映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

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社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

朱と緑 (朱の巻)(緑の巻) - 島津保次郎 -

2017年03月15日 11時32分25秒 | 邦画その他
『朱と緑』(朱の巻)(緑の巻) 1937年

監督  島津保次郎
原作  片岡鉄兵
脚本  池田忠雄
撮影  生方敏夫
美術  金須孝
音楽  早乙女光

出演
戸山  上原謙
千晶  高杉早苗
雪枝  高峰三枝子
    東日出子
    奈良真養
    岡村文子
清三  佐分利信
    河村黎吉
    水島亮太郎
    武田秀雄
    藤野秀夫


心で結びついた男女.男女の関係では当たり前のことなのだけど、好きな心で結びついた男女.これが『緑』.
お金で結びついた男女.これまた男女の関係では良くあることで、心の裏側を覗くと、たいていは嫌い.これが『朱』.

作品全体に何が描かれるかと言えば、お金で結びついた男女であり、嫌いな心ばかりが描かれていると言って良く、言葉を変えれば『お金』、『嫌い』が旋律(背景)として描かれていると言える.
こう考えて、課題とは何かを考えれば、それは『好き』、人を好きになるとはどの様なことなのか、と言うことになるのだが.....

清三と千晶の事件
ダンスパーティで知り合った二人は、夜の海岸を散歩した.闇夜の寂しい夜で、清三は千晶に頬付けをしたが、千晶は咎めなかった.二人ともどこか寂しい感情に陥っていたせいであろうと千晶は証言した.なんとなく、成り行きでそうなってしまった、と.
ある日、千晶が自分に恋愛感情を抱いているはずと思い込んだ清三は、千晶の部屋に忍び込んで来た.おおよそ30分ほど話したようだが、千晶は清三に『自分はあなたを好きではない』とはっきり言い、清三もまたそれを理解したようだ.清三は『想い出に写真を欲しい』と言ったらしいが、写真を渡したくなかった千晶は、写真に見せかけて封筒に入れたお金を渡したのだった.『お金と知っていれば、彼は受け取らなかったであろう』と彼女は証言した.

雪枝と千晶の父親
戸山に失恋した雪枝は焼けになり、競馬にのめり込んで、最後は戸山から盗んだお金を競馬ですってしまった.お金を盗んだ彼女は家には帰れず、競馬場で出会った千晶の父親に誘われるままに付いていった.そして、ぐでんぐでんに酔ったあげく抱かれてしまったらしい.
なんとなく、成り行きでそうなってしまったのだが.....
父親は、二人の関係をどうするつもりだったのかと言えば、『お金を欲しいだろうから、妾になれ』と言いたかったのであろうが、彼女は、『済んでしまったことを、どうこう言ってもはじまらない.お金はいらないわ.私は売り物じゃないのよ』、そう言って帰っていった.

千晶の父親はお金で雪枝を自分のものにしようとしたが、雪枝は例え肉体関係を持ったにしても、好きでもない父親を相手にしなかった.
千晶は自分を好いている清三との関係を絶ちきろうと、写真に見せかけてお金を渡したのだった.千晶も父親も、二人とも同じで男女の関係をお金の関係にしようとしたのだった.
さらに書けば、千晶は清三の自分を好いている心を利用として自分を守ろうとしたのである.清三は千晶を好いているからこそ、知らずに貰ったお金を、脅し取ったと言って千晶をかばったけれど、その出来事を千晶は『強盗にお金を渡して追い返した』と、皆に偽証したのだった.

戸山にふられた雪枝は、嫉妬心から戸山に冷たく当り、二人の仲を引き裂こうと、千晶の過去を暴く新聞を机の上に置き、最後には戸山のお金を盗んで競馬で使い果たした.そして好きでもない男に、千晶の父親に抱かれて、行き着くところは戸山から好かれるどころか、どこを取っても嫌われるだけの女になってしまっていた.
彼女自身が嫌と言うほど自分の現実に、誰からも好かれることのない自分に、自分でも好きになることの出来ない自分自身に気がついたのであろう.戸山に会わせる顔が無くなった雪枝は、千晶に会って自分の非を詫び、そして戸山と千晶、二人の幸せを願って泣き崩れたのだった.雪枝は二人を好きになる為に千晶に会いに行った、あるいは好きに慣れる自分自身を取り戻すために千晶に会いに行ったと言えるのだが、その結果は.....

千晶は置き手紙を残し、すぐに東京に戻って裁判の証言に立ったのだった.やっと千晶に人を好きになることがどの様なことか理解されたと言って井野であろう.人を好きになることも、人から好かれることも同じことなのだ、と.
『清三との関係をお金で清算しようとした自分だった.が、それが為に清三は自分をかばって重罪を受けようとしている.自分の証言で無罪に等しい事になるのに、それなのに自分は自分の事しか考えていない.清三は私の幸せを考えているのに、私は清三の幸せを何も考えなかった.こんな自分は、誰からも好かれるに値しないのだ.....』

千晶は証言を終えて、法廷を出てドアの外で泣き崩れた.なぜ泣き崩れたのか?、それは雪枝と同じ、相手に詫びる心で泣き崩れたのであろう.法廷では、『自分をかばってくれたことを感謝している』と、清三にお礼を言ったのだが、けれども自分の非を詫びはしなかった.

人を好きになることも、人から好かれることも同じこと.そして人を好きになるということは、自分で自分を好きになることでもある.
雪枝も千晶も、自分で自分を好きになれる自分を取り戻すために、泣いて詫びたと言える.その点は父親も同じ、彼は泣いて詫びる代わりに旅に出ると言った.

書き添えれば、沈黙は金、清三は黙して何も語らず、千晶を好きな自身の心を守り通そうとした.その心は千晶を守る心でもあったと言える.

【映画】こころ (日活 市川崑 夏目漱石原作)

2017年03月13日 22時01分39秒 | 邦画その他
『こころ』
日活 公開1955年8月31日 122分

監督    市川崑
製作    高木雅行
原作    夏目漱石
脚本    猪俣勝人
      長谷部慶治
撮影    伊藤武夫
      藤岡粂信
美術    小池一美
編集    辻井正則
音楽    大木正夫
助監督   舛田利雄

出演
先生.......森雅之
奥さん......新珠三千代
梶........三橋達也
日置.......安井昌二
未亡人......田村秋子
日置の父.....鶴丸睦彦
日置の母.....北林谷栄
日置の兄.....下元勉
旅の僧......久松晃
周旋屋......下絛正巳
先生の叔父....山田禅二
梶の父......伊丹慶治





『人間の愚かさを、内に秘めたまま秘密にすれば悲劇を生み、公にして皆で話し合えば喜劇になる』

1.『K』も『先生』も、二人共に最高学府で学業を究めた自分自身を、高潔な人間であり精神的にも完成された人間であると思い込んでいた.あるいは、そうした人間でありたいと望んでいたと言ってよいであろう.
その傾向は、『K』の方が強くあったようだ.『K』は伊豆の旅で出会った僧侶に、食ってかかるように話しかけて宗教の議論をしたが、僧侶が言葉に詰まると、一方的に『人間が出来ていない』と罵倒してしまった.

2.『先生』から結婚の申し込みを受けた後日、未だその話を『先生』が『K』にしていないことを知って、母親は怪訝な顔をした.
一つ屋根の下に、年頃の男二人と女一人が暮していたら、どの様な結果になるか容易に想像のつくことであり、それがため母親は『K』が下宿することを、初めは反対したのだった.
母親にしてみれば、『K』も『先生』も、二人共に娘を好きなのは分りきった事であったので、親友同士ならば二人でその点に対して決着をつけた上で、『先生』が結婚の申し込みに来たと考えたはずである.

3.これが、結論になります.
『先生』は学生に、自分の愚かさを詳細に書き記した遺書の手紙を書いたが、学生が受け取ったときには『先生』は死んでいた.
しかし本来は、『先生』は学生に直接会って話をするつもりでいたのであって、そうすれば『先生』は死ぬことは無かったと言える.
『皆で話し合えば喜劇になる』と先に書いたのですが、『先生』と学生が直接会って話をしていれば、少なくとも悲劇は避けられたのです.

4.『K』は『先生』も、お嬢さんを好いていることを知った上で、『先生』に対して、お嬢さんを好きなことを告白した.難しく考えることは止しますが、卑怯なことは『先生』も『K』も、何ら変わりはしなかったのであり、さらに言えば、『先生』の卑怯は目に見える卑怯であったのに対して、『K』の卑怯は心の中の格闘として存在する、目に見えない卑怯であって、相手の心を知った上でその裏をかく、悪辣な行為であったと言わなければなりません.

5.『K』は『先生』の、見え見えの卑怯な行為によって、自分の行った目に見えない卑怯な行為を、よりいっそう許されない行為として自覚することになったのでしょうか.その結果、『K』は綺麗事を並べた遺書を残して自殺してしまったのですが、つまりは、自分の卑怯な行為を秘密にしたまま死んでしまったと言えます.
『俺は、貴様の卑怯な行為によって、自分が行った卑怯な行為を自覚することになった』、もし『K』が『先生』にこのように話をしていれば、二人共卑怯な愚かな人間であったので、互いに理解し許しあうことが出来たはずなのですが.


人間は誰でも、自分が高潔でありたいと思い、自分の愚かさを話すことは容易なことではない.
なぜ、妻が不幸にならなければならなかったのか?
言い換えれば、どうすれば、妻の不幸を避けることが出来たのか、と考えると、

『人間の愚かさを、内に秘めたまま秘密にすれば悲劇を生み、公にして皆で話し合えば喜劇になる』