天川蛍シナリオの意味

2006-03-22 21:19:43 | 君が望む永遠
※この記事にいたる前提は「君望:孝之の苦悩を理解するための視点」「君望:スケープゴートとしての文緒エンド」を参照。また、いきなりこの記事に飛んでくる人は少ないと思うので、説明はかなり省略する。


(シナリオの特徴)=人が死ぬ

(シナリオの必然性)=なし

(テーマの重要性)=大


君望は基本的に人が死なない。どれほど絶望的状況になったりあるいは交通事故に遭おうとも、昏睡までしかいかない。穂村エンドや茜昏睡エンドのようにかなりヤバい内容のものがあるにもかかわらず人が決して死なないと言えば、多少はそれが特徴的であると自覚してもらえるだろうか(自殺エンドが一つくらいあってもおかしくない)。そんな中で、蛍シナリオだけは人が死ぬ。しかも自殺のように自ら選ぶのではなく、病死という望まない死に方によって。

孝之たちの苦悩は非常に大きなものだった。しかし生きていればこそ、たとえどんな辛い状況になったとしても、受けた傷が癒えるかもしれないし、昏睡から目覚めることもあるかもしれない。だが、死という終焉を迎える蛍にはそれすらできない。言い換えれば、「望まぬ死」というある意味で最大の悲劇を見せることによって、孝之たちの苦悩が「解決できる可能性がある=まだまだヌルい」ものだと表現されているのである。

念のためもっとわかりやすい例を。足を骨折した人に対して、「(ひどい怪我だったのに)足を切断せずに済んでよかったね」というのと同じである(骨折しても直るけど、切断した足は生えてこない)。無批判な現状肯定のように聞こえるかもしれないが、視野が狭くなってしまっている人間に対しては重要な視点あるいは提言だと思うがどうだろうか。

で、この視点がそのままメインヒロインルートの香月医師の言葉とリンクしてくるわけである(「誤った道を示したら、一生そのままになってしまう」「時が傷を癒してくれる」など)。実際に選択の余地のない最期を見せられればこそ、逆に(それと比べれば)辛くても何とかしうる状況というのが見えてくるという構図である。そのことが実感できたなら、香月の言葉が単なる理想論ではなく、物語全体として重要な、非常に重要なセリフであることをはじめて理解できるだろう。

やや大げさな言い方になるが、蛍シナリオにおける選択不可能な死という最期によって、君が望む永遠における悩める人々の姿と苦悩の構図は完成したのである。その意味で、メインヒロインルートに劣らない意味と価値を持ったシナリオだと言えるだろう。しかしめんどくさいことに、このシナリオはそれだけで終わらない。というのも、シナリオ自体の出来がかなり悪いのである(苦笑)次回はそれがどんな内容か述べることにしよう。


※誤解されないよう強調しておくが、上で書いたのは私の人生観ではなく君望が提示するものの見方である。

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