2016年5月28日 愛知県
岡崎城 100名城
愛知県岡崎市康生町
家康天下統一への拠点であり、岡崎市の歴史文化の象徴である岡崎城は、享徳元年(1452)から康正元年(1455)にかけて三河守護代大草城主、西郷稠頼により築かれ、70年ほど後に家康の祖父・松平清康が入城しました。家康の父・広忠が殺された後は、今川氏の勢力下におかれていましたが、桶狭間の合戦後、家康が再び入城しました。家康は永禄7年(1564)三河一向一揆をおさえ、城郭の整備を行ない、ほぼ全三河を平定したことで、後の天下統一に向けて動き出します。
▲東隅櫓
このやぐらは、平時に弓矢などを収める武器庫として使われる一方、合戦が起きれば城壁に近づく敵を攻めるための陣地とすることになっていた。今回完成したやぐらは江戸時代の様式で、はりや柱に松やヒノキを用いた「木造望楼式二重櫓」として復元された。 2010年3月
天守閣
城郭の大部分は明治6年から7年にかけて取り壊されてしまいました。 このあとは、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりでありましたが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないとする市民の思いは強く、昭和34年(1959)に、ほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元されました。
大手門 1993年(平成5年)に再建
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