を行っていたと言えます.

親切にしすぎだった、それは置いておくとして.
普通の人々は知らなかったのかもしれないけれど、どの場合も、国が、あるいは会社が、助けれやらなければ、当事者だけではどうにもならなかったことである.
なぜ、医師は『助けてくれ』と言っている病人を見殺しにしてしまったのか?.その原因は、『助けてくれ』と言わなくても、主人を助けなければならない召使が、お祈りをしていて主人を助けなかったからである.
列車の運転手も、北炭の労働者も、JR北海道の社長も、助けてくれと言わなかったかもしれないが、国民が彼らの窮状を理解し、助けなければならないことだった.

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描かれた医師は弱音を吐かない人、助けてくれとは言わず、自分一人で頑張ろうとする人だった.彼は名医で、そのなりの発言力を持っていたかもしれないが、助けてくれとは言わなかった.逆に立場が弱く、助けて欲しいと言いたくても、言えない人もいるはずである.互いに気遣いあって、助けて欲しいと言わなくても、助けを必要とする人を助けて行かなければならないはず.
あるいは、気がねなく助けて欲しいと言える、そうした社会にして行かなければならない.


困難な手術であったのだろう.疲れ果てた彼は、もう音楽会に行く元気はなかった.


嘘をついて誘いを断り、帰ってラジオを聞いて寝ようと思ったのだが、すぐに急患が来て、さらに仕事を続けなければならなかった.


仕事で疲れ果てて帰ってきたのだけど、召使はお祈りの時間で、お祈りをしていて仕事をしなかった.
彼は召使に何も言わなかったけれど、疲れた心が余計に疲れることになったのではないか.


自分はお祈りの時間だと仕事をしないのに、主人には休息の時間もなく仕事をしろというのか.....
確かに俺は医者だけど、けれども、ここは病院ではない.ここでは診察は出来ないのだから、そう言って断ったらどうだ.主人の手助けをすること、それが召使の仕事だろう.


生きてる人の顔を診るのが医者の役目.自分は何をしてるんだ.....
もちろん、車が故障したことは医者の責任ではない.病人が助かったかどうかは分らないけれど.
けれども昨日、自分が診察して病人に助言していれば、若い医者の誤診は防ぐことが出来たと思えてならない.


お守りなんか、何の役にも立たない.


その通り、病人を助けるのは医者の役目だ.
そう改めて自覚した彼は、翌日、病人が居るという僻地まで出かけるのだが.....

裁きは終わりぬ (アンドレ・カイヤット 1950年 106分 フランス)

2012年12月05日 05時08分05秒 | アンドレ・カイヤット
『裁きは終わりぬ』 (1950年 106分 フランス)

監督  アンドレ・カイヤット
脚本  アンドレ・カイヤット
    シャルル・スパーク
撮影  ジャン・ブールゴワン
音楽  レイモン・ルグラン

出演
ヴァランティーヌ・テシエ
クロード・ノリエ
ジャック・カステロ
マルセル・ペレス
ジャン・ドビュクール
ディタ・パルロ
レイモン・ビュシェール
ミシェル・オークレール


農夫の男
農夫の男は裁判に出ているときに、イタリア人の若い手伝いの男に妻を寝取られた.陪審員を引き受けないと罰金を執るというから仕方なく出たのに、裁判なんか出たばっかりにこんなことになってしまった.それはさておき、この農夫の男、一度は出て行けとイタリア人を追い出そうとしたけれど、農作業が済むまでは居てもよいと、考えを変えてしまった.
彼にとって妻も大事だけど、農作業、仕事も大事だった?.否、裁判よりも、妻よりも、何よりも農作業が大事.妻を寝取られたことは済んだことと諦めよう.情けない奴.
ついでに補欠の陪審員の農夫.代わりをやれと言われて、彼は「豚の事ばかり考えてたから、裁判の事は分らない」と言った.
農夫にとっては、裁判なんてどうでも良くて、こりごりの出来事だったらしい.

貴族の男
金持ちの男と言っていいのでしょうか.この男、良家同士の縁談の結婚が決まって、それまで関係にあった女を捨ててしまった.結果その女性は自殺する.自分が捨てた女の自殺を、裁判が終わってから知ったこの男、自分で自分を裁く事になる.
『会って話をするだけでも、あの女は死ななかったかもしれない.あの女は自分のせいで自殺したのだから、自分が何とかすれば助けられたはずだ.助かりっこない人間の死に手を貸した被告の女は、訴えられ裁判で有罪になった.ところが自分は、助けようとすれば助けられる女性を、何もせず見殺しにしたのに、訴えられることもない.どう考えても、これはおかしい』

カフェのボーイ
ベルサイユの広場で、恋人の女性がこんな事を言いました.
「私達、この裁判を契機にして、幸せになれた.だからあの人も幸せにしてあげて」
そして、裁判で彼は、このように主張しました.
「人間、誰にでも間違いはある.ならば、人を幸せにする間違いは許されるが、人を不幸にする間違いは許されない」
恋人同士のこの二人、同じことを言っているのですね.

印刷屋の主人
この人は、ちょっと考えました.一見正しいことを言っているように思えるのですが、先のボーイの男の言葉を、彼女の言葉を考えれば、印刷屋の主人の言ったことは見えてくる.
『おれは不幸になったから、おまえも不幸になれ』

安楽死、この裁判自体はどうでもいい、難解な事件、出来事に際して、(勿論、すべての出来事に対して)幸せを願う心で考えて欲しい.と、カイヤットは言っているのですね.

宝石商のおばさんと、横恋慕の男は描かれた通り.
もう一人軍人の男が残っている.この男、どの様に考えても分らない.故意に分からなく描かれていると言うことで終わりにします