[いきさつ] もうすぐ、東京国立博物館で顔真卿展が開かれる。
見る前にいくらかでも臨書して、理解とまではいかずとも、触れておきたい。
顔真卿(709-785)の書を、750年の「郭虚己墓志銘」、
752年の「多宝塔碑」と臨書してきた。
急いでいるから、全臨なんかしない。
数ページ食い散らかして次いってみよう、だ。
※
顔真卿の書のスタイルを、顔法と呼ぶ。
その中に、蚕頭燕尾(さんとうえんび)という言葉で表現される形が有る。
蔵鋒と言って、画の最初のところで、筆の先っちょを丸め込むような使い方をする。
すると、蚕の幼虫の頭のような形になる。
払いの最後のところで、逆筆と言って筆を進行方向と逆に倒すようにしてグッと押さえ、
一旦止めるようにしてから、スッと抜くと、燕の尾のような形になる。
筆の使い方は、テキストを見ると書いてある。
私は、こういった解説を読まないで臨書を始めることにしている。
字の形をよく見て、同じ形ができるように、筆を動かしていると、できる。
墨の跡がお手本そっくりの形になったりすると、思わず「おおお」と声が漏れる。
顔真卿も私のコレと同じ筆を使ったんじゃないか、なんて思ったり。んなわけないが。
そして、後からテキストを見る。
すると、上のようなことが書いてある。
答え合わせになる。
※
もう一つ、名付けたい顔法の特徴的な形が有る。
アシの先の上方向への撥ねだ。
グッと止めて、ヒュッと撥ね上げる。
すると、画の最後は丸く、その少し手前にチョロンと撥ねが生える。
これは。スズメガの幼虫のお尻にそっくりである。
お尻の突起を、尾角と呼ぶそうだ。
雀じゃ小鳥だし、尾じゃ燕尾と同じになっちゃうし。
イモムシという呼び方は、そもそもスズメガの幼虫のことを指す。
芋角、でどうだろう。
蚕頭燕尾芋角。
もう一点加えて八字にまとめたいなあ。
※
小中学生の頃、習字の時間が有った。
起筆と終筆の形、横画の長さのバランス、貫く縦画の長さや角度、
一字目と二字目の大きさのバランス、空白の大きさ、
左払いの角度、右払いの長さ、などなど、
気になる点は多かった。
しかし、上手に書きたい、という気持ちはさほど無かった。
字が雑だ、と母親にずいぶんくさされていて、気持ちがくさっていたのも有っただろう。
お習字をやっている子は上手だった。
習い事としてやっている子が得意なもの、という特別視をして、
自分は現状に甘んじていたように思う。
そんな中でも、かっこいい字を書きたい、という気持ちは
けっして無いわけではなかった。
そして、アシの先の上への撥ね上げは、
きれいに三角になるのが好きだった。
画の最後からシュッと上がっているのがいい。
画の最後が丸い尻になって、ちょっと戻ったところからツンと撥ね出るのは、
失敗だ。と感じていた。
※
今でもそう思っている。
これはもう、単なる好みかと思う。
顔法を追及している方には悪いけど、私はこの形になるのはイヤで仕方ない。
※
そういう、顔真卿特有の筆使いが、「麻姑仙壇記」辺りからバンバン登場する。
縦画の撥ねも同様で、グッと止めてピュッと途中から撥ね出る。
か、かっこわる!こんなん小学生でもできるわ!
と思いながらも、その価値を考えながら臨書している。
繰り返し言っておきますけど、
書を独習して一年やって一年サボって最近また再開したばかりの
ズブッズブの素人のたわごとですからね、堪忍してや。
私の考える、顔法の価値の一つは、
前回「多宝塔碑」の時に書いた、「近代的」という点だ。
https://blog.goo.ne.jp/su-san43/e/fe2224c4c9a2d0026d51cce4720e5a40
それまでの、「これが楷書である」と厳しく築き上げられたものを大胆に崩し、
個性を表現できる、スピード感の有る書法を打ち立てた。
では、なぜそれができたか。
どうやって、楷書に「個性」と「スピード感」を加えたのか。
もう一つの価値は、とにかく、現代にその書法が受け継がれていることだ。
楷書と言ったら、今は顔真卿の楷書が強い。
では、それはなぜか。
つづく。
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