街道ウォーク>旧東海道>3回目 藤沢駅~風祭駅
2011年5月6日 3回目
酒匂川
酒匂川(さかわがわ)は、静岡県および神奈川県を流れる二級河川。静岡県内では鮎沢川(あゆざわがわ)と呼ばれる。
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2011年5月6日 3回目
酒匂川
酒匂川(さかわがわ)は、静岡県および神奈川県を流れる二級河川。静岡県内では鮎沢川(あゆざわがわ)と呼ばれる。
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2011年5月6日 3回目
海が見えてきた
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2011年5月6日 3回目
押切坂一里塚跡/松屋本陣跡
▲押切坂一里塚跡(二宮町)江戸から18番目の一里塚
▲説明によると押切坂一里塚ではなく二宮の一里塚とあるが・・・
▲松屋本陣跡▼
このあたりは、大磯宿と小田原宿の中間に位置し、大磯宿~小田原宿の距離が16キロメートルと長い上、押切坂、酒匂川を手前に控えていることから、間の宿(あいのしゆく)として休憩所が設けられ、大友屋・蔦屋・釜成屋など多くの茶屋や商店が軒を並べ、「梅沢の立場」と呼ばれて、大変賑わっていました。 その中心的存在となっていたのが「松屋本陣」であり、参勤交代の諸大名・宮家・幕府役人など、特権階級にあたる人達の休憩所に指定されていました。「松屋」であった和田家には、本陣を利用した人々の記録である「御休帳」が保存されていて、二宮町指定重要文化財になっています。二宮教育委員会
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2011年5月6日 3回目
東海道松並木
▲松並木 沼津56km 小田原18km地点 (国道1号)
江戸時代、幕府は東海道を整備して松並木、一里塚、宿場をもうけ交通の便を良くしたので、参勤交代や行商、お伊勢参りなどに広く利用されました。松並木は、今から約400年前に諸海道の改修のときに植えられたもので、幕府や領主により保護され約150年前ころからはきびしい管理のもとに立枯れしたものは村々ごとに植継がれ大切に育てられてきたものです。 この松並木は、このような歴史をもった貴重な文化遺産です。とある。
▲松の樹皮は歌舞伎煎餅のように見えてしまう・・・
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2011年5月6日 3回目
上方見附 (大磯町)
見附とは本来城下に入る見張りの門のことであるが、江戸時代の宿場の出入り口にも見附を置き宿場を守る防御施設として造られた。街道を挟んで両側に台形状に石垣をもって造られ、高さは一・六米程でその上に竹矢来が組まれていた。 この見附は平和な江戸時代に防御施設としての役目はなくなり、旅人に宿場の出入り口を示す役目をはたすようになった。この「上方見附」は東小磯村加宿のはずれにあり、現在の「統監道」バス停付近にあった。そこには宿場の出入り口である表示の御料傍示杭が立っていた。この見附は平和な江戸時代に防御施設としての役目はなくなり、旅人に宿場の出入り口を示す役目をはたすようになった。
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2011年5月6日 東海道 3回目
虎御石 (大磯宿史跡)
曽我十郎の剣難を救った身代石。 また虎御前の成長につれて大きくなったと言われる生石である。江戸時代の東海道名所記に「虎が石とて丸き石あり、よき男のあぐればあがり、あしき男の持つにはあがらずといふ色好みの石なり ・ ・ ・」とある。 この場所におかれていた。 大磯町
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2011年5月6日 3回目
平塚宿京方見附/平塚宿石碑/高麗山
▲平塚宿京方見附
東海道五十三次の宿場として栄えた平塚宿の家並みは、空襲やその後の区画整理により、往時を偲ぶ面影が残っていません。 宿場の西の入口であった京方見附の場所も定かではなくなりましたが、先人たちの言い伝えや歴史資料等によりこの辺りにあったものと思われれます。 初代広重によって描かれた東海道五十三次平塚宿の錦絵もこの付近からの眺めのもの思われ、変わらぬ高麗山の姿に往時の風情が偲ばれます。
▲平塚宿石碑
▲高麗山(こまやま)
東京方面から湘南へ向かう車窓から最初に見える大磯の緑の風景、湘南平の東側に位置する海抜165メートルの山、それが高麗山です。江戸時代末期までは山全体が高麗寺の霊域として保護され樹木の伐採が禁じられており、明治期には宮内省官吏の御料林となり昭和13年に神奈川県に下賜されてからも引き続き保護されてきました。
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銀杏並木
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2011年5月6日 3回目
馬入一里塚跡(15里)
神奈川県平塚市馬入本町付近
慶長九年(一六〇四年)、徳川幕府は東海道など五街道を整備し、江戸日本橋からの距離が分かるように一里塚を整備しました。一里塚は街道に一里(約四キロメートル)ごとに造られ、築造時の資料によれば、五間(約九メートル)四方の塚でした。塚の上には、目印として主に榎が植えられました。旅人にとって一里塚は、旅の進み具合を知らせる目印であるとともに、木陰は休憩場所にもなりました。 馬入の一里塚は、この付近にありました。江戸日本橋から数えて十五番目の一里塚で、旧東海道をはさんで南北に一つずつの塚がありました。元禄三年(一六九〇年)に出版された「東海道分間延絵図」には、北側の一里塚の前に井戸が、馬入の渡しに向かう東側に川会所や川高札が描かれています。 平成十六年(二〇〇四年)三月 平塚市
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2011年5月6日 3回目
馬入川
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2011年5月6日 3回目
旧相模川橋脚
神奈川県茅ヶ崎市下町
旧相模川橋脚は、大正12(1923)年9月1日の関東大震災と翌年1月の余震によって、水田の橋杭が出現した全国的にも珍しい遺跡です。当時の歴史学者沼田頼輔博士によって、建久9(1198年)(鎌倉時代)に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋と考証されました。
大正15(1926)年10月20日に国の史跡に指定され保存されてきましたが、一部に腐朽が進んできたため、平成13(2001)年から保存整備事業を実施しました。
整備に伴う調査で、橋脚の様子が確認されたほか、新たに中世土留め遺構も発見され平成19年2月6日に追加指定を受けています。また、地震の痕跡やこれまでの保存の歩みを残す史跡としても注目されています。茅ヶ崎市ホームページより
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2011年5月6日 3回目
松並木 茅ヶ崎高校付近
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2011年5月6日 3回目
東海道の松並木
▲東海道松並木の説明板▲
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2011年5月6日 3回目
54kmポスト
▲三条まではここまでの10倍はあります。
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2011年5月6日 3回目
旧道の様子
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