ひぐらしは最初から推理ゲームであった

2007-08-20 00:36:40 | ひぐらし
さて、うみねこのサバイバルゲームもそろそろ大詰めというところだが、終わらせてしまう前に前回の記事に関連して「ひぐらしは最初から推理ゲーム、もしくは推理を多分に意識したゲーム」であったことを述べておきたい。


もちろん、こんな当たり前のことを書くのには理由がある。というのも、結論(祭編orひぐらし礼)まで見た後でひぐらしは(推理ゲームではなく)「物語」として捉えるべきなのだと言う人たちがいるのだけど、彼らの中にはその見方を罪編以前にまで適用している人が少なくないように思えるからだ。俺は暇つぶし編以降「オカルト混入はありかなしか」などをテーマに掲示板で推理を戦わせてきたし、かつそのような人たちを見てきたので、結果だけ見て「前のプレイヤーはなぜそんなことで悩んでたんだろう」的な発言は癪に障るものがある。お疲れ様会で作中人物が「祟り派」「人為派」の議論をしているのを観れば、当時はそもそも推理の枠組みからして考えなければならなかったと容易に理解できるはずなのだが、そのことを結果から正当化する人たちは見えない、もしくは見ようとしていないようだ。ひぐらしの公式掲示板を「壮大な思考実験場」と名づけた連想から言えば、彼らの様子は歴史的文脈を考えずに事件の結果だけ見て過去の人々の判断を賢しらに評価する人々と同じに見える。様々な可能性が考えられる中でどの選択(答え)を採るべきかを論理的・合理的に判断しなかればならなかったという制約を考えず、ただ結果からの関係でしか論じないのだ。彼らには推理してきた人々の営為は理解できないし、実のところ誰が信じれるのか、誰が犯人なのか、いつ自分が被害者になるかという圭一達の苦悩も理解できないのである。


さてここで、ひぐらしが元から推理ゲームであったと言える理由を明示しておこう。まず「惨劇に挑め」というジャケットに書かれた謳い文句である。そして前述したようにお疲れ様会では作中人物が「人為派」と「祟り派」に分かれて犯人のみならず犯行の動機や方法について議論していた。これだけやってもなお推理ゲームじゃないのなら、「推理」の定義自体を変えた方がいいだろう。それだけではなく、煽った上に掲示板も作り、そこで自説を戦わせることを通してひぐらしはどんどん拡大していったわけだから、もし作者が万一にもそれを自覚していないのだとしたら、無知蒙昧もいいところである(ひぐらし解の内容からすればその心配はなさそうだが)。


では最後に、推理ゲームではなかったという論そのものを見るが、およそ二つのタイプに分けれると考えている。

A.客観的に見て推理ゲームではない
上で述べたように、ひぐらしは推理ゲームもしくは推理要素の多分にあるゲームであったことは疑いがない。要はこの種の手合いは分析が足りないだけだと言える。

B.ひぐらしを擁護したいから(批判に我慢できない)
上記のように、作者サイドが推理ゲームとして煽り、それによってひぐらしが拡大してきたことを自覚していないのだと考えるのは、むしろ作者がバカということになって作者を貶める結果になる。そのことを理解しているのだろうか?


以上まとめると、ひぐらしはほとんどその最初から推理ゲームもしくは推理要素の強いゲームであったし(※)、その事を作者サイドが前面に押し出した(お疲れ様会、掲示板など)ことがひぐらしがあれだけ広まった一因であった。その事を認めないのは、正確な分析でないばかりか作者を貶めさえすると言えるだろう。



ただし初期バージョンにお疲れ様会があるかは確認していない。もし確認できたなら、自説はますます補強されるだろう。また仮にその頃のには無くても、鬼編~暇編バージョンで導入されていることは間違いないのであって、ひぐらしが推理を強く意識したゲームであるという見解にはいささかの問題もない。

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1 コメント

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推理小説だったのでしょうね (眞鍋かとり)
2009-05-03 08:37:23
私は全部パックを一通りやっただけですが、ブログにも書きましたが、前半推理小説、後半に方向性に変化と見ております。

おっしゃるようお疲れ様会、パッケージの文言など、推理ものであったと理解するのが妥当な内容ですから。

仮に最初から非推理ものであったとして、広くコンシューマー市場に打って出た際に、なぜ推理小説色を消さなかったのかという疑問もあります。

おそらく、ひぐらしが現在竜騎士氏がいうようなゲームであったとして、商業ベースで考えると受入れ層に限界があるためでしょう。

前半の推理ゲームの色合いをあえて前面にプッシュし、一般ユーザーを取り込もうとしたのでしょう。

後半の方向転換にユーザーが疑問を抱き「なんだこれ?」となるのは承知の上だと思います。

それをユーザーへの背信行為だと捉えるか、あくまで商業的成功を優先するかは、人によって違うでしょう。

もちろん、その判断は製作・販売サイドの自由ですし、実際商業ベースでは成功しているのでしょう。

ただ、熱烈な信奉者であれ、作者であれ、ひぐらし初期が推理ゲームであったという由来を、過去に遡って否定すると、事実をゆがめてしまい、それこそゲームの否定につながりかねません。
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