菅原貴与志の書庫

A Lawyer's Library

『高砂や』 この浦船に帆を下げてぇ

2012-04-17 00:00:00 | 落語と法律
新・落語で読む法律講座 第17講

 清元の稽古をしたのが理由で勘当されていた、伊勢屋の若旦那。
 魚屋の民さんが二階に預かって世話をしていたところ、向かいの大工吉五郎の娘お染を好きになる。
 こうして、若旦那は勘当も許され、お染と婚礼をあげることになった。
 民さんがその仲人を頼まれたが、どうやっていいのかわからないので、横町の隠居に相談する。

 隠居は、民さんに親切に式の手はずを指示し、祝儀の謡いもやらなくちゃいけないと謡曲「高砂」の一節も教えてくれる。
 もとより謡いの素養などない民さん、さっぱり謡いらしい声が出ないので、豆腐屋の売り声を真似して何とか「高砂や、この浦舟に、帆を上げて」というはじめの一節だけを覚えた。

 紋付きを借りて、伊勢屋へ出掛け、盃事もめでたく済み、親類への挨拶も終わったところで、「御祝儀を……」と言われた民さん。
 いきなり「とぉ~ふぅぃ~」と声を試したあと、「高砂」の一節をやり、「あとは、ご親類の方々で……」と言って下がろうとすると、「親類一同不調法で、仲人さんお先を……」と言われ、下がるに下がれない。

 一節しか覚えていないので困った民さん、何度も同じところを繰り返し、果ては「この浦舟に帆を下げて」などと謡いだす始末。
 とうとう泣きっ面になり、巡礼の御詠歌の節になってしまう。
 すると、親類一同が「婚礼に御容赦(=巡礼にご報謝)」。


     

「高砂や この浦舟に 帆をあげて~」
 謡曲「高砂(たかさご)」。
 婚礼の席上で謡われる祝言の一種であることから、結婚式や結婚そのものを「高砂や」と呼ぶ人もいる。
 謡曲とは、能の「セリフうた」のことで、能は謡曲にあわせて舞う舞である。
 これは、能を完成させた世阿弥の作で、松林が美しいことで知られていた高砂の浦(現在の兵庫県高砂市の海浜)を舞台にしている。

 江戸時代まで、わが国の婚姻制度は儀式婚であった。
 したがって、婚礼の席上で謡われる「高砂や」の祝言は、法的にも婚姻を招来するものと考えることができるだろう。
 その後、明治に入ってから、いわゆる法律婚主義が採用されるに至った。
 明治8年12月9日に出された太政官達によれば、婚姻は「縦令(たとい)相対熟談ノ上タリトモ双方ノ戸籍ニ登記セサル内ハ其効力ナキモノト看做ス」とされている(太政官達209号)。
 また、明治13年5月、大阪の山田吉兵衛という人物が、高砂社の広告ビラを配布した。高砂社とは、私営の結婚相談所のことである。

 法律的に結婚したというためには、結婚生活の約束とその実態があるとともに、婚姻の届出が必要である。
 婚姻についての合意があり、その他法律で定める要件がそなわっているだけでは足りず、所定の届出がなければ、婚姻は成立しない。

 この点、民法では、戸籍法で定めるところに従って届け出ることとなっている(同法739条1項)。
 したがって、婚姻の届出をしない限り、いかに夫婦の実態があったとしても、法律上は夫婦ではない。

 しかし、ただ届け出ればよいというものでもない。
 結婚という重大事項なのだから、当人の意思によって届出がなされることが絶対に必要である。
 民法も、本人に婚姻の意思が全然ないにもかかわらず、たまたま届出だけがされているような場合には、その婚姻ははじめから無効となるとしている(同法742条1項1号)。

 ところで、最近の『国民生活白書』や『子ども・子育て白書』によれば、わが国の未婚率は、特に最近急速に高まっている。特に女性の急上昇ぶりは明らかで、50歳時の未婚率は11.9%に及ぶらしい。結婚しない人たちの割合が増加すれば、当然に子どもの出生数にも影響を与えることとなるから、事態は深刻である。
 しかし、経済上・趣味趣向の多様化・価値観の変化など、結婚に対するさまざまな環境の変化が、特に女性における結婚への心理的姿勢を変化させている分析もある。現実には、男女ともに、結婚する必然性がないと思っている独身者が案外多いのではあるまいか。


     


【楽屋帖】
 かつては六代目春風亭柳橋師や五代目柳家小さん師がよく演じていたが、最近では寄席でもあまり聴けなくなった。
「高砂や この浦舟に帆を上げて 月もろともに出で潮の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて 早やすみのえに着きにけり 早やすみのえに着きにけり。」

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