映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

宗方姉妹 (原作 大佛次郎)

2017年07月12日 01時57分54秒 | 邦画その他
『宗方姉妹』 1950年 112分

監督  小津安二郎
製作  児井英生
原作  大佛次郎
脚本  野田高梧
撮影  小原譲治
美術  下河原友雄
編集  後藤敏男
音楽  斎藤一郎
助監督 内川清一郎

山村聡   三村亮助
笠智衆   宗方忠親
高峰秀子  満里子
斎藤達雄  教授内田譲
上原謙   田代宏
田中絹代  宗方節子
堀雄二   前島五郎七
高杉早苗  真下頼子
坪内美子  藤代美惠子



なぜ節子は宏の帰りを待つことなく、別の男と結婚してしまったのか?.
それは、一つには節子が宏の気持ちを知らなかったからであり、同時に節子自身が宏のことを死ぬほど好きなことを、自分自身で理解していなかったからでもある.
この反対が妹の満里子.
この点は、妹の満里子を通して非常に分りやすく描かれている.彼女は、一人芝居で姉と宏の関係を演じながら、宏の気持ちを引き出しただけでなく、彼女自身、自分の素直な気持ちをきちんと言い表しているのだから.

相手の気持ちを正しく理解するということは、自分の気持ちを正しく理解することである.もっと簡単に、自分の素直な気持ちを現すことが一番大切であり、その事が相手の素直な気持ちを引き出すことになり、互いに相手を理解することになる.
節子と宏は、互いの気持ちを互いに正しく理解できなかったので、一緒になることができなかった.と言うよりも、この場合は、節子が自分の宏に対する気持ちを正しく理解して、宏の帰りを待ち続ければ、二人は一緒になれた、単にそれだけの話で、この点に関しては節子の夫は何も悪くない.そして、帰ってきた宏に、お金の工面を頼んだことは、節子が夫の気持ちを理解しない行為の現れであったとも言える.夫が悪いと言うならば、満里子が言うように別れれば良かったのであり、節子の夫の気持ちを考えない行為が、次第に夫を追い込んでいったのだ.

節子は夫の自殺によって、初めて夫の気持ちを理解できたのだった.そして同時に、節子が初めて自分の気持ちを正しく理解したことでもあったのだった.
節子がそれまで夫の気持ちを正しく理解してこなかったことを、節子自身が知ると同時に、節子自身が自分の気持ちを正しく理解してこなかったことを、知ったことでもあったと言っても構わない.夫の気持ちを理解せず、夫を自殺に追い込んだのは節子であり、そうした自身を恥じて、彼女は宏との結婚を止めることにした.

書き加えれば、全てローアングルから撮ったひどい作品です.なぜ、もう少し素直なアングルで素直な描写ができなかったのか.


にっぽん泥棒物語 (山本薩夫)

2017年07月11日 23時25分04秒 | 邦画その他
『にっぽん泥棒物語』
1965年 117分

監督 山本薩夫
企画 植木照男、宮古とく子
脚本 高岩肇、武田敦
撮影 仲沢半次郎
美術 森幹男
音楽 池野成

出演
三国連太郎
佐久間良子
伊藤雄之助
江原真二郎
緑魔子
市原悦子
千葉真一
西村晃
北林谷栄




裁判での証言を求められて東京まで出てきはしたが、結局は証言を拒んで逃げるようにして帰ろうとした上野駅.
彼はその上野駅で、被告人の親子と出会ったのだった.
親しく言葉を交わす刑務所仲間.皮膚病の薬を塗った話にもなった.話をすれば当時のことが思い出され、被告人の男が間違いなく無実であることも、また思い起されることになったであろう.後ろ髪を引かれるような想いからであろうか、子供にお菓子を買い与えて別れようとした彼であったのだが、その彼に『どこで薬を塗ったの?』と、子供が聞いたのだった.彼は周りをはばかりながら小声で『刑務所』と答えたのだが、けれども子供は『おじさんも刑務所にいたの?』と、大きな声で聞き返すように言った.周囲の皆に刑務所と言う言葉が聞こえてしまった.彼は思わずおろおろしかけたのだけど、この時彼は気がついたのであろう.被告人の子供が、父親が刑務所にいることで、学校でいじめられると言ったら、『馬鹿野郎、殴ってやれ』と言ったのは彼であった.その彼が、自分が刑務所に居たことを周囲の人に知られたのではと、おろおろして居る.....本当の勇気とは何なのであろう、自分は子供より意気地なしではないのか、と.
そして、そして.....
正しく考えれば、『馬鹿野郎、殴ってやれ』は、勇ましいだけで頂けない言葉である.この子の場合は父親は無実であり、虐められるのは全くの不当.虐められて殴り返すよりも、父親の無実を証明することの方が遥かに大切なことのはずなのでは.....
この子は、学校で虐められても、父親が刑務所に居たことを隠そうとしない.自分は一度はその気になって証言するために東京までやってきたのに、刑事(検事)に過去の犯罪をバラすと脅されて、否脅されたことよりも、前科者、刑務所に居たことを知られることを怖れて、証言を止めて逃げ帰ろうとしている.

なぜ彼が小声で言ったかと言えば、刑務所に居たことを恥ずかしく思っているから、隠そうとしているからに他ならない.では、子供が大きな声で(普通の声で)刑務所と言えたかと考えれば、それは、父親が刑務所に居ることを恥ずかしいことと思っていないからであり、なぜ恥ずかしくないかと言えば、子供は父親を信じているから、と言うことが出来る.
あの子は、父親が刑務所にいるために、学校でいじめられていたけれど、けれども、父親を信頼しているので、刑務所にいることを決して恥ずかしいこととは、思っていなかったのだった.
彼は考えたはず.この男の子と同じように、刑務所に居たことを恥じることなく話せるようにならなければならないのではないのか.否、自分の場合は前科4犯なので、刑務所に居たことは恥ずべき事である.が、その事実を自分の子供に秘密にすべきことなのかどうか.それはまた別の問題なのではないのか.
自分も、自分の子供から信頼されるようにならなければならないとするならば、刑務所に居たことも秘密にすべきではないはず.父親が刑務所にいたことが知れれば、子供は学校で虐められるかもしれないけれど、けれども、父親が刑務所に居たという事実を子供が知る事が、子供にとって恥ずべき事なのか.....

被告人の子供の場合は、父親が無実なので、子供は父親を信頼できたけれど、彼の場合は前科四犯なので、それを知ってしまったら子供は父親を信頼できない、このようにも思える.事実、妻もそう考えて、子供を連れて逃げ出してしまったのだった.

けれども、信頼は真実によって成り立つものである.裁判の席で、面白可笑しく犯罪の話をする夫を、妻は軽蔑の眼差しで見ていたが、裁判が進むに連れて、刑事が嘘つきで夫よりも悪いやつだと知るに連れて、真実を話そうとしている夫が正しいことをしているのだと、理解することが出来たのだった.
無実なら信頼できるけど、前科者は信頼できない、子供から信頼されないと考えるのは、間違っていた.人から信頼されるには嘘を言ってはならないのであり、つまりは法廷で真実を証言することは、被告人の無実を晴らし、子供の信頼に答えること、子供から信頼される事だったと言うことが出来る.