2016年5月26日 滋賀県
長浜城
滋賀県長浜市公園町
戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として過ごした長浜城は、江戸時代前期に廃城になり、遺構は彦根城や大通寺に移築されました。その跡には、僅かな石垣と井戸だけが残されていましたが、昭和58年(1983)に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」を復元されました。内部は歴史博物館として公開されています。
太閤井戸:琵琶湖岸に建つ「太閤井戸」の石碑です。この井戸は昭和4年(1929年)に琵琶湖の渇水によって発見されたもので、発見当時は、厚さ3センチメートルほどの木の板で囲まれた状態であったといいます。現在は、長浜城ゆかりの遺跡として、周囲を石で囲んで保存されています。
長浜城天守閣跡と豊臣秀吉之像
▲豊臣秀吉之像
▲長浜城石垣根石
旧長浜領境界碑
長浜は、秀吉によって特別に町屋敷の年貢米三百石を納めることを免ぜられた。この特権は徳川幕府にも認められ、他地域とくぎるための石碑が、江戸時代のはじめ長浜町のまわりに建てられていたといわれる。なおこの境界碑は「これより東 長浜領・これより南 長浜領」と記され、もとは長浜町の西北隅に建っていたと思われる。
天守閣風の長浜城歴史博物館
資料館からの琵琶湖
伊吹山
秀吉の馬印の千成瓢箪
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