I'll be right here

ポケットにパク・ヒョシン 🥨

Scene playbill 5月号

2014-05-03 05:00:58 | パク・ヒョシン
Scene playbill 2014年5 月号



Coming up for air  ミュージカル<モーツァルト!>ミュージカル俳優パク・ヒョシン
彼は誰とも比べることができない卓越したボーカリストだ。鮮明な音色と共に高音に上がるほど豊かになる声量は彼にどんな曲を与えても歌うことができるという期待を抱かせる。そんな彼がミュージカルをすると言った時、期待より憂慮の方が大きかったことは事実だ。だが、彼はパク・ヒョシンを消し、完ぺきなトートになって見事に一発放ち、大衆は彼の次にミュージカルの便りを、新しいアルバムの便りに飢えた。生きていたら何度かの機会が与えられるように何度かの試練も近よるものだ。その試練は人を変化させる。強くさせる。だからだろうか。冷たい風が一度通り過ぎる間、特別な響きを持つ彼の声が特有の重たさを取り払い淡々とした繊細な響きに変わった。また春が訪れて息吹く時、彼は目を閉じて深く呼吸を整える。呼吸する間、清涼な空気が流れる。 やがて彼が口を開いた。


ミュージカルの舞台でパク・ヒョシンに会うとは思わなかったが、<エリザベート>は本当に印象的だった。どんなきっかけで挑戦することになったのですか?
元来ミュージカルがとても好きだったんですね。すごく昔になるけれど<ロック ハムレット>という作品もしましたし。 今は市場がとても大きくなり、衣装一つから照明や舞台セットなど俳優を支える環境が良くなったけれど、その時は練習条件さえ劣悪でした。ひたすら歌に依存しなければならなかったんですよ。ミュージカルというのは私が考えてたものより遥かに大変だった経験があって、その後再びミュージカルをするならば、もう少し良い環境が保証される作品をしなければならないと思いました。


<ロック ハムレット>が2003年であったからすでに10年前ですね。それまでに間違いなく出演依頼を受けた作品が色々あったと思いますが。
いくつかの作品が入ってきたのに私と縁がありませんでした。スケジュールの問題もあったし、特にどんな作品を望んだというよりは、感じる作品がなかったんですよ。それだからミュージカルを考えるのをやめて歌手活動にだけに専念しましたが、しばらく休むタイミングがあったんです。その時、私のコンサートの演出をする監督がミュージカルを一つを見ようと言いました。ブラッドリトルが出演した<オペラ座の怪人>でした。白紙の状態で劇場に行ったら競売が開かれる初めての場面から身体が前へ出たんです。槌で後頭部を殴られた気持ちというか。しびれる衝撃の中で、公演3時間がどのように流れたのか記憶がないくらいです。インターミッションもぼうっとしてたのです。それでまた見に行きました。二回見ると何か見え始めます。歌、配役、照明等等、新しい世界が開かれました。漠然と舞台に自分が立っている姿を思い描いてみることになりました。それでもすぐにミュージカルをしなければならないと考えに至ることでは無かったけれど、その日は一睡も出来ませんでした。 胸に波がある気分で幾日かミュージカルを考えることから抜け出せなかったんです。 そのような折りに<レベッカ>を見ることになりました。



<レベッカ>は別の観点でまた衝撃だった。
オリジナル チームでないという先入観を持って行きましたが、もう一度衝撃を受けましたよ。我が国の俳優らとスタッフにとても驚きました。その二つの作品でミュージカルに対して持っていたすべての偏見が壊れました。 ちょうど私が<レベッカ>を見た日に製作会社代表に会うことになったし、<エリザベート>に対する話を聞くことになりました。ミュージカルがひたすら良かっただけで、具体的な意見もなかったので心配でした。それなのに私の性格は、怖がりながらも挑戦するのを楽しむ方なんです。他の人たちが‘それ似合うの?’、‘まさかそれをやるの?’と言えば言うほど、絶対にやってみなきゃと言う考えが強くなる方で、ミュージカルもそうでした。 それで準備過程から一つ一つ本当に時間をたくさんかけました。


除隊後の復帰作でミュージカルを選んだのは意外でした。かなり悩んだようですね。
私も当然アルバムを考えたのだから意外そのとおりですよ
だけど、人が生きていると何度か選択することがあったりして、今がチャンスだという事が感じられる時があるでしょう。その時がそのようなタイミングでした。これを逃したらチャンスがない気がして一人で沢山悩みました。 ‘果たして似合うのだろうか?’、‘この作品を私がすることができるだろうか’という基本的な悩みもありましたが、それより‘私が本当にしたいのか?’という質問を自らに絶えず投げかけましたよ。



練習の虫だとうわさが広がりました。
人が何かを恐れるというのは足りないことを分かってたり自信がない時じゃないですか。それでオリジナル チームの公演を数えきれない程見ながら勉強をしました。その時はベッドで寝た記憶がないです。一日中つけっぱなしでいても足りなくてソファで寝ついたりしたから。寝て起きたら、映像がダメになっていて力が抜けたけれど、一方では自分がよく集中しているんだな、幸いだと考えるようになりました。私は他の仕事をしながらもさりげなく作品にハマることができる専門の演技者ではないので、このように集中してこそ作品に少しでもより多くのめり込むことができると思いました。


何か一つに集中すればどっぷり浸かる性格らしいです。
良くないことだって分かりながらもコントロールが出来ないんです。その時はその作品がとても切実でした。<エリザベート>を通して、先に見たミュージカルで受けた衝撃を解きほぐしたかったんです。初演の時にあまりにも人気があったという点が悩みの中の一つだったけれどトートという役にはとても欲が出ました。なかったものを‘ジャーン’と見せてあげたい方であって、すでにうまくいっるものについていく性格ではありません。事情があって練習には遅れて参加することになったので、足りない練習は私の宿題だと受けとれる程トートという役が魅力的でした。家の雰囲気も薄暗くしておいて誰かが見ればとてもハマり過ぎではないかと心配するほど、あらゆる事をみな控えてその時はひたすらトートだけを考えて過ごしました。


映画俳優に劣らない細かい演技ですか? 実存人物でないから、想像できることが多かったんです。
実存人物なら調べることも出来るはずなのにトートは何が答とは言えない死というキャラクターだから、余計にそうなったようです。歩き方一つまでも考えぬいて作りました。他に演技指導の先生をお願して練習をするほどでしたから。私が持っているものの中から最大限引き出したかった、あたかも元々がミュージカル俳優だったと、ただ真似るのが嫌でした。そうしたら完ぺき主義者という声を聞いたりしたけれど、私は一度もそのように考えてはみたことはありませんでした。不足したことを満たさなければならないという思いでやった事であって‘私は完ぺきでなくては’と言いながら完ぺきを追求したのではありませんよ。不足したことを満たしたい欲があるだけです。自らにそんなに寛大な人間じゃないんです。



自分に厳しいのは長く活動をしてみて気付いたのですか?
自信にあふれている性格ではありません。内省的である方でしょう。自らに満足するほどの水準ではないところで歌手デビューをしたので活動をずっと続けてきて、打ちかたなければ、満たさなければと考えてました。 その上ミュージカルは歌手デビューの時とは違い不足した部分が何か確実に分かるのにそのようにしないわけにはいきませんでした。そのような性格が良い薬でした。自惚れないようにしてくれたし、疲れる時は緊張感を与えてくれたから。 この部分は自分自身に甘い点数をあげることができます^ ^



そんなに準備して初めての公演を終えた時の気持ちはどうだったのですか?
ただ、すべてのことに感謝しました。舞台に一緒にいる俳優らと舞台の後のすべてのスタッフ、そして客席の観客にまでも。良い、悪い、上手くやった、出来なかったという判断を離れて、その舞台に立っているということに、この観客たちと私が呼吸して歌ったのだということに‘感謝する’という単語しか思い浮びませんでした。


そのようなパク・ヒョシンの二番目ミュージカルは<モーツァルト>ですね。
<エリザベート>をしてみたから次の作品は二番目という自覚があると思ったけれど、この作品はあたかも初めての新しい挑戦のようなんですよ。トートは色々な登場人物のうち1人だったけれど、モーツァルトは比重からして違うでしょう。その上新しいバージョンで演出されることと‘まさかこれも?’という部分まで多くが変わりましたよ。新しい<モーツァルト>ということを確実に植え付けるために私が必要だという説得に乗せられましたが
私が主軸になった作品だと欲と負担感を同時に感じています。リーヴァイ氏の曲の影響も大きいです。ミュージカル ナンバーであるのにその中でポップな感性を発見できるというのが非常に魅力的なんですよ。トートが一コマの色だとしたらモーツァルトのナンバーはレッド、グリーン、ブルーなど多彩な色の曲がいっぱいなんです。




最も感じられる曲は何ですか?
良い曲が多いのですが、人々の耳は似ていると思います。私もやはり‘僕こそ音楽’がとても美しいと思います。ボーカル バージョンを聞く前にリーヴァイさんのピアノ演奏を先に聞いたのですが胸がジーンとしました。演奏曲にそのような感じを受けることは珍しいのだけれど、ピアノの旋律を聞いた瞬間、深い海の海底に沈んでいる気がしましたよ。この歌に私の思いを表現したくなりました。


考えて見れば、モーツァルトもその当時には最高に有名な大衆音楽家であったわけでしょう。今の有名な作曲家の誰々と同じ。
想像もできないくらい別の時代じゃないですか。 目だけで見て理解しなければならない遠い昔だけど、これは唯一同じだと思いました。音楽をする人間として感じるすべての感情。悩み、後ろ姿、そして何か見せた時の喜び…
15年近くポップスをしてきてどんな歌にも表現できなかったその感情をこの作品を通じて表現できる気がしました。歌手として立った舞台ではいつも仕上がった姿だけお見せしてたのでそれ以外のパク・ヒョシンを見せる機会はなかったんです。ところでこの作品には私を引き出すことができるきっかけがそこにありました。それでどんな演技をするべきだとか考える以前に焦点は自分を見ていなければならないことだと思っています。



本格的な練習前なのにどんな準備をしているのですか?
今度は確かに資料をよく見るようになりましたね。 関連本も見て、久しぶりにまた <アマデウス>も見ましたよ。前に見た時とは非常に違った感じなんですよ。かなり長い映画で家でゆっくり見るものなのにからだをこのように縮めて見ました。あまりにも映画が好きだし集中して見る方だから一人で見ることを楽しむのですが、そんな感じは初めてでした。それと共にこういう気がしました。 モーツァルトにしてもエリザベートにしても与えられた環境と置かれた状況が違うだけで、結局は人間が感じる喜怒哀楽は同じではないでしょうか。他人によって孤独になったり、自分自らが孤独を作ったりもします。そのような作品が魅力的です。


<モーツァルト>初めての公演はどうでしょうか?
完全に新しくなるようですが、どのような初公演も似たような感情を持つのではないでしょうか。ポップスをしてきた15年間も私はいつも同じようにときめいて怖いと思う気持ちで音楽を作ったし、いつも同じ気持ちで歌を歌ったし、いつも同じ気持ちでコンサートの舞台に立ってきました。 <エリザベート>の時に‘恐れ’という三文字が支配的だったとするならば、今は恐れプラス‘素敵な作品をしている’という作品に対する愛着も共に感じています。





ヒョシンくんがよくお喋りしてくれてます。色んな表情を見せてくれてるし...
Scene playbill 5月号...
買い!でしょ^ ^

この記者さん、冒頭は詩人ですねぇ~。

まま、それはともかく、今は演技者パク・ヒョシンなんですねぇ~^ ^

僕の思いを表現すると... 言ってますね
モーツァルトの出演が決まった時から気になっていました。
そそ、皆が大好きなこの曲「僕こそ音楽」をヒョシンくんはどのように表現してくれるのかなって

新しいモーツァルトはアレンジも違うようですしね。

さてさて、今のヒョシンくんのお部屋は明るいのでしょうか~ ^ ^

モーツァルト楽しみですね



それでは歴代モーツァルトくんの動画を貼っておきます。
ウンテくんはヨウツベに上がってなかったみたいなのでコチラから。

ドンソクくん


シアちゃん


テギョンさん


ヒョンスンくん







コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。