映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

眼には眼を 監督:アンドレ・カイヤット (1957年 113分 フランス、イタリア)

2014年09月19日 01時09分49秒 | アンドレ・カイヤット
『眼には眼を』

監督  アンドレ・カイヤット
原作  ヴァエ・カッチャ
脚本  アンドレ・カイヤット
    ヴァエ・カッチャ
撮影  クリスチャン・マトラ
音楽  ピエール・ルイギ

出演
クルト・ユルゲンス
フォルコ・ルリ
パスカル・オードレ
レア・パドヴァニ
ポール・フランクール
ダリオ・モレノ

眼には眼を=復讐
復讐とは、悪意をもって相手に冷たく当ること.
親切とは、善意をもって相手に優しく接すること.
と言うことで、親切から先に考えてみましょう.

医師が、死んだ妻の実家を訪れたとき、妻の妹に『わざわざ遠くまで送ってくれて、親切な方ね』、と言って感謝され、ぜひ泊まっていって欲しいと、親切にされた.けれども、医師が相手の車を壊してしまったので送ってきたに過ぎないし、理由がどうであれ、死んだ病人に対して親切にしなかったのだから、彼は、親切にされる筋合いのない相手から、親切にされと言える.
彼は、親切にされて嬉しかった.だから僻地の病人のもとへ.....
(死んだ妻の親が、お守りを見つけると窓から放り投げて、捨ててしまった.『こんなものは、役に立たない』、まさしくその通り、病人を守るのは、医師の職務であった)

妹の逆が召使である.難しい手術、急患と続き、医師は疲れ果てて自宅に戻ったのだが、召使はお祈りをしていて、主人を出迎えはしなかった.きっと彼は、怒りがこみ上げてきて、一瞬怒ろうと思ったであろう.けれど医師は、祈りの邪魔をしないように、自分の部屋へ引き上げたのだった.医師は、親切にされるべき召使に親切にされず、疲れた心を余計に疲れさせることになった、出来事であった.
やっと自分の時間、ラジオを聞きながら、疲れきった身も心も休めることが出来ると思った.そこへ車がやってきた.『多分、病人であろう』、そう思いながら窓から様子を伺っていると、案の定、召使は診察してくれと電話をかけてきた.『疲れきっている主人を察して、なぜ断ってくれないのだ』、そう思うと、また疲れが蘇ってきた.そして、電話口の召使に対する言葉は、次第に怒りに満ちてきた.彼の疲れ果てた心は、結果として病人を追い返すという、冷たい心になって現れてしまった.
親切にされたら親切にしたくなる.反対に、親切にされなかったがために、親切にすることが出来なかった.

翌日、病院で経緯を知り、死んでしまった病人の顔を見て、『なぜ、生きているときに顔を見てやらなかったのだ.死人の相手をするのが医師ではない.生きた人間の治療をするのが医師なんだ』、彼は良心の呵責に苦しむことに.....

苦しさを紛らわすために酒場にはいると、あのアラブ人の男がカウンターに座っていた.そして成り行きは、財布を忘れた医師の払いを、アラブ人の男が払っていっていた.医師は親切にされる筋合いのない相手に親切にされ、金を返そうと必死に男を捜し求め、そして、酒場の女が親切に行き先を教えてくれたので、車で追い回していったのだが....

あのアラブ人の男は、仮に診察していたとしても、その時、既に妻が死んでいたとしたら、『さっきまで生きていた.お前が顔を見たから死んだのだ』と言って、復讐を行いかねない未開人と思われる.
召使は、医師が病気で寝ていても、病人を連れてきて診察してくれと言うであろう、未開人である.
僻地のの病人の家族は、お呪いで病気が治ると信じている、未開人であった.

皆、善意(親切)、あるいは医師の職務と言った考え方とは、無縁の人間であった.私達が、仮初めにも文明社会に生きていると自負するならば、彼ら未開人と同じであってはならない.復讐を行ってはならないのは勿論のこと、善意(親切)とはどの様なことかをよく考え、医師も患者も互いに理解し合う社会でなければならないはず.皆が善意を持って理解し合えばこそ、医師も善意を持って医療を全う出来る.
(どんな仕事でも、同じなのですが)
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少しアラブ人の男の復讐を書いておけば、
酒場の払いを払ってやって、医師に親切にした.妹が、居間の床にマットを敷いて寝てもらおうと言ったら、ベットのある部屋に案内して、親切にした.
その少し前のシーン、姉の散らかった荷物を妹が片付けるのを手伝っていたら、男が戻ってきた.あの男はこう思って医師を見たに違いない.『お前は、今更親切にしても遅いんだ』
男は、医師に親切にすることによって、『お前は、俺達に親切にしなかった』と、責めたてた.
車が故障し、病人の妻は6kmの道を歩かなければならなかった.言われてように病院に辿り着き、やっと助かると思ったら、医者に騙されて(誤診によって)殺されてしまった.
男は砂漠のなかを、医師に歩き回らせ、そして親切にしては騙して、苦しませたのだった.

つまり、アラブ人の男の行為は、親切=復讐、であった.

砂漠のなかをさまよい歩き疲れ果てた医師は、『殺してくれ、死んだ方がましだ』と、言ったのだが.
『妻が死んだとき、俺もそう思った.死にたかった』男は、こう言った.
男は、医師に自分と同じ想いをさせて、復讐を成し遂げたかに思われた.復讐を成し遂げたのだから、医師を許すかに思われたのだが.
医師は寝ている男の腕を切りつけて、『治療をして欲しかったら、道を教えろ.助かりたかったら、道を教えろ』と迫った.
男は、『助けてくれ.街に着いたら治療をしてくれ』.....

医師は、『殺してくれ』と言ったけれど、未だ生きたいという希望を持っていた.では、なぜ『助けて欲しい』と、言わなかったのか?
男は、『助けてくれ』と言ったけれど、彼は妻が死んだとき、『死にたい』と思ったので、助かりたいとは思っていなかったであろう.

なぜ、こんなことになったのか.男は病気の妻を連れて、医師の自宅を訪れ、『助けてくれ』、と頼んだのに、医師は助けてくれなかった.
『助けてくれ』と、病人が頼んでいるのに、医師は何もしてやらなかったので、良心の呵責に苦しみ、結果としてこんなことになったのである.

医師は、僻地のに病人がいる話を聞いたとき、『助けてくれ』と言っていると思い込み、遠い山道をやってきたが、病人の家族は治療を拒否した.『助けてくれ』と、言ってはいなかった.

若い医師は、『酷い話だ.誤診で病人が死んでしまった.あなたは名医だから、あなたなら助けられた』、と言ったけれど、
『自分はへぼだから、病人を死なせてしまった.今度からは名医のあなたに聞くから、助けて欲しい』、と頼むべきではないのか.
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もう少し、書き添えておこう.
亡くなった妻の妹、あの娘は話せば分る人間であったと思う.

『先に一言、これは分ってくれなければいけないことなのだけど、私達の医療は、お呪いとは違う.設備の整った病院でなければ、まともな診察を出来なければ、なんの治療も出来はしない.だから私邸に来られても、困るんだ』
『それから、これは言い訳に過ぎないと思うけれど.明くる日、話を聞いた俺は死んだ彼女の顔を見に行った.そして思った.俺は何をやっているのだ、死人の顔を見るのが医師の仕事ではない.生きている人間の顔を見て、治療を行うのが医師の仕事だと.さっき、なんの役にもたたなかったと、お守りを捨てたけれど、未だお守りの方が、いつでも側に居て心の支えにはなっていたのだろう.それに引き換え自分はと言えば、彼女の顔も見ようとしなかった.何も出来なくても、顔を見て心の支えにだけでもなっていればと思うと、俺は、あの役立たずの、お守り以下の人間だったに違いない』

きっとね、医師は召使を叱れば良かったのだし、あの娘も、『私は、あなたを許せない』と、一言言えば良かったのではないのか?
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アラブ人の男は、無言電話をかけてきた、故意に車を病院に放置したかも知れないが、けれども、決して医師を付け回したわけではない.医師が良心の呵責も手伝って、『きっとあの男は復讐に来るに違いない』、と思い込み、付け回されているように思い込んでいただけである.

死んだ女の顔を見たときの彼の気持ちを書き加えれば、『なぜ昨日、顔を見てやらなかったのだ』と思ったのだが、つまり、召使を間に挟んで話をしたことが間違っていたことを物語る.
医師は、召使が話の分らない人間なのをよく分っていたはずなので、重要な事柄に関して、話の分らない人間を介して話をしたことが間違っていたと、より強く良心の呵責に苦しむことになったであろうか?、医師にとって自分の責任であった.自分で自分に納得の行かない行為であり、良心の呵責に苦しむことになったと言える.

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アンドレ・カイヤットは頭が良い、勿論そうですが.
でも、5千円札の女の子、樋口一葉は、頭の良さでは決してアンドレ・カイヤットに引けを取らない女の子でした.

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福知山線の脱線事故
運転手は、少し前にオーバランの運転ミスを犯し、懲罰勤務に怯えながら運転していた.その結果が事故を引き起こした.
運転手のミスを犯したという、自身に対する呵責が、悲劇を導いたと言える.
この人の場合、過酷な勤務が招いた悲劇であり、映画の医師の場合と良く似ています.
結果としてJR西は、列車のスピードダウン、終電車の時間の繰り上げ、初電車の時間の繰り下げを行い、運転手の労働環境の改善を行いました.決して運転手一人で解決できる問題ではなく、乗客に対して不親切にすることで対応しました.(親切にしすぎだった)

北海道炭坑汽船夕張新炭坑、ガス噴出、爆発事故
北炭は政府の出資を受け、夕張新炭坑を開坑したが、約束の日産5000トンの出炭に程遠い、3500トン程度の出炭しか出来なかった.
社長の役目は、通産省に出炭実績の報告に行き、『約束通りの実績を上げろ』と叱責され、現場に戻って増産のハッパをかけることだった.
目標を達成できなければ倒産しかない.経営者も労働者も、増産だけに夢中になった.
労働者は毎日張り出される前日の出炭実績を見ては、ある程度の数字ならば、ほっと一安心したそうである.
約束の実績を上げることが出来ないという、自身に対する呵責が、悲劇に導いたと言える.
出来ないことは出来ない.実はそうではなかった.一週間生産を止めて、坑内整備をすれば生産を上げることが出来ると提案した人がいたが、誰からも無視されたそうです.

JR北海道
JR北海道は経営基盤が弱いので、国鉄が民営化されるとき国から基金を貰い、基金のお金を国の事業に有利な金利で貸し付けて(借りてもらって)、利息で赤字を補って経営を成り立たせています.
やはり経営者には、こんなに助けてもらっているのに、と言う負い目があったのだと思います.けれども、北海道の都市部以外の人口がどんどん減って行き、元々少ない乗客がさらに減ってしまったのは、経営者の責任ではありません.
高速道路が開通すれば、乗客はバスに奪われます.それを防ぐために、JR北海道は車両の高速化に夢中になりました.その結果、安全対策がおろそかになり事故を引き起こすことになったのですが.けれども、それは、人口減による乗客の減少を、必死に食い止めようとした結果でもあるのです.
社長が事故を起こした良心の呵責から、自殺してしまったのですが、けれども社長一人で解決できる問題ではありませんでした.
乗客の減った路線は、切り捨てるほかありません.単に、地域の住民に親切にすれば良いわけではない.親切にして残すべきものと、薄情に切り捨てなければならないもの、その判断も必要でした.(一列車に乗客が一人あるかないかでは維持できない)
JR北海道もも、列車のスピードダウンと本数の削減を行いましたが、やはり乗客に対して能力以上の親切を行っていたと言えます.

親切にしすぎだった、それは置いておくとして.
普通の人々は知らなかったのかもしれないけれど、どの場合も、国が、あるいは会社が、助けれやらなければ、当事者だけではどうにもならなかったことである.
なぜ、医師は『助けてくれ』と言っている病人を見殺しにしてしまったのか?.その原因は、『助けてくれ』と言わなくても、主人を助けなければならない召使が、お祈りをしていて主人を助けなかったからである.
列車の運転手も、北炭の労働者も、JR北海道の社長も、助けてくれと言わなかったかもしれないが、国民が彼らの窮状を理解し、助けなければならないことだった.

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描かれた医師は弱音を吐かない人、助けてくれとは言わず、自分一人で頑張ろうとする人だった.彼は名医で、そのなりの発言力を持っていたかもしれないが、助けてくれとは言わなかった.逆に立場が弱く、助けて欲しいと言いたくても、言えない人もいるはずである.互いに気遣いあって、助けて欲しいと言わなくても、助けを必要とする人を助けて行かなければならないはず.
あるいは、気がねなく助けて欲しいと言える、そうした社会にして行かなければならない.


困難な手術であったのだろう.疲れ果てた彼は、もう音楽会に行く元気はなかった.


嘘をついて誘いを断り、帰ってラジオを聞いて寝ようと思ったのだが、すぐに急患が来て、さらに仕事を続けなければならなかった.


仕事で疲れ果てて帰ってきたのだけど、召使はお祈りの時間で、お祈りをしていて仕事をしなかった.
彼は召使に何も言わなかったけれど、疲れた心が余計に疲れることになったのではないか.


自分はお祈りの時間だと仕事をしないのに、主人には休息の時間もなく仕事をしろというのか.....
確かに俺は医者だけど、けれども、ここは病院ではない.ここでは診察は出来ないのだから、そう言って断ったらどうだ.主人の手助けをすること、それが召使の仕事だろう.


生きてる人の顔を診るのが医者の役目.自分は何をしてるんだ.....
もちろん、車が故障したことは医者の責任ではない.病人が助かったかどうかは分らないけれど.
けれども昨日、自分が診察して病人に助言していれば、若い医者の誤診は防ぐことが出来たと思えてならない.


お守りなんか、何の役にも立たない.


その通り、病人を助けるのは医者の役目だ.
そう改めて自覚した彼は、翌日、病人が居るという僻地まで出かけるのだが.....