菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『鹿政談』 イヌか、シカか

2012-06-17 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第18講

 鹿が神様の使いと考えられていた昔、天領である奈良では、幕府から三千石の餌料を下され、「神鹿を打ち殺した者は死罪」という定めがあったという。

 奈良三条横町の豆腐屋与兵衛は、たいへんな親孝行で正直者。
 ある朝、豆を挽いていると、表で大きな赤犬が桶の中のきらず(切らずに料理できることから、おからの別名)を食べていた。
 これを追い払おうと、割木を投げつけると、当たりどころが悪かったか、ひっくり返る。
 そばへ寄ってみると、犬と思っていたのが、なんと鹿だった。そのうち近所は大騒ぎになり、与兵衛は奉行所に引きたてられる 。

 時の奉行は、曲淵甲斐守(まがりぶちかいのかみ)。奈良生まれでなければ、鹿殺しが大罪であることを知らぬはず。
 「その方、生国はいずこじゃ」などと謎をかけるが、正直者の与兵衛は、いちいち本当のことを答えてしまう。
 そこで、奉行は「毛並は鹿に似たれども、これはまさしく犬じゃ。犬ならば、お咎めはない」と慈悲深い裁きをする。

 鹿の守役(もりやく)であった塚原出雲は、「何事をもって、鹿と犬とを見違いましょうや」と不服を述べるが、奉行に「もし、鹿がきらずを盗み食ろうたとあらば、その腹がくち足りておらぬ証拠。
 餌料三千石のうち、金子(きんす)に代え、町下に貸し出(い)だし、暴利を貪る者もあるやの風聞もある。
 あくまでも鹿と言いはるならば、鹿殺しの取調べは、後廻しにいたし、餌料着服の件より取調べつかわそうか!」と言われて、恐れ入ってしまう。

 名裁きが終わって奉行が「一同の者、立ちませぃ。おゝ、正直者の豆腐屋、斬らず(きらず)にやるぞ」、「マメ(健在)で帰ります」

      

 さて、刑法に「鹿を殺した者は死刑に処する」という規定があるものと仮定して考えてみよう。
与兵衛が、赤犬を追い払おうと思って、おからをムシャムシャ食べているところへ割木を投げつけたら、実はそれが鹿だったのである。この場合、与兵衛は鹿殺しの罪に問われるのだろうか。

 原則として、犯罪が成立するためには、悪いことだと分かっていることが必要だ。
 刑法にも、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と定めている(38条1項本文)。この罪を犯す意思のことを「故意」という。
 ところが、そもそも与兵衛は、鹿を殺そうと思っていない。たまたま追い払おうとした相手が鹿だったというだけのことである。
 鹿殺しというためには、鹿であることを認識して、その鹿を殺すことが必要だ。

 大正時代、法律で捕獲が禁止されている狸を捕らえた者がいた。
 しかし、この男は「タヌキ(狸)とムジナ(狢)が同じものとは知らなかった。私はムジナを捕まえたんだ」と無罪を主張。
 裁判所は、この男にタヌキを捕獲する意識がないということで、無罪の判決を下した。これが世にいう「たぬき・むじな事件」である(大判大正14年6月9日)。
 このように、犯罪事実の認識を欠くことを「事実の錯誤」という。
 そして、事実の錯誤があれば、原則的には故意の要件を欠く。
 ということは、犬を追い払おうとした与兵衛には故意がないから、鹿殺しの罪に問われないことになる。

 しかし、「鹿を殺すのが悪いこととは知らなかった」という言い訳は通用しない
 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできないのである(刑法38条3項)。
 こちらのほうを「法律の錯誤」という。

 同じく大正時代、捕獲禁止のムササビを捕らえた者が「私はモマを捕まえただけで、ムササビを捕まえるつもりはなかった」と主張した事件があった。
 この地方の方言では、ムササビのことをモマと呼んでいたのである。
 被告人としては、たぬき・むじな事件と同じような主張をしたが、こちらの事件では、「ムササビとモマの違いを知らないのは、法律を知らないだけだ」ということで有罪となった(むささび・もま事件、大判大正13年 4月25日)。
 これでは「タヌキとムササビと何が違うんだ!」と突っ込みたくなるだろう。
 だから、法律は難しいと思われるのかもしれない。

 与兵衛に鹿殺しの故意はないが、鹿を犬と見誤ったわけだから、そこに過失は認められる。
 しかし、鹿や犬などの動物は器物損壊罪の対象とはなるが、そもそも過失による器物損壊は犯罪とならない(刑法261条)。
 要するに与兵衛は、無罪放免になるべくしてなったのである……と思うのは、早合点。
 この定めは、鹿を「たとえ過ちたりとも打ち殺した者は死罪」というものであったから、過失犯でも死罪は免れないはずなのだ。
 だからこそ、この鹿政談、時の奉行が曲淵甲斐守であるがゆえの名裁きということになるのであろう。


       

【楽屋帖】
 奈良が舞台という落語では珍しい一席。別名『春日の鹿』『鹿ころし』。東京では六代目三遊亭圓生が、上方では三代目桂米朝の得意レパートリー。関東では一般に「おから」「卯の花」といわれているものを、関西・中国地方では「雪花菜(きらず)」といい、豆腐屋が「空(から)」に通ずる「おから」という言葉を嫌ったかららしい。
 この噺に登場する名奉行には、概ね三説ある。もっともポピュラーなのが、根岸肥前守鎮衛。六代目圓生はじめ三遊亭一門がこれ。これに対して、柳家一門は、松野河内守助義としている。米朝ほか上方では、曲淵甲斐守景漸で演じる例が多い。ただし、この三人が江戸町奉行であったとの記録は残っているが、奈良奉行に就いていたという事実は確認できない。
 ちなみに、金原亭駒与志は、史実的に矛盾が少ないことから、曲淵甲斐守で口演している。


     駒与志「鹿政談」(23分)