身体の声を聞く

腰が痛い、眼がかすむ、気が重いなど、
身体からの言葉に向かい合ってみます。

過ち

2006-09-30 00:43:16 | 芸術
ある本にこんな事が書かれていました。

「大切なのは自分が過ちをおかしたことに気づくこと。
その過ちをいつまでもくよくよ悩んで
なんとかつくろおうとするのは
割ってしまったお茶碗のかけらを集めて
つなぎ合わせようとしているのに似た愚かしさがある」
西郷隆盛の言葉

要は、同じ誤りを繰り返さないように
自分に刻み込むことですが、
最近は、自分が犯している過ちそのものに
気づいてない人が増えてきているのかもしれません。

人の欲

2006-09-28 01:11:23 | 意識
ある本にこんな話が紹介されていました。

本当に「人の欲」とは、いつの時代でも
人を地獄に引きずり込んでしまうものです。

◎言葉がいらぬのが仏の世界
◎言葉が必要なのが人の世界
◎言葉が通用しないのが地獄

言葉が通用しなくなったら
あとは実力行使しかない。
弱肉強食で敗れたその時は
一応収まったかのようだが
怨恨は延々と続きます。

武力は平和をうみだした試しはないようです。

物質的な貯蓄より
精神的な部分の貯蓄を大切にできればと思います。

荷心香

2006-09-22 20:55:11 | 意識
ある本に、こんなお話が書かれていました。

その色紙には「荷心香(かしんかんばし)」と書かれていました。
「荷」とは「蓮」のことを意味します。
つまり、「どんなに泥沼の深いところにあっても
蓮は、いつかかならず芽を出しきれいな花を咲かせる」という
本当にめでたい言葉なのです。
でも、その為にはどんな障害にも屈しない
明るく強い、自分の目的心を失ってはならないということでしょう。
だからこそ蓮の花は見る人を癒し、元気をくれるのかもしれません。

漫画の「巨人の星」で天才、花形満を語る時
「白鳥は一見優雅に泳いでいるように見えるが
水面下では必死で足を動かしている。
天才とは1%の素質と99%の努力だ!」
すこしずれているかも知れませんが
このストーリーを思い出してしまいました。

善根

2006-09-20 22:35:53 | 意識
仏教用語かと思いますが
今読んでいる本にこんな言葉がありました。

「善根」とはいい報いを受けるきっかけとなる「よい行い」の事、
つまり、「根」のように、人の目につかないところで
ひっそりと人の幸せを祈っている事をいいます。

日頃から見えないところで培った「善根」が
その人の魅力を輝かせるのでしょうね。

底抜け

2006-09-18 11:58:18 | 意識
ある本に、「『底抜け』ということは、生きていく上で大切なものです。」
という短いエッセイがありました。
何だろう?と思って読んでみると

食べ物でも、口から入ったモノは、
ちゃんと出ていくようにできています。
知識や情報も同じ事。
見たり、聞いたり、読んだりした情報が
そのまま、全部残ってたらもうパニック。
ちゃんと忘れていくという「底抜け」があるから
気持ちよくいられる。
くだらないことは片っ端から忘れていくことです。

「苦しみの根源」は知らず知らずに
「人を許せない」という念がたまってしまうこと。
気持ちの「底抜け」ができなくなってしまった時
苦しみも始まるということらしいです。

「拳児」という漫画にこういうシーンがありました。
拳児がいろいろな門派の武術を学ぶ事になり
拳児が「せっかく皆さんに教わっても
たくさんのモノを全部身につける自信がありません」老師にというと
「だったら経験するだけでいい。身につけなくても構わない」
「忘れてしまってもいいんですか?」と拳児が聞くと
「学ぶには上達と下達がある。
上達は小技にとらわれずに物事の根本を理解する事。
下達とは小手先の技ばかり集める事に執着して
根本を理解しないことだ。根本をつかむんだ」
というやりとりがありました。

何となく考えさせられます。

空き樽

2006-09-16 20:36:06 | 意識
「空き樽は音が高い」という言葉があります。
「中身の無い空き樽ほど、叩けば高い音がする」という意味で
考え方の浅い人ほど、よく知りもしない事を
知ったかぶりで、ベラベラ喋りまくるという事。

めったに喋らない人がぼそっと言った一言。
これがとっても意味深かったりするものです。
かっこいいですね。

またまたお気に入りの本に書かれていたお話です。

一水四見

2006-09-14 21:25:19 | 意識
ある本に「一水四見」という
気になる言葉がありました。

一つの水を見ても
天人はこれを「瑠璃」と見、
人は「飲料」、餓鬼は「血」、
魚は「住処」と見るといいます。

これは自己を中心にモノを考えると
すべてのものが、異なったモノに
見えてしまう、と言うことです。

辛抱を楽しむ

2006-09-13 06:47:10 | 意識
「辛抱する」と言うことに対して
「私は我慢しているんだ」と歯ぎしりしながら
こだわっている間は、まだ駄目。

そんな、いじましい思いをいつも心の中で
ジトジト考えていると
性格まで暗くなってしまう。

「辛抱」の先には「信望」が待っている。
そう思うと「辛抱」も楽しむことができるのでは。

(本に書かれてあった、気になる言葉でした)

いい人、色々

2006-09-11 22:56:03 | 芸術
刑務所に入っていた男に聞いてみました。
「やっぱり刑務所に入る人たちって
ぱっと見、悪人面ですか?」
男は、ビックリしたような顔で
「とんでもない。みんないい仏面してますよ。
悪党というのは人前では本能的に仏面になるんですよ」

確かに、世の中にはいい人と言われている悪い奴がいっぱい。
「本当にいい人」と「偽のいい人」との見分けがとっても難しい。

ただ言える事は、「本当にいい人」は一人で居てもいい人なのだが
偽物は常に人前にいないといい人ではいられない。

以前に読んだ本で紹介されていたお話。
お気に入りに書きとめていました。

忍耐の友情

2006-09-10 23:25:41 | 芸術
「友情は、どちらか一人の忍耐が必要」と
何かの本に書いてました。
これは、友情だけに限らず、恋愛でも
人間関係は我慢させる役と、我慢させられる役を果たす事によって
結ばれているのかもしれません。
だから、友情とか恋愛関係が何かの弾みで
あっさり切れてしまう事もありますが
たいてい、我慢させられる役の人が
我慢するのを止めた時かもしれませんね。

みんな、「我慢しているのはわたしだ!」と
思っていたりして。

その本はこう閉めていました。
「友情は第二の自分」というくらいだから
友情関係がしっかりしているかどうかは
結局自分の心がけひとつなのですが。