映画と自然主義 労働者は奴隷ではない.生産者でない者は、全て泥棒と思え

自身の、先入観に囚われてはならない
社会の、既成概念に囚われてはならない
周りの言うことに、惑わされてはならない

映画『たけくらべ』 (五所平之助監督 新東宝 1955年 樋口一葉原作)

2019年09月27日 01時46分38秒 | 邦画その他
たけくらべ
新東宝 1955年 95分
公開年月日  1955年8月28日

監督  五所平之助
製作  福島通人
    杉原貞雄
原作  樋口一葉
脚本  八住利雄
撮影  小原譲治
美術  久保一雄
音楽  芥川也寸志
録音  岡崎三千雄
考証  鴨下晁湖
朗読  夏川静江
照明  入江進
編集  永田伸
助監督 堀江英夫
製作主任 平井敏
協力製作 旗一兵

出演
美登利..........美空ひばり
 父 伍助........中村是好
 母 おりん......吉川満子
 姉 大巻........岸恵子
信如............北原隆
 父 信道........佐々木孝丸
 母 おそう......忍節子
大黒屋の主人....柳永二郎
三五郎..........中村正紀
 父 鉄..........坂本武
 母 おえん......望月優子
長吉............服部哲
 父 辰五郎......山茶花究
正太............市川染五郎
 祖母 お富......毛利菊枝
弥助............亘俊司
丑松............稲吉靖司
文次............渡辺鉄弥
徳太郎..........佐藤準次
宗平............小宮山清
封間林孝........桜川忠七
遣手............一の宮敦子
お吉............山田五十鈴
ばあやおとき....飯田蝶子
太郎吉..........市村稔
千太............仲田博



女郎、あるいは女郎の妹と言われることを嫌う美登利.
年頃になって気がついた時、彼女は男女の自然な恋愛感情に従った生き方が許されない境遇にあった.

生臭坊主、あるいは生臭坊主の息子と言われることを嫌う信如.
彼は自ら望んで、男女の自然な恋愛感情を否定する、僧侶の学校へ進む道を選んだのだった.

原作は明治の男尊女卑の時代.女郎の境遇で生きなければならない女性を救うことが出来るのは、そうした境遇の女性の心の支えになれるのは、好きになった男性の優しい心なのだけど.....

映画は反対に、売春防止法成立を見据えて描かれた.
どの様な法律が出来たにせよ、身体を売って生活している女性たち自身が、こんなことをしていてはいけないのだ、と自覚を持たなければ何も解決しないのだ.....

この続きは、暇をみて




女郎屋の周りは塀とどぶ川で囲まれ、正面の通りには大門が、裏口は跳ね橋になっていて、番人が居て上げ下げしている.
京都では土塁で囲まれていたり、お客も女郎も逃げられないようになっていたらしい.






どうでも良いけど、美空ひばりが唯一歌を歌わなかった映画だそうです.

張込み (野村芳太郎 1956年 116分 松竹)

2019年09月25日 23時09分51秒 | 邦画その他
張込み 1956年 116分

監督  野村芳太郎
製作  小倉武志
原作  松本清張
脚本  橋本忍
撮影  井上晴二
美術  逆井清一郎
音楽  黛敏郎

出演  大木実
    高峰秀子
    田村高広
    宮口精二
    高千穂ひづる


若い刑事柚木は、犯人の元愛人の女の立場を気遣う優しい心の持ち主であったが、けれどもこの映画は、お巡りさんは良い人で犯人は悪い奴、と言う作品ではない.
尾行相手の女と同じバスに乗り、切符を売りに来た車掌に行き先を聞かれても答えられないような、しどろもどろな尾行が却って現実的な面白さを醸し出しているのだろうか.
宿屋の女中は彼らの職業を聞いて、農機具に使うエンジンを安く売って欲しいと言って困らせた.その場は嘘をついて何とかごまかしたけれど、警察官が嘘をついてはいけない、嘘つきは泥棒の始まり、数日後には怪しい人物として警察が呼ばれることになった.

犯人は肺病を病んでいて、人生に絶望した男だった.死にたいともらしていたらしいので、きっと昔の女に会いに行くに違いないと思ったのだが、女の所へ来てみると、他の男と結婚した女に何れほどの愛着を持っているか疑問に思えた.そして、会いに来たならば、女を道連れに死のうとするのではないかと危ぶまれてならなかった.
女を守らねば、と言う想いを強く抱きながら犯人を追ってきた柚木だった.女に危害を加えるのではないか、そうした危惧を抱きながら必死に二人を追った柚木だったが、けれども、二人の逢い引きの場面を盗み見て、彼の予想は全く外れたのだった.未だ二人は深い想いを抱きあっていた.それに留まらず、女は今の家庭を捨てて男と一緒に行くと言う.女は、全てを捨てて愛する男とやり直したいと言うのだった.
子供の前で、親に手錠をかけることほど辛いことはないと言う柚木だった.幸いにして、女の目の前で男に手錠をかけることは避けることは出来た.このことは、わずかな救いであったであろうか.
風呂上がりの女は、部屋にいる男が愛人ではないことに気がついて、一瞬部屋を間違えたのかと思ったのだが、間違いではなかった.なぜ部屋に他人が居るのか、と考えが及ぶに連れ、柚木の言葉を聞くまでもなく現実の出来事が悟られたのではなかろうか.まさに柚木が、女を幸せの頂点から絶望のどん底へ、突き落とした瞬間だった.全てを捨てて男とやり直したいと言う女から、愛する相手を奪い去ったのは彼だった.

張り込みという刑事の職務を全うする心は、強盗犯から元愛人の女を守る心であり、言い換えれば、強盗犯を憎む心であったのであったと思われる.けれども、愛し合う二人の姿を目の当たりにした時、人を憎む心は薄れ、単に一人の女の幸せを願う心に変わって行ったのであろう.そして同時に、刑事としての職務を完うする行為は、女の幸せを引き裂く行為に変わっていっていた.

こんな風に付け加えたら、更によい作品になったのでは.....
二人の刑事は、翌日の護送のため、もう一日同じ宿に泊まった.
翌朝、いつもと同じように、いつもと同じ時間に、ドケチの夫は会社へ出かけていった.
玄関まで送りに出た女.そこへ二人の刑事が宿から出てきて顔を合わせた.
「今夜の汽車で護送だから、もう会えないだろう.何か伝えることは」
女はしばらく無言の後、
「名刺を.....もし、東京へ行ったなら.....」
「その時は訪ねてください」

駅の待合室で、
「もう一度やり直すんだ.全てはそれからだ」
女が訪ねてくるかどうかは分らない.けれども、もし訪ねてきたなら、罪を償ってやり直せる人間になっていなければ.....

あえて書けば、『すぐに帰れば、夫が帰ってくる前に戻ることが出来る』と柚木は言ったけれど、これは余計な言葉.
『今は(今日は)ともかく帰りなさい』、これだけでよかったはず.落ち着いて考えて、その結果どうするかは、女の勝ってである.
『女を守る』と言うことと、『女の家庭を守る』と言うことは別なんだけど.....



宮之原線






熊本県、肥後小国














大分県、宝泉寺温泉