日本人は時候の挨拶をして、季節感に敏感、という。
和歌から始まり、俳句では季語を軸として表現を作る。
高橋睦郎の『自分自身のための俳句入門』を読んでいる。
すると、この「四季」という概念も中国から
ほかの学問などと一緒に輸入されたものだ、と言っている。
そもそも日本の穏やかな季節の移り変わりでは、四季というほど
はっきりとは感じていなかった、
大陸の激しい四季の感覚というものを、暦や節気とともに
受け入れたものだろう、と言うのだ。
四季の変化を肌で感じながら暮らしているつもりであったが、
これも「四季」という概念が先に存在しているおかげだったのだろうか。
※
東京はここ数年、猛暑の影響なのか、彼岸過ぎまで暑いことが多く、
十月にも夏日が続いた年もあった。
長い長い夏のあと、短か過ぎてそれらしさを楽しむ暇も無いような秋が
もうしわけ程度にあって、途端に冬になだれ込む感じだった。
しかし、今年は久々に秋がある。
九月半ばには暑さもちゃんと落ち着いて、十月にはさわやかな秋空の日が多かった。
ところがここに来て突如十二月並の寒さとは。
※
ついて行けてない。
もともと私は衣替えが遅い。
寒さに強いので、長袖を着始めるのが遅い。
今年も油断して半袖でいたら、十二月だよと言う。
なんだか寒いと思った。
※
秋が好き。
と友人Bが言う。
暑いのは苦手だし、春のあの何から何まで盛んになって行く感じも
どうにも合わない。
だから、「秋・冬・秋・冬・秋・冬・秋・冬・・・」の繰り返しでいい。
と言う。
それはちょっと…憂鬱になりそうな…
というか、冬の後の秋というのは春のことなんじゃないの?
とツッコンでみるが、Bの想うのは「ああいうのじゃない」そうだ。
※
どうなってんだかわからないが、
とにかく冬支度をせねば。
和歌から始まり、俳句では季語を軸として表現を作る。
高橋睦郎の『自分自身のための俳句入門』を読んでいる。
すると、この「四季」という概念も中国から
ほかの学問などと一緒に輸入されたものだ、と言っている。
そもそも日本の穏やかな季節の移り変わりでは、四季というほど
はっきりとは感じていなかった、
大陸の激しい四季の感覚というものを、暦や節気とともに
受け入れたものだろう、と言うのだ。
四季の変化を肌で感じながら暮らしているつもりであったが、
これも「四季」という概念が先に存在しているおかげだったのだろうか。
※
東京はここ数年、猛暑の影響なのか、彼岸過ぎまで暑いことが多く、
十月にも夏日が続いた年もあった。
長い長い夏のあと、短か過ぎてそれらしさを楽しむ暇も無いような秋が
もうしわけ程度にあって、途端に冬になだれ込む感じだった。
しかし、今年は久々に秋がある。
九月半ばには暑さもちゃんと落ち着いて、十月にはさわやかな秋空の日が多かった。
ところがここに来て突如十二月並の寒さとは。
※
ついて行けてない。
もともと私は衣替えが遅い。
寒さに強いので、長袖を着始めるのが遅い。
今年も油断して半袖でいたら、十二月だよと言う。
なんだか寒いと思った。
※
秋が好き。
と友人Bが言う。
暑いのは苦手だし、春のあの何から何まで盛んになって行く感じも
どうにも合わない。
だから、「秋・冬・秋・冬・秋・冬・秋・冬・・・」の繰り返しでいい。
と言う。
それはちょっと…憂鬱になりそうな…
というか、冬の後の秋というのは春のことなんじゃないの?
とツッコンでみるが、Bの想うのは「ああいうのじゃない」そうだ。
※
どうなってんだかわからないが、
とにかく冬支度をせねば。
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