成田 ー イスタンブールで12h30m のフライト。
乗り換え、トランジットで3h25m。
イスタンブール ー バルセロナまで3h40m、1日が30時間になる。
空の上で時間の感覚が麻痺し、時の概念が曖昧になる。3,5次元に溶け込みそうになる。
機内でどれくらい眠ったのだろう?
目が覚めると3時間が経過していた。もっと眠っていた気がしたがそうでもなかった。
TK51便の席には個別のモニターがついていて、映画や買い物情報が見れたり、音楽が聞けるようになっている。現在の飛行位置、また後どれくらいで目的地につくかを地図で飛行軌跡を辿る形でモニターできた。一昔前だと、国際線の映画といえば、やや大きめのモニターをみんなで観る体(てい)だったが、いまや一人に一つのモニターでチャンネルも選べる時代になっていた。
セリーヌ・ディオンのワールドツアーがやっていて、まだぼーっとしてる中でモニターを観ていた。世界を股に翔るアーティストの才能と人間の大きさに意識のキーが1オクターブ上がった。
しばらくすると電気が点灯され、2回目の食事になった。それがランチなのか、ディナーなのか、夜食なのかよくわからなくなっていた。ともあれ、運ばれた食事などを、携帯で撮り、食す。野菜に塩やオリーブオイルをかけてみた。それは個人的には日本ではしない食習慣だったが西欧かぶれの衝動でやってみたくなった。なんとなくおいしくなった気がした。ワインやビールなども飲めなくはなかったが、到着後のことを考えてやめておくことにした。これから得られることは、ベストコンディションで余すことなく吸収したかった。
食後、地球の歩き方を読んでみた。サグラダ・ファミリア、ガウディ、ダリ、ミロ、ピカソ、カタルーニャ、モデルニスモ、パエリア、FCバルセロナ・・・、キーワードはたくさん目の前を通ったが、それらはすべて視界から弾かれた。まったくもって頭にも心にも入ってこなかった。ただ一つ感じたことは、その歴史やバルセロナが持つ光も闇もとてつもなく大きいということだった。これは現地で観たもの感じたものをありのまま受け容れろということだと勝手に解釈した。口の中で鉄の味がした。また鼻血が出るような気がした。
機内放送からトルコ語、英語が流れてきた。どうやら乗り換えの地、イスタンブールに到着するらしい。そのあと日本語のアナウンスが流れてきた。
「当機はまもなくケマルアタチュルク空港に着陸します。」
イスタンブールだ。40歳以上の日本人ならみな庄野真代の「飛んでイスタンブール」を思い出す。
♪ おいでイスタンブール
人の気持ちはシュール
だから出逢ったことも蜃気楼 真昼の夢
好きよイスタンブール
どうせフェアリィ・テール
夜だけのパラダイス
この曲のメロディからターキッシュを喚起するものはなかったが、こうして詩を明らかにしていくと、今回の旅にも通じる所がありそうだった。
12時間30分のフライトは腰に影響を与えていた。飛行機は無事着陸した。
手荷物を携え、長い列に並びながらボーディングボードに向かう。あの飛行機から降りた時の空気の変わり目が好きだった。 この日はバスで到着待合室までの移動だった。 夕暮れ時の茜色のイスタンブールは、少し風が強かった。その風は母国とは全く違う異国の気を感じさせた。バスに乗り込むと思いのほか日本人の数が少なく、その認識が旅のモードを変えた。
乗り換えの手続きを済ませ、まずはバルセロナ行きの出発ロビーを探す。掲示板代わりのモニターを見つけると、該当の便を目で探す。次のフライトまでには2時間ちょっと時間もあったからそんなに急ぐこともなかったが、次の展開の見通しがつくまでどこか不安だった。それは彼女も同じだったようで、あれじゃない?これじゃない?あっちじゃない?こっちじゃない?と、イベントに時々出てくるビニールのトランポリンをバランスを崩しながら飛び跳ねている感じだった。二人とも呼吸が浅めだった。
思っていた以上に空港内は大きく右往左往した。そして人が多かった。ロビー内ではみやげ物やカフェが並んでいてあちこちきょろきょろしながら乗り換え口に向かった。動く歩道(moving walkway)もあったが、乗っているとどこで降りればいいのかがわからなくなるので歩いて探した。そのとき活躍するのが荷物カートだ。空港内の超ありがた備品。
数が少なかったと見え、カートを探す旅行者の方がたくさんいた。
BCNの3文字をようやく見つけることでき、ほっとする。ほっとしたら次は膀胱が緩み二人で代わりばんこにトイレに行く。ひとまず地に足がつき、少しだけ緊張を緩めた。ようやく落ち着くと、彼女が周辺のショップを物色し始めた。勿論自分はお荷物警備隊だ。待っている間、レンタルしたWi-Fiを設定して、更新した物語をブログで確認する。webは本当に世界をつなげている。わかりってきっていることだったがイスタンブールでも日本のサイトが見れた。全く同じサイトなのに、ちょっとだけ違う見え方がした。
彼女が戻ってきてからまだ時間があったので、軽くお茶をした。この旅では、ワインでないときはいつも紅茶を飲んでいた。英語では紅茶をBRACK TEA(ブラック ティー)という。「紅」ではなく「黒」。そのBRACK TEAという響きがなぜか海外に来ている感を膨らませた。トルコリラの通貨を使う、店員さんに英語でオーダーする。いちいちストレスがかかったが、いちいち新鮮だった。
はじめてのイスタンブールは乗り換えだったが、確かにヨーロッパとアジアの「間」に立てた。そこには目に見えない赤道が縦割りに走っているような気がした。そこはアジアが終わりの地点で、ヨーロッパの始まりの地点でもあった。
いよいよスペイン、バルセロナに向かう。あと3時間と少し。
「お楽しみはこれからだ!」
未体験ゾーンへの突入だった。テーマパークの絶叫マシーンよりアドレナリンが分泌していた。ここはMAGIC KINGDOMでもなければ、2D3Dのロールプレイングゲームでもなかった。
まさしく二人が作って行く旅だった。それは結構素敵だった。
乗り換え、トランジットで3h25m。
イスタンブール ー バルセロナまで3h40m、1日が30時間になる。
空の上で時間の感覚が麻痺し、時の概念が曖昧になる。3,5次元に溶け込みそうになる。
機内でどれくらい眠ったのだろう?
目が覚めると3時間が経過していた。もっと眠っていた気がしたがそうでもなかった。
TK51便の席には個別のモニターがついていて、映画や買い物情報が見れたり、音楽が聞けるようになっている。現在の飛行位置、また後どれくらいで目的地につくかを地図で飛行軌跡を辿る形でモニターできた。一昔前だと、国際線の映画といえば、やや大きめのモニターをみんなで観る体(てい)だったが、いまや一人に一つのモニターでチャンネルも選べる時代になっていた。
セリーヌ・ディオンのワールドツアーがやっていて、まだぼーっとしてる中でモニターを観ていた。世界を股に翔るアーティストの才能と人間の大きさに意識のキーが1オクターブ上がった。
しばらくすると電気が点灯され、2回目の食事になった。それがランチなのか、ディナーなのか、夜食なのかよくわからなくなっていた。ともあれ、運ばれた食事などを、携帯で撮り、食す。野菜に塩やオリーブオイルをかけてみた。それは個人的には日本ではしない食習慣だったが西欧かぶれの衝動でやってみたくなった。なんとなくおいしくなった気がした。ワインやビールなども飲めなくはなかったが、到着後のことを考えてやめておくことにした。これから得られることは、ベストコンディションで余すことなく吸収したかった。
食後、地球の歩き方を読んでみた。サグラダ・ファミリア、ガウディ、ダリ、ミロ、ピカソ、カタルーニャ、モデルニスモ、パエリア、FCバルセロナ・・・、キーワードはたくさん目の前を通ったが、それらはすべて視界から弾かれた。まったくもって頭にも心にも入ってこなかった。ただ一つ感じたことは、その歴史やバルセロナが持つ光も闇もとてつもなく大きいということだった。これは現地で観たもの感じたものをありのまま受け容れろということだと勝手に解釈した。口の中で鉄の味がした。また鼻血が出るような気がした。
機内放送からトルコ語、英語が流れてきた。どうやら乗り換えの地、イスタンブールに到着するらしい。そのあと日本語のアナウンスが流れてきた。
「当機はまもなくケマルアタチュルク空港に着陸します。」
イスタンブールだ。40歳以上の日本人ならみな庄野真代の「飛んでイスタンブール」を思い出す。
♪ おいでイスタンブール
人の気持ちはシュール
だから出逢ったことも蜃気楼 真昼の夢
好きよイスタンブール
どうせフェアリィ・テール
夜だけのパラダイス
この曲のメロディからターキッシュを喚起するものはなかったが、こうして詩を明らかにしていくと、今回の旅にも通じる所がありそうだった。
12時間30分のフライトは腰に影響を与えていた。飛行機は無事着陸した。
手荷物を携え、長い列に並びながらボーディングボードに向かう。あの飛行機から降りた時の空気の変わり目が好きだった。 この日はバスで到着待合室までの移動だった。 夕暮れ時の茜色のイスタンブールは、少し風が強かった。その風は母国とは全く違う異国の気を感じさせた。バスに乗り込むと思いのほか日本人の数が少なく、その認識が旅のモードを変えた。
乗り換えの手続きを済ませ、まずはバルセロナ行きの出発ロビーを探す。掲示板代わりのモニターを見つけると、該当の便を目で探す。次のフライトまでには2時間ちょっと時間もあったからそんなに急ぐこともなかったが、次の展開の見通しがつくまでどこか不安だった。それは彼女も同じだったようで、あれじゃない?これじゃない?あっちじゃない?こっちじゃない?と、イベントに時々出てくるビニールのトランポリンをバランスを崩しながら飛び跳ねている感じだった。二人とも呼吸が浅めだった。
思っていた以上に空港内は大きく右往左往した。そして人が多かった。ロビー内ではみやげ物やカフェが並んでいてあちこちきょろきょろしながら乗り換え口に向かった。動く歩道(moving walkway)もあったが、乗っているとどこで降りればいいのかがわからなくなるので歩いて探した。そのとき活躍するのが荷物カートだ。空港内の超ありがた備品。
数が少なかったと見え、カートを探す旅行者の方がたくさんいた。
BCNの3文字をようやく見つけることでき、ほっとする。ほっとしたら次は膀胱が緩み二人で代わりばんこにトイレに行く。ひとまず地に足がつき、少しだけ緊張を緩めた。ようやく落ち着くと、彼女が周辺のショップを物色し始めた。勿論自分はお荷物警備隊だ。待っている間、レンタルしたWi-Fiを設定して、更新した物語をブログで確認する。webは本当に世界をつなげている。わかりってきっていることだったがイスタンブールでも日本のサイトが見れた。全く同じサイトなのに、ちょっとだけ違う見え方がした。
彼女が戻ってきてからまだ時間があったので、軽くお茶をした。この旅では、ワインでないときはいつも紅茶を飲んでいた。英語では紅茶をBRACK TEA(ブラック ティー)という。「紅」ではなく「黒」。そのBRACK TEAという響きがなぜか海外に来ている感を膨らませた。トルコリラの通貨を使う、店員さんに英語でオーダーする。いちいちストレスがかかったが、いちいち新鮮だった。
はじめてのイスタンブールは乗り換えだったが、確かにヨーロッパとアジアの「間」に立てた。そこには目に見えない赤道が縦割りに走っているような気がした。そこはアジアが終わりの地点で、ヨーロッパの始まりの地点でもあった。
いよいよスペイン、バルセロナに向かう。あと3時間と少し。
「お楽しみはこれからだ!」
未体験ゾーンへの突入だった。テーマパークの絶叫マシーンよりアドレナリンが分泌していた。ここはMAGIC KINGDOMでもなければ、2D3Dのロールプレイングゲームでもなかった。
まさしく二人が作って行く旅だった。それは結構素敵だった。