という黄金のカルテットが一般的傾向となれば、冠婚葬祭は(虚栄の意味も余裕もないので)簡略化が進んで金持ちの道楽と化し、パートナーなき中年や老後のオアシスは(自分に都合が良くコストも抑えられる)電子ペットのような存在になっていく・・・
こう言うといかにも露悪趣味の皮肉と思われるかもしれないが、慶事も弔事もしばしば同調圧力の影響を受けていることは明白で、かつこれからはパートナーなき独居老人が増え経済的余裕のある人間が減っていくことを踏まえれば、むしろ適応による論理的必然だと考えるのだが、あなたどう思いますか?
ちなみにワイはすでに臓器移植の登録を終えておりやす。なぜなら、その方が虚栄にカネ払って信じてもいない連中のメシウマに貢献するよかよほど社会にとって有益だからネ(・∀・)
以上。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます