犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

2018年02月13日 | 日々
2月の法螺話を、今月は1日ではなく2日にしたが、その中で
隣人についてちらりと書いた。

「朝、南隣の酒屋のおばちゃんが裏庭に出て、
たき火をして体操をするが、その姿が見えない。」

隣の酒屋の裏が、私の部屋から見下ろせる。
早起きしたおばちゃんが、ゴミを燃やす煙が上がり、
お日さまに向かって立って、体操をするのが見える。

たしか五所川原の出身で、55年あまり前に嫁いで来た。
近所の友人Mによれば、Mのおばあちゃんの元に、
おばちゃんの姑さんが「今度うちにきた嫁」を自慢しに来たそうだ。
北国の人らしい、きれいな人であり、働き者である。

毎朝の習慣を崩すことは無い。
煙が上がり、腕が上がり、洗濯物が上がる。
おばちゃんの勤勉さに、こちらもどこか気持ちが引き締まる。

12月6日に駅前で倒れ、1月25日に病院で息を引き取った。

だから、2月2日に「その姿が見えない。」と書いたのは、法螺である。
もうその2ヶ月前から、姿は見えなくなっていたのだ。

このブログでも書いたことがあると思う。
季節ごとに、自慢の料理を持って来てくれた。
春にはたけのこご飯、夏には茗荷ご飯、寒くなってきたらモツ入りミネストローネ、
おせちのなます。
夕飯前の時間に、外の砂利道を「ジャッジャッジャッジャッ」と速めに踏む音が聞こえると、
お、今日はたけのこご飯がいただけるかな、などと思ったものだ。

地元農家ばかりのこの地区に引っ越して来て、
お隣の酒屋さんのこのおばちゃんとの付き合いが、
我が家にとっては頼りだった。
頼り切っていたことに、気付く。

葬式というもので涙を流したのは、私は今度が初めてだ。
私と同年輩である次男の彼女さんと少しお話しすることができた。
お世話になってばかりで何のお礼もできていなかった、と言うと、
「それはみんなそういう思いですよ。」と言ってくれた。
なるほど。

それにしても、
物干し場と朝の景色が、さみしくてならない。

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