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ポケットにパク・ヒョシン 🥨

ヒョシンくん紹介動画

2021-09-26 21:40:00 | パク・ヒョシン
がUpされていたので訳を付けました。
昔からファンの方には特に目新しい事はないかもしれませんが...
ご一緒に見てみましょう

今の時代はオーディション番組に出てデビューするのが主流ですが...
ヒョシンくんの時代は歌謡祭だったのですよね。時代を感じて面白いですネ


パク・ヒョシンの知られざる8つの面白い話

1.完璧主義者
2.童顔
3.フィジカル
4.イジョク
5.険しいデビュー
6.大賞
7.学生時代
8.歌手たちの中での芸能人


パク・ヒョシンは歌において相当な完璧主義者として有名だ。1曲に15時間以上、夜を徹して満足するまで録音する事は当たり前で、気に入らなければ気に入るまで修正を繰り返すと言う。それなのにそれほどまでして録音したものを使わず、最初に録音したものを使う場合もあると言う。息という曲を録音した当時は、良いピアノを探しに日本の東京まで行き録音したと言う。作曲家チョン・ジェイルに言わせれば、1曲を録音するのに6ヶ月かかった時もあるといううわさもあったと。
リハーサルも几帳面にするのに他の人たちが1回するところを2-3回繰り返し、音響やモニターチェックまで自身で行うと言う。

パク・ヒョシンは童顔だと有名だ。2021年に40才を越すと言う話しなのに全くそのような歳に見えない顔をもち童顔芸能人と言う話は間違いないと言及された。鼻は一番自信がある部位として挙げているのに何度も整形手術の疑惑が上がっている。鼻を触りながら整形ではない事を証明した事もあった。デビュー当初は見た目の言及を自ら避けていたなど自信がなさげだったが、月日が経つにごとにリズを更新して、童顔だという話もよく聞くようになり自信が出てきたのか、最近では自身のカッコいいだったり童顔である事をアピールする事もあった。

パク・ヒョシンは、2005年に亡くなられた米国のR&Bの巨匠ルーサー・ヴァンドロスを偶像と思うほど、デビュー前からインスピレーションを受けたと明らかにした。リメイク曲であるハローをルーサー・ヴァンドロスのように歌いたいと1年もの間練習したが思った通りにいかないと自分自身に怒りが込み上げてCDプレーヤーを投げてダメにした事もある。その上ハローを録音して、ヴァンドロスへ送ろうと思った事もあったという。これは単に称賛得たかったのではなく、地球の反対側からこれほどあなたを好きな人がいると言う事を知らせたかったのだと言う。ルーサー・ヴァンドロスが世を去った時にBreathe Againという名前の追慕コンサートを開催し彼へ心を込めて書いた手紙を読んだほど尊敬の意を見せた。

パク・ヒョシンはデビュー前から完成されていた才能を持ったボーカリストだった。高校時代にデビューをしたが、イジョクが明言したところによると、ラジオでライブをしたパク・ヒョシンに「お前、年齢を誤魔化しているだろ」と言ったという。若いが既に完成した実力を持っていたが故に、皆、パク・ヒョシンが年齢を誤魔化していると思っていたという。
パク・ヒョシンの歌は一般人が真似するには大変で最悪な難易度だという事も有名で、これは生まれながらの才能と努力が合わさった結果だと言っても過言ではない。特にキム・ヨヌはパク・ヒョシンの声はワナビー(want to beなりたい)だと言った事もあり、彼の豊かで切ない声が羨ましいからとハスキーなトーンを維持する為に練習したと言った事もある。

生まれながらの才能と実力で彼のデビューは順調だったろうと思ったら大きな間違いだ。パク・ヒョシンは高校1年の時に歌手になる夢を実現するためにある事務所に入ったが特別に契約もなく8-9ヶ月経つと1集を準備しようとしたが財政難で事務所が潰れたいう。以降、その事務所から紹介された別の事務所ではお金を要求されただけではなく、まだ未契約の状態なので事務所を辞めようとしたパク・ヒョシンに小遣いや食事代、デモ曲の費用を口実に5000万ウォン(500万円)を返済しろと強要したという。
パク・ヒョシンはその頃の傷で歌手の夢を諦めようともしたが、高校2年の時にある作曲家説得でまた歌手を志し始めた。

パク・ヒョシンは中学3年の時に学園祭に出て、ユリサンジャのパクスンファのソロ曲を歌い大賞を受賞した事をきっかけに自身の歌唱力を客観的に評価したいと思うようになった。以降、様々な歌謡祭に出場するのだが、出場した歌謡祭事に気炎を吐いた。高校2年の時には富川青少年歌謡祭で大賞を受賞し、YMCA青少年歌謡祭、済物浦(仁川)歌謡祭などを含む歌謡祭で全て大賞を受賞した。唯一、ある創作歌謡祭でのみ金賞だった。それもパク・ヒョシンの番でいきなり音響装置に問題が生じて粗末な装置で歌を歌った結果、金賞だったという。

パク・ヒョシンは歌手フィソンと高校の同期で、その他にもファニ、ミュージ、ヨンジと同じアヒョン情報産業高校へ通い、デビューを準備していた。フィソンによるとパク・ヒョシンは、職業音楽高校の実用音楽科の学生の中でも1人別世界の人という感じがあったという。その上、高校時代はヒョシンが世界で一番上手いという事がわかったそうだ。パク・ヒョシンは1999年11月4日にイ・ジフンのヤングストリート公開放送でデビューしたが、当時高校生だったパク・ヒョシンは自身が通う高校にファンクラブもあり、ソテジよりも人気があったと言った。

芸能人や歌手たちの中で、パク・ヒョシンのファンだと明かした芸能人は少なくない。言葉通り、歌手中の歌手、歌手たち憧れの芸能人だ。また、デュエットをしてみたいと明かした後輩歌手たちも多いが、代表的にはRed  Vervetのウェンディ、Sisterのメンバーだったソユ、Infinitéのソンジュンとソンガインなどがパク・ヒョシンとデュエットしたいと明らかにした。特にVIXXの元メンバーホンビンは成功したオタクと言われるほど、ファンたちの間でも有名なパク・ヒョシンファンであった。
GODのキム・テウもまたデビュー当時にパク・ヒョシンの音楽番組のリハーサルを見て、友達になりたいと自ら近づいたと言った。パク・ヒョシンはキム・テウが友達になりたいと言って近づいた最初の歌手だ。

パク・ヒョシンのヴォーカルのパワーは、どんな声も自由自在に出せる歌唱力と彼だけの曲の解釈する能力と独歩的でユニークな声色と完璧なライブで出て来ると言える。これは生まれながらの才能とも言えるが、彼の完璧主義的な性向で生まれた絶え間ない努力と練習の結果だとも言える。大韓民国のトップヴォーカリストと評価を受け、誰も異論を唱えないと思うが、いつも謙遜する態度もまた彼の実力を光らせているのだろう。切なく悲しい声で多くの人の傷を癒やし力を与えてくれるパク・ヒョシン。これからの活動を期待して、この動画をここで終わりにしたいと思います。




こんなにたくさん詰め込んで下さって有り難いです

2005 Breathe Again Concert


PHS: 1年ぶりにこうやって来て下さり...でしょ?

Tree: はい。会いたかったよ〜。

PHS: え👂、僕も本当に会いたかったです。それでこうやってやらなかった事もしてみて、おかしいですか?

Tree: いいえ。

PHS: ええ、絶対に一度は公演でこんな髪型をしてみたかったんで、今回やる事になりました。もしかして好きじゃなかったら声を張り上げながら目を瞑って下さい。

Tree: ハハハ...