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スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【In those days】(8)

2015-05-27 06:11:40 | 【三茶物語】

昼は仕事、夜は親友の大井町にあるBAR:Wombを手伝っていた。この二つは両方大事で、両方大切だった。なぜかといえば、チベットと中国に行くという計画の実現が目前に迫っていたからだった。大学時代に一度チベットに行き、悔いが残った計画をもう一度チベットに行き実現させたかった。実際は実現させる前段階の下調べのような目的に変わってしまったが、それはそれで大きなチャレンジだった。一人旅でチベットと中国に40日間滞在する。友人、店の人たち、お客様に宣言した手前引っ込みもつかない。行く以外選択肢はなかった。

言い訳にはなるかもしれないが、正直好きだの、惚れた晴れたどころではなかった。女性にコミットできなかったのはそういう背景もあった。やりたいこと、やるべきことがあった。

1971年6月蟹座生まれ。蟹座というのは、家族を思う星。恋愛に入ると、それが一番になり、それが全てになる。占いというのはほどほど信じていればいいのだけれど、このことに関しては、悔しいほどに当てはまっていた。チベットに行くには何しろお金がかかる。旅をしている間はもちろん戻ってからの蓄えも必要。旅の資金はまだ十分ではなかった。それでもBABYに行っていたのはその目的を果たすマインドやスピリットを支えるためだった。マインドが折れ、スピリットが萎えるのは致命傷だった。マインドとスピリットが立っていることが結果を出すうえで不可欠だった。もう引き返せなかった。
だから旅立つ直前まで働いた。そして奇跡は起こり無事旅立つことができるのだが、これはまだ奇跡が起こる前の話。ともかくその時仕事は重要だったが、決してうまくはいっていなかった。むしろあせっていた。

そんな最中、また衝動が起こる、まっすぐ家に帰りたくない病の発症だ。資金のこともあるので節約したかった。5、6分BABYの前をうろついた末、地下に続く階段を下りていく自分がいた。マスターの顔見て帰ろう、そして店に入っていった。

客は4~5人、新規、常連の顔ぶれ。そしてその中に彼女がいた。


【Another Monday<2>】(7)

2015-05-26 07:19:24 | 【三茶物語】

そしてまた次の月曜日。メールが来る。
「Bel Canto」(ベルカント)にいます。

「Bel Canto」は三角地帯の角のBAR。そこの店の売りは店主のTAAKOさんだろう。ベリーダンスを嗜み、時にギターを、時にアコーディオンを、時に歌をうたう総合エンターテイナー。年齢不詳ながら妖艶な美しさがあり、程よい毒があり、彼女の関わるものは全てアートに変わっていった。そして何より人が好きで、新規と常連のお客様をすぐ繋げようとした。
夜のBAR探索にはそういうのは煩わしいと思うところもあったけど、TAAKOさんにかかるとやな感じはなかった。初めて合う人でも時折盛り上がることもあった。お酒より、人と空間に酔いに来ていた。その店で飲んでるとのメール。
しばらくBel Cantoにも行っていなかったということもあって、というよりまっすぐ帰るのが嫌で店に向かった。するとマスターとTAAKOさんそして彼女が飲んでいた。

前回点線から実線に変わった見えない線は少し濃くなっていた。工事の時に使う黄色と黒のあの虎紐ロープのようにここから先は入ってはダメという意味がその紐には込められていた。

マスターは彼女を誘い、彼女が来る。それが一つの答えだった。そしてそう思い込んでいた。

酒が入れば、男の話、女の話はつきもので、時折「下」の話に飛び火する。そんなとき彼女は下ネタの話もうまく受け、うまく流していた。それは女性版の闘牛士、マタドールだった。赤い性の角をヒラリヒラリと笑いながらかわす。そんな受け答えを見ていると、彼女のBAR MORINOKOでの接客が垣間見えた。一度も接客は受けたことはなかったがクリアにイメージができた。老若男女、お客様がたくさんつくだろうなと思った。

その日のマスターとの会話で彼女に「彼」がいないことがわかった。そして昼間は病院に勤めていること、資格取得のために専門学校にも通っていることも。なぜBARで働いているかということはよくわからなかったが、マスターとの会話で、コミュニケーション能力に長け、人を惹き付ける魅力があることはよくわかった。二人の話は気持ちよかった。その日はTAAKOさんと話したり飲んだり相槌をうったりで、特に深い話はなかったが、気さくなたわいもない世間話が日常で失われた魂の隙間や、欠けたところを埋めていった。

深夜の飲みは、明日があるという理由で、落ちをつけずにお開きとなる。
帰りの信号待ちで、たまたま自分と彼女が二人並んだ。

「いい人はいないの?気になる人とか」
世間話として聞いてみた。あくまで世間話として。

「よくわかんないのよね。この間もうちの非常勤の先生と飲んでて、帰りしなフレンチキスなんかするから・・・男の人ってどうなの?」
「勘違いしちゃわない?」

「そりゃするわな。で・・・」

信号が青になるまでの時間が、やたらと短かった。
信号を渡ると自分は右へ、彼女とマスターは左だった。

帰りの自転車でペダルをこぎながら、マスターと彼女のことを考えた。確かにマスターと彼女も合うと思う。でも彼女は病院で、医師と結婚して幸せになる典型的なタイプかもしれない。相応の努力をし、女性としての魅力持ち、加減のいい心地よいコミュニケーションができる彼女。
彼女のことはまだよくわからない。でも一つわかったことがあった。それはどの道彼女は間違いなく幸せになるということだった。それは彼女と自分にある実線を越えて、実感と確からしさがあった。

「彼女は幸せになる」その想いは確信だった。

【Another Monday<1>】(6)

2015-05-26 07:08:18 | 【三茶物語】

LOVIN’G POWERはすずらん通りの西友寄りにある雑居ビルの2階にあるSOUL BAR。BABYのマスターとオーナーがSOULつながりで交流があり、そこもまた音楽好き、SOUL好きの社交場になっていた。店に入るとカウンターと壁に面して高いテーブルが2つ並んでいる。いつもカウンターに座るマスターがその時は、高いテーブルに座っていた。そして向かい合うように例の女の子が座っていた。
マスターが店のお客様と飲むことはたまにあるらしかったが、女性と一緒というのはめずらしかった。MORINOKOにも何度か行ったが彼女と会うことはなかった。だから彼女を見るのは、年末の「よろしくお願いしま―す」以来だった。マスターと彼女は仲が良かった。夜店にお客様がいないときは、何人かの常連さんにメールをする。そのメンバーの中に彼女がいた。店というのは「待ちが仕事」。そこに人がいるのといないのでは雲泥の違いがある。人が人を呼ぶ。そして客層も誰がいるかで変わってくる。気が気を呼ぶのだ。
そのとき彼女は髪がロングで背中まであり、黒縁の眼鏡をかけていた。スパッツの上にではあったがやや短めのスカートを着ており、赤いVネックのシャツにグレーのニットを羽織っていた。長い脚を組み、肘をついてマイルドセブンを吸っていた。色気があった。彼女はマリブコークをゆっくりと唇を湿らす程度に飲んでいた。

当然こう思っていた。彼女はマスターのお気に入りのお客様だということを。
この認識が彼女と自分の最初の距離感を定めさせた。マスターにステディな彼女がいないことは知っている。BABYは自由の聖域でマスターはそこの司祭だった。おのずとその線は決まっていった。

彼女は音楽好きで、その年の割にレコードプレイヤーを持っていた。その年・・そう彼女は29歳だった。20代最後、崖っぷちとよく笑っていた。マスターと彼女はSOULの話をしていた。自分のSOUL好きは、ミーハーなノリと雰囲気が好きなだけで、その辺の周辺知識はなかった。アルバム名やB面のあの曲やらなんて話にはまったくついていけない。マスターはやはりSOULに造詣が深く詳しかった。その話に彼女はついて行っていた。マスターはちょっとしたプロフェッサーでもあった。だからプロのソウルシンガーが来ても十二分に渡り合えたし、SOUL好きのマニアや専門家とも話が弾んでいた。そういう話の時は残念ながらついていけなかったが、話の背景を想像すると、その奥深さは感じられ、SOULのジャンルに対しての畏敬の念を持った。ただの酒の盛り場ではないことを喚起させた。ここにも文化が生まれる土壌があると思えた。
そんな場所を知っている。そしてそこの登場人物になれていることはちょっとした優越感があった。

彼女はそんな話によくついていけていた。そして自分の好みの音楽を持っていた。マスターとの会話はリスペクトと置いてきぼりの感覚で50/50だった。ただ時の経過とともに、話の濃さとともに彼女との自分の一線のラインは点線から実線になっていった。その日はマスターと2次会に行った。

彼女とはそこでバイバイとなった。特別な話は一切なかった。ただ2次会に彼女がいない、そのことが一抹の名残として漂った。酒の周りが早かった。


【線】(5)

2015-05-25 04:58:49 | 【三茶物語】

月曜日BABYはお休みだった。マスターも休みだったので、そんな時は三茶のBARで一緒に飲むこともあった。そんな長時間でもないし、拘束もない。お互いの時間を大事にしてくれていた。
よく行ったのが【MORINOKO】(モリノコ)というdining BAR。三茶の西友の目の前で、雑居ビルの地下にあった。MORINOKOのマスターとBABYのマスターが仲が良く、休みの日や、MORINOKOが早く終わるとよくBABYに足を運んでいた。同業界の交流もさることながら、店に人がいること、お客様がいることをお互いよく理解していた。あとは単純に飲むのが好きというのもあるだろう。

マスターの紹介もあって自分もMORINOKOには時々行った。その店は大学生のイケメンバイト君、女子大のキュートな可愛いバイトさんがいた。オーナーは別にいるらしかったが、店を回すのはマスターに一任されていた。BABYの倍以上の広さもあるDining BARで、客層も客数も違っていた。テーブル席もあったが、カウンターに座り、バーテンさんやスタッフさんとの距離感を楽しんだ。最初は座りづらかった高めのイスも次第に慣れていった。安心感の材料としては、BABYのマスターが編集したCDを流しており、ここでもよくSOULで満たされた。カウンター越しにリキュール・ウィスキー・バーボン・ワイン達が林立し、三茶に世界のどこかで醸造された酒が集まっていた。ここもまた夜の世界、無意識の空間だった。

そこであの女の子は働いていた。ただ年末から1カ月は過ぎたが、その女の子に会うことは一度もなかった。シフトで月曜日を外していたからだった。

そんなとある月曜日BABYのマスターからメールが来た。

「LOVIN’G POWERで飲んでます。」

月・火曜休みが多かったこともあり、タイミングが合えば、マスターと飲みに行った。
その日も、どうするか迷ったがまっすぐ帰ることが寂しかった自分はその店に向かった。


【DESIRE/LUXURIA】(4)

2015-05-25 04:31:50 | 【三茶物語】

BABY通いには色んな意味があった。それは「色情」つまりは風俗について。

前の彼女と別れてから3年の月日が経過していた。その間に片思いがあったり、なんとなくいい人だったり、それとなく一緒に食事できる友人は何人かいた。
ただそれらは、いずれも発展することなくうまくいかなかったり、自然と連絡が途絶えた。それはそれだった。なぜだろう?と思うところもなくはなかったが、そんなもんだろうという思いがほとんどだった。だからその当時は、女性に対して中途半端だった。強く意志や想いを注げなかった。空振りの連続だったが、始末がもっと悪いのは全力の空振りでもなかったことだった。だらしなかった。それとは反比例して性欲はなくならない。むしろ抑えることができなかった。街で出会った人をナンパして・・・という度胸もなく。お店のお客様は当然もってのほか。友達にはしがらみを恐れ、そういうことはできなかった。面倒くさがったり、傷つくのを恐れたりで、そのラインを越えられなかった。チキンだった。そしてそういう時期でもあった。

時折BABYでは、マスターと2人の時や、男性の常連さんの時は猥談をした。
夜、男同士、酒・・・ということで盛り上がる。GIRL’Sトークならぬ、BOY’Sトークだ。抑圧の箍(たが)が緩むと果てしない。経験・いらない情報・下らない知識が堰を切ったように流れ出す。ムラムラや悶々、欲情と色情が湧く。そして大塚・上野・錦糸町にはお世話になった。その帰りはめし食って、店によって馬鹿話をする。BABYではそんな抑圧や世間体からも解放された。またそんな時のジンやウォッカは効いた。シュープリームス・テンプターズ・アースは響いた。後ろめたさを懺悔ではなく馬鹿話で解放させ、讃美歌はモータウンだった。ジンは身体を消毒し、ウォッカは魂をキレイにした。束の間だったが、そこにはバランスを保つための救いがあった。本当に有難かった。

そんなこんなで、特定の女性に対してコミットはできなかった。だらしないことには変わりなく、中途半端であることに疑問の余地はなかった。だからこそBABYの存在は大きく、特別な場所だった。マスターの存在もまた特別なつながりになっていった。


【教会】(3)

2015-05-24 10:03:43 | 【三茶物語】

彼女との最初の遭遇は5年前の年末に遡る。2009年の暮れ、BABYの常連になって半年もしたころだった。BABYはその日すこぶる盛況で、9つの席の内、8つがお客様で埋まっていた。そういう時は、基本的に店を出ようとする。なぜなら店がお客を呼んでいるときは、ふらっと新規のお客が入ってくるからだ。そんな「気」が流れている。レギュラーの自分は、BABYが流行ることを密かに望んでいた。マスターには潤って欲しかった。

レコード・SOUL・music
ジン・ウォッカ・ラム・ウィスキー
夜の時間・空間、深夜のネオン
そこに流れ、集う人、人。

本当の教会も同じだが、そこには経営というものが横たわる。
売上がなければ継続はない。
BABYは夜の教会。境界だった。昼の自分と夜の自分。意識と無意識を分けるとしたらまさにそこは境界だった。そしていつもそこが本当の世界だと思っていた。
本当の世界がなくなることは自分の崩壊を意味していた。
そんな気持ちだけではない。BABYに触れることで、解放される人達はもっとたくさんいてもいいと思っていた。あともう一つ理由を加えるとしたら、混んでいる時はマスターと話ができない。そんな理由もあったと思う。が、ともあれBABYが盛況な時は嬉しい瞬間でもあった。

店内はいつもキレイで清潔だった。マスターは文字通りマスターだった。お客様一人の時でも、たくさんの時でもSOULを流した。50s、60s、70s、80s。それぞれの年代のSOULをその時の雰囲気、お客様、ノリ、出したカクテルに合わせて曲を走らせた。黒い大きな棚からレコードを取り出す。INDEXはなく、マスターのみがどこにどのアーティストのレコードがあるのかがわかっている。PCの小さなファイルに並んでいるのではない。整理されているその棚からレコードを出す。18インチのレコードは33回転で回る。それを器用にターンテーブルに乗せていく。このレコードの何曲目というところにピンポイントでレコードの針を置く。そして流れるようなフェードアウトとフェードイン。BABYはクラブではなかったけれど、心の中では指を鳴らし、脳の中ではダンスをしていた。音の出ない指笛を「ヒューッ!」と鳴らした。

マイケルが他界した日も、ホイットニーが亡くなった日もBABYにはSOULが流れた。
訃報を知った日、ささやかでいい、弔いたい。そんな欲求をBABYは叶えた。そこは大衆の弔いの場になった。そこではアーティストと名もなきファンとの小さな別れがあった。あかの他人にもかかわらず、得も知れぬ喪失感は癒され、慰められた。
BABYは夜の教会にもなった。
だから新しいお客様が来るのは自分の喜びでもあった。夜のたわいもない束の間の自由を酔って欲しかった。

その夜は、一席開いていたので、そこに一人座った。

すると違うBARのマスターが女の子を連れて各席を回っていた。ずっとカウンターを向いていたので、その女の子の顔は見えなかったが、「わーわー」と一席、一席声をかけている。どうやらそのBARで働くことになった新しい女の子らしかった。
そして背中越しにその女の子は自分の席にも声をかけた。
「今度MORINOKOで働くことになりました。よろしくお願いしま―す!」
元気なその声は、夜の感じがしなかった。

軽くお辞儀するぐらいで、何も言葉は交わさなかった。

「Welcome to the NIGHT WORLD」

とりあえずは、そんな感じだった。
そこには直感も衝動も何もなかった。
ただそれが、一瞬の出来事で、彼女との出逢いと言えば出逢いだった。



【BABY BABY BABY】(2)

2015-05-24 09:35:41 | 【三茶物語】

三茶にはSOUL BARがいくつかある。下北沢ほどではないが劇場もあるし映画館もある(正確にはあった)。ちょっとした文化がある。大規模でも、派手さもないけれど、コンパクトにバランスよく面白く分布されている。如何わしさも小汚さもある。
渋谷に行くにもそう距離はないから都心には出やすい。カフェもBARもそこそこある。基本は住宅やマンションが多いから三茶の駅周辺は結構な人が行き交う。SOUL BAR 【BABY BABY BABY】はそんな三茶の三角地帯の一角の地下にあった。

当時、昼間は営業の仕事、夜は親友のBARを手伝っていた。そもそも酒が強くなく、カクテルなんて飲まない自分がなぜそのBARに入ったかと言えば、それはお酒を提供する側になったからだった。それと何より独り身の自分はまっすぐ家に帰るのが嫌だったからだ。BARに来る方は基本お酒が好き。でもそれだけで来ていない。そもそもBARで飲むお酒は一杯700円から1500円する。居酒屋ならばその半分ぐらい、家で作れば200円ぐらいだろうか。チャージなんてのもある。大学生の時はその意味がよくわからなかったし、むしろ金がもったいないと思っていた。ひそかな憧れはあったが、そこまでその憧れを追いかけるより、日々の生活費の方が大事だった。安酒でも楽しく酔えた。その世界は大人の世界で妖しく、多少の如何わしさの気配を漂わせていた。夜の世界だった。20代の時分はその世界に踏み込むには臆病過ぎた。

勉強半分、寂しさ半分。

入るときはいつもドキドキしていた。そして財布の中身を必ず確認する。予算やシステムは自分の身の丈のバロメーターだった。無理も背伸びもしない、これが暗黙のルールだった。
当たりもあるし、外れもある。合うときもあるし、そうでないときもある。だからお店で常連になる、それはよっぽどのこと。そんなBAR巡りのなかでBABYは「合う」BARだった。

マスターはSOULのアナログ盤をよくかけてくれた。あるアーティストはCDで聴いても湧いてこない感情が、レコードで聴くと湧いてくると言っていた。その気持ちがどういう感情かは推し量れないが、あのジャッケット、大きさ、響き・・・つい口角があがり、気が高まる。スーパーで買ったワインではなく、ワイン樽から入れた葡萄酒のような、そんな感じだ。同じ銘柄であっても、違いがある。それは曇りや淀みのない味だ。レコードを聴く。それは贅沢なことだった。そこにお金がかかることに明らかな意味と価値があった。だからBABYにはよくいった。通ったという表現が適しているかもしれない。BARに通う、常連になる。それは今までにない自分の文化・習慣だった。三茶でよくわからなかった大人の世界に入れた。

そうか・・・三茶は大人の入口だったのか・・・。

新しい自分との出会いで、始まりだった。



【ぷろろーぐ】(1)

2015-05-23 09:31:00 | 【三茶物語】

CARROT TOWER 26F。
26階のボタンを押し、最上階まで登るとそこには世田谷の甍の海が広がっている。
マンションやビルは所々島のように屹立し、林立している。
眼下に世田谷を見下ろす。
天気がよく、空気が澄んでいる。
箱根の山々が視界の末端で広大に、パノラマのように左右に広がっている。
裾野から裾野まで一望できる。
ここからならその広大な山たちも掌の上だ。
今日、富士山は見えないらしい。
いつも通っている世田谷通りは、思ったより蛇行している。
下高井戸に繋がっている世田谷線は、住宅街をジッパーで縫うように街を分けている。

そう私たちはここで出会った。

それは映画のようなドラマチックなものではなく。
小説のようにロマンチックなものでもなくて。
漫画のようにコミックなものでもない。

ただただ出会った。

シンクロは怒涛のごとく起こっていない。
偶然は必然だ、というような確信めいたものもない。

ただただ出逢った。

最初の遭遇は5年前の年末。とあるBARでの一瞬の出来事だった。


【まえがき】(0)

2015-05-23 09:25:38 | 【三茶物語】

物語はきっかけがないと始まらない。
ずいぶんと遅くなったし、タイミングも何度も誤った。
でもここで始まる。今日始まる。

ずっと見守ってくれる数少ない人も、
たまに立ち寄って生存の確認をしてくれる人も、
そして偶然の波に運ばれてきた人も、

そのすべてではなく、その欠片(かけら)に触れることで、
自身のはじまりのスイッチが稼働してくれることを願って。

ある始まりの物語。
あるきっかけの物語。

何もつづかなかった人が、何かを続けられるようになった物語。

全17回+どうして今さらなのに今なのか。

5・4・3・2・1・・・・「Q」!



【消毒】

2015-03-24 13:57:29 | 【三茶物語】
夜、BARに行った。一人でBARに行くのはどれくらいぶりだろうか?
2年、3年それくらい一人では行っていない。

気まぐれではなく、明らかに心身がそれを求めていた。

今の配属先に入ってもうすぐ2年になる。10年前と比べるとビジネスは様変わりした。
ITの高度化、個人情報への取り組み、コンプライアンス重視、消費者保護の徹底はより強制力を持って仕事への縛りをきつくしている。それは今後もつづく。それに適応するのが求められており、適応しなくては選択肢は「去る」というところに帰結する。

「適者生存の法則」・・・環境に適応変化できるものが生き残り、進化を遂げる

残業はしていてもそこまで強く管理はされていなかった。お客様との距離感も担当に任されている領域は広かった。PCもそこまで更新のペースは速くなかった。スケジュールも少しゆとりがあった。その分だらしなく緩いところもあっただろう。でもそれを差し引いても強制力や、拘束感は比較的少なかったように思う。

つまりはストレス過多。職場でも怒られたり、指摘されたりことが多くなってきた。100%自分原因説というのがあるが、そこでいうとそこにいることを選んだのは自分なのだからやっぱり、自分に問題があるはず。能力の無さを実感痛感することが多かった。

「すみません・・」の言葉があいさつのように多用され、謝罪が軽薄に感じられた。
徒(いたずら)に自分を責めた。そして受け入れ、こんな時もあると、そういうことにしていた。

ただ魂は違った。なんでこんなにがんばっているのにと泣いていた。今までより現実と向き合っている、いや戦っている。でもなんでだ?と問い詰めていた。

その日も休憩がとれず、どこかさばさばし、乾燥していた。
どうしてもBARが必要だった。

夜の23:00一度家に帰り、世田谷通り沿いのラーメン屋「一心」でチャーハンとキュウリを食べた。となりのおばさんがお店の人たちに、帰り際、「みんなで飲んでください」とチューハイをご馳走していた。
こんなとき、店は温かくなり、表情が優しくなる。ちょっとした報われ感がある。

Wombの時、よくお客様にご馳走になった。その気づかいに成熟さと、ゆとり、思いやりを感じた。自分もかくありたいと思い、気に入ったお店では「一杯どうぞ」をしていた。それは目に見えない気配り、心配り、頑張りへの敬意だった。
となりのおばさんを見て、何かを感じている自分がいた。

一心を出た後、3件ほどBARを覗いた。入れなかった、2年のブランクは敷居を高くしていた。ためらう自分、どこか不安を感じている自分が嫌だった。

もう帰ろうと思った4件目、「若林ハウス」が目に入った。そこは、2年前の年末、雪の日に行ったBARだった。その店こそが一人でBARに行った最後の店だった。



「まだ大丈夫ですか?」時計は0:30を回っていた。

「2:00までです。日曜日はお客様の引きがはやいので今日はもうお客様が最後だと思います」そういって微笑んだ。
 
棚のボトルたちを眺めて。「ジンは何がありますか」とたずねると「ウィルキンソンとタンカレーです」

「ではタンカレーで、ジントニックを」とお願いする。


「はじめましてでしたっけ?」

「いいえ3度目です。」

なんて話が繰り広げられる。これがBARの会話。そのたわいもなさがすっと自分を自分にさせた。そこに大きな力も拘束力もはたらかない。

タンカレーは、お店の棚にはなかった。ジンは冷凍庫にキンキンに冷やす。これが鉄則。
「少し弱めで。」
自分のリクエストでマスターはジンを30mm.で作る。レモンが沁みる。ウィルキンソンのトニックと馴染む。コースターの上に、グラスが置かれる。それは祭壇の前に捧げられるキャンドルのように。

一口飲むと、唇から舌、喉に通り過ぎていく中で、すぅーっと時の流れが変わっていった。自分の中身が全て取り替えられている感じがした。さっきと今では違う自分がここにいる。その美味しさ、味わいは勿論、違う自分になれたことに感謝した。周りの現実も状況も何も変わっちゃいない。自分がかわったのだ。

タンカレーが癒やした。

夜のBARの力はここにある。

2杯目を頼むとき、「よかったらマスターも」

「いえ飲めないのでお気持ちだけありがとうございます」
マスターの配慮そのやりとりがより質の良い酔いを演出する。心地がいいのだ。

やはり人なんだ。

大変だった先月救われたのは、お客様が素晴らしかったこと。2人のお客様から菓子折を頂戴した。感激だった。報われた気がした。

水鳥のように、表面は落ち着いて見えても水面下の足元はバタバタしている自分。でもお客様の思いやりは、打ちのめされている自分には胸に沁みた。そうそれはここで頂いたジントニックのように。

癒やされはじめてようやく、同僚、会社、家族に感謝できた。
現実も状況も何も変わっていない。でもそれと向き合う自分の気持ちは変わった。

また向き合おう。積み重ねたものを簡単に投げ捨てるのはやめよう。

自分が軽くなり上から自分を眺める。

よし前に進もう。笑顔で。

                       2015.3.8 記