信徒と非信徒の境目

2014-06-19 00:03:27 | 宗教分析

いったい何をすると仏教徒というカテゴリーに入るのだろうか?

そしてまた何をすると神道の氏子になるのだろうか?

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7 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-06-19 02:10:10
ていうか・・・

葬式や結婚式のしきたりに従うだけで、果たして我々は教徒・信徒になってしまうのか?
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Unknown (69)
2014-06-20 18:56:10
うむ、そいつはいい疑問だね。「なってしまう」という言い方から不本意さを表現していると認識したんだけど、そうすると外部からのカテゴライズの話をしているわけだよね。それは前に「日本人の『無宗教』に関する覚書」という記事も書いたので参照してくだされ。

ただその疑問は、たとえば公共の建造物を建てる土地にお祓いをすることは政教分離に反するか否か、てことにもつながってくることだと思うんだよね。特定の信仰をしているがゆえの行為じゃない、から許されるという論理は議論の余地があるね(というか、かつて実際に裁判になって村上重義などが証言したりしてるんだけども)。
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Unknown (Unknown)
2014-06-21 02:01:32
本当に難しい議論だよな(^_^;)

政教分離なども含めれば、本当に複雑(^_^;)

逆に問いたいのだが、藤田くん、あなたは信徒・教徒ですか?
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Unknown (69)
2014-06-21 11:37:13
いいえ、無宗教です。
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Unknown (Unknown)
2014-06-21 18:31:02
なるほどね(^^)回答ありがとう♪

なぜこの質問か?

この複雑な疑問に個人レベルの回答を導くためのものです(^^)

少なくとも、藤田氏は自分の事を「無宗教」と位置付けているわけで、それにはその根拠があるはず(^^)

まあ、自分なりの「答え」は見えるわな♪

もっとも、その基準を社会全般までに一般化・普遍化は出来ないだろうけどね(^^)
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Unknown (69)
2014-06-24 01:04:22
うーん、当たり前すぎることを書かれてもコメントしづらいんだが・・・

自分がなぜ無宗教だと思うのか、あるいは無宗教と思うに至ったのかこそに興味があるのなら、滝にでもうたれるかヤクでもやってりゃいーんじゃね?

わかりにくいなら例えばこういうことだ。歴史にそれほど興味がない人でも、戦国時代や幕末に興味がある人は少なくない。その中でも坂本龍馬はもっとも人気のあるキャラクターの一人で、仮に自分もまた龍馬が好きだったとしよう。なるほどそこで龍馬を好きである理由、あるいは好きになった理由を考えるのもよかろう。

しかし俺はそのようなアプローチに興味はない(ちなみに以前よく書いていた「属性」とその淵源の記事はこれと矛盾するように見えるかもしれないが、それについてはいずれ言及することになるだろう)。むしろ坂本龍馬なる人物がいかようにして今日の日本社会でこのような評価をされるにいたったかを探るというベクトルにいくだろう(西郷隆盛との役割変化とそのタイミングetc)。なぜならそれが、俺が彼を好むようになった大きな要因を構成しているからだ(フーコーとサルトルの論争を思い出してみるのとよい)。

無宗教に関する話も同じことだし、ついでに言えば感情・感覚に素直に従っていれば自分は自由だと思っている連中を心の底から軽蔑している理由でもある。
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Unknown (Unknown)
2014-06-24 12:58:08
なるほど。これではダメか・・・
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