自分があこがれるような素晴らしい人間になりたいと思う。
でも、そのためには自分の劣った部分に気づく必要があります。
瞑想とかで内観して、その部分にスポットを当てると
自分の一番深いところで、傷ついて
情けなく膝を抱えてうなだれている自分がいるのに気づきます。
それを見ると、思わず涙が出てしまい、
この情けない奴をなんとか救ってあげたい。
立派に育ってほしいと思う。
「自己愛」から離れて、「人を思い」「民族を思い」「世界を思い」
「宇宙を思う」神のような存在に近づいていってもらいたい。
自分自身に対して、まるで親が子を思うような
気持ちになってくるのです。それが菩提心。
でも、自分の奥底のもう一人の自分が
そこまで成長する前に、みんな力尽きて
寿命を終えてしまうのがこの世なのです。
わかってはいても「自己愛」は捨てられない。
全てのものを平等に見られる「菩提心」によって
人も自分も、この世界全体が変わっていくはずなのですけど。
瞑想の本にこのような内容の事が書かれれていました。
確かに私の中にも膝を抱えてすねている奴がいるのでしょう。
でも、そのためには自分の劣った部分に気づく必要があります。
瞑想とかで内観して、その部分にスポットを当てると
自分の一番深いところで、傷ついて
情けなく膝を抱えてうなだれている自分がいるのに気づきます。
それを見ると、思わず涙が出てしまい、
この情けない奴をなんとか救ってあげたい。
立派に育ってほしいと思う。
「自己愛」から離れて、「人を思い」「民族を思い」「世界を思い」
「宇宙を思う」神のような存在に近づいていってもらいたい。
自分自身に対して、まるで親が子を思うような
気持ちになってくるのです。それが菩提心。
でも、自分の奥底のもう一人の自分が
そこまで成長する前に、みんな力尽きて
寿命を終えてしまうのがこの世なのです。
わかってはいても「自己愛」は捨てられない。
全てのものを平等に見られる「菩提心」によって
人も自分も、この世界全体が変わっていくはずなのですけど。
瞑想の本にこのような内容の事が書かれれていました。
確かに私の中にも膝を抱えてすねている奴がいるのでしょう。