身体の声を聞く

腰が痛い、眼がかすむ、気が重いなど、
身体からの言葉に向かい合ってみます。

あしたもよろし

2006-10-29 07:32:53 | 意識
本にこんなエッセイがありました。
こういう言葉が気になる時は
きっと自分も似たような意識の時かも。

太陽は常に地上のものを常に分け隔て無く照らし
世の中を明るくします。
どんなに漆黒の闇の中にいても
太陽が出れば闇が消え去り、新しい朝が始まります。
太陽は光と暖かさで自然や動物に恵みを与えます。
「自分のためにまた今日が始まる」と思えば
澱んだ心も浄化され前向きに一歩
踏み出す勇気も湧いてきます。

山頭火がこんな句を読んでます。

山あれば 山を観る
雨の日は 雨を聞く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆうべもよろし

永遠の「今」

2006-10-22 20:06:41 | 意識
今、暮らしの中に物は溢れ、自然も四季それぞれに
様々な風情や味覚を与えてくれます。
ついうっかりすると、そういった快適な恵みの中に
ドップリつかってしまい、気がついた時は人生の大切な部分を
見逃してしまったと言う事にもなりかねません。

人生の大切さは、ゴールが見え始めてから
気づくもののようです。
今、自分が抱えている問題があるのなら
それを先延ばしすることなく、「今」が真剣勝負。
それが「今」を生きる事であり
「今」は時空を超えた永遠の「今」。
臨終に至るまで「今」の連続です。

ある本のエッセイを短縮して紹介してみました。

心は水のように

2006-10-17 21:36:50 | 意識
「有るものは与えられ、無いものは奪われる」という
どう考えても理不尽な言葉。
これは「物」の話ではなく「心」の話。

水はいつも生き生きと流れ続けないといけません。
これが、水たまりだといつか干上がってしまいます。

人の心も同じで、徳を積んでいる人は、徳が増え、
愛からは愛が生まれ出します。
しかし、その事に気づかない人は
いつか全てを失ってしまうという意味だそうです。

これは、前に読んだ本の中にあったエッセイですが
本当に気をつけないと。

念ずれば

2006-10-15 10:35:59 | 意識
本で読んだ、いい感じのエッセイをご紹介します。

ある日、寿司屋の大将がいい話を聞かせてくれました。
常連のお客さんが
花に「今日もきれいだね」と声をかけてあげると
花は一生懸命、きれいに咲くものですよ。
と、話しているのを聞いて
それならと、大将が寿司を握る時
「おいしくなれよ~」「おいしくなれよ~」と
話しかけてあげる事にしたそうです。
そうすると、気のせいかお客さんが一口食べて
「大将、うまいよ!」と言ってくれる事が増えたとか。

ある詩人が「念ずれば花開く」と読んだように
お寿司も、一生懸命に念じたから応えてくれたのでしょう。

私も部屋で何か植物を育てたいと思い
今までにいろいろ試したのですが
「これはなかなか枯れませんよ!」といわれて買った
「エアプランツ」さえ枯らせてしまう始末です。
やはり、愛情のこもった会話が足りなかったのでしょうね。

のれんに腕押し

2006-10-12 23:38:48 | 意識
テレビの番組で、ことわざをテーマにした
クイズのコーナーをやってました。
その中に「のれんに腕押し」という問題がありました。
私は「のれんに腕押し」といえば
「糠に釘」みたいに「張り合いがない」
というような意味だろう、としか思って無くて
その状況までは細かく考えた事もなかったと思います。
その回答ををアクションで演じていましたが
「のれんを相手に腕相撲をする」という意味だそうです。
「腕押し」とは「腕相撲」の事ですね。
ちょっと賢くなりました。

因果

2006-10-11 07:55:47 | 意識
前に読んだエッセイで
面白い物がありましたので
簡単にご紹介します。

子供の頃父親から
「よい友を持ちたければ、
まずおまえが相手にとって良き友になりなさい」
と言われた事がある。
その頃の父親は私にとって
とっても厳しい存在だったので思わず日記に
「父親がよい子供を持ちたかったら
まず自分が良い父親になる事だ」と書いてやった。
ところが因果は巡る物で、それから十数年たったある日
小さな事で夫婦げんかとなり、私は家を飛び出した。
深夜になってこっそり帰ってみると
私の机の上に、何処で見つけたのか、
子供の頃の日記が開いておいてあり
「よい妻を持ちたかったら
まずあなたが最良の夫になる事だ」と
荒っぽい文字で書かれていた。

と言った感じの内容でした。
確かに、一人がため息をつくと重い空気が伝染するし
イライラしてるとそのとげとげ感も広がってしまう。
できれば明るい笑顔のオーラを広げたいものです。

米の飯より、思し召し

2006-10-08 00:45:35 | 意識
以前読んだ、気に入ったエッセイのストックの中に
「米の飯より、思し召し」という言葉がありました。

「ご馳走はとってもおいしかったけれど
それを一生懸命つくってくれた
そのやさしいおもいやりの方が
もっと「おいしかった」という意味。

ご馳走をいただく時は、しっかりその味を賞味する事が
料理をつくってくれた人に対しての
エチケットなんでしょうね。
それと自然の摂理かも知れませんが
食卓に並ぶお肉や魚、野菜のひとつひとつにも
感謝ですよね。

おどろきをたてよ

2006-10-07 08:02:52 | 意識
あるエッセイで
「おどろきをたてよ」という言葉が
紹介されていました。
これは、「やさしく、やわらかで、
かたよらないこころで素直に感動できる」
という意味です。

人生の中で訪れる様々な感動との出会い。
ちゃんと大切に受け止めていきたいものです。
自分を元気にするための
「精神の蓄え」になると思いますので。

学ぶということ

2006-10-04 00:09:42 | 芸術
ある本にこんな話が紹介されていました。
少年が師に「人は何のために学ぶのですか?」と聞くと
師は「誰のためでもなく、おまえ自身のためだよ」と答えた。
「じゃあ、私が学びたくなければ学ばなくてもいいのですか?」と少年が聞くと
「それは駄目です。犬は学ばなくても犬になれるけど
人は学ばなければ人にはなれません」と師が答えた。
「でも、私は学ぶ事は嫌いです」
「学ぶ事はそんなに難しくないですよ。
例えばおまえがとっても空腹な時、私がおまえの代わりに
腹一杯食べてあげたとしても、おまえの空腹は
少しも満してあげる事はできないだろう。
それがわかれば、おまえはすでに学びを始めたのです」
少年は少し考えて「きつね丼が食べたい」と言った。

「自分の空腹を満たすには自分の口で食べる以外にない」
ということを、少年は学んだのでしょう。

2006-10-02 00:37:22 | 意識
ある本にこんな話が紹介されていました。
「貧乏人の貧乏人」というのは物心ともに貧しい人を言うそうです。
「金持ちの貧乏人」とは金は持っているが心の貧しい人。
この逆が「貧乏人の金持ち」。
つまり物質的には貧乏だが、心の豊かな人。
しかし、これが一番難しい。
普通は貧しくなると、心まで卑しくなりがちです。

ある意味、物欲を無くして
精神欲を高めるということ。
どんな風にしたらこうなれるのでしょう?

例えは違うかも知れませんが
阪神大震災の時、私が大事にしていたコレクションが
一瞬で駄目になってしまいました。
この時、物に執着していた自分に対しての虚しさを感じました。

避難所生活では、日頃顔は知っているが
全く喋った事のない人たちと、励まし合い、情報の交換をしました。
また、大学卒業後長長く会ってなかった友達から
避難物資が届きました。みんなとっても大変でした。
でも、みんなとっても優しくなれていた気もしました。

災害なんて決してあってほしくは無いのですが
その中で、大切な体験もさせてもらった気もします。