子どもの頃、家では見せてもらえなかった。
けれど、何度か見た記憶はある。
エンヤーコーラヤもオイーッスもひげダンスもカラスの勝手でしょも
ちょっとだけよも早口言葉もいっちょめいっちょめワーオも知っている。
親に隠れてコッソリ見たのだろうか。
そこまでは憶えていない。
家族で楽しく見たわけではないことは確かだ。
地元調布の公民館のギャラリーで、沿線の専門学校である
東放学園の卒業制作展が行われた。
その一角で、番組の舞台の設計図の展覧会があった。
セットを手がけていた山田満郎さんは去年亡くなった。
東放学園で教えていたという縁から、今回の展示となったようだ。
手書きの舞台デザイン図が、狭いスペースに所狭しと展示してある。
図面の右下に、年月日、会場名、タイトルなどが書いてある。
もう、この図を見ただけで、笑いがそそられる。
「ドリフの夢のマイホーム」という図。
舞台の左半分は大きな崖になっている。
崖下に、木造の小さな家が一軒建っている。
ただ、崖の上に、不自然に不安定な大岩がギリギリに乗っている。
もう、図を見ただけで、何が起こるか分かる。
きっと、幕が開いた瞬間に笑いが起こっただろう。
図面の中には、「人が乗ル」とか「落チル」「滑ル」「回転スル」「抜ケル」などといった
指示の書き込みがある。
「全体に汚れ」という指示はほとんど全てに書いてある。
昭和40年代、高度経済成長とは言って高層ビルが林立し始めてはいたが
都会もくすんだ風景が多かった。
セットの写真の多くは、暗い。
けれど、そこで突き抜けた笑いが生まれる。
「ドリフのかあちゃん!別荘だ!」なんて、
あきらかに別荘じゃない。
オンボロのバラックなんだ。
毎週、どこかの市民会館ホールで、大掛かりなセットを組む。
毎週、台本作りと合わせてどのように進行していたのだろうか。
舞台装置ありきのネタも多い。
車がすっ飛ぶとか、巨大なつららが落ちてくるとか、滝の水を浴びるとか。
現場にはものすごいエネルギーがあふれていただろう。
第一回の放送は、1969年だという。
私の生まれた年だ。
しかも、会場は三鷹公会堂だ。
地元じゃないか。
何かとても親密なものを感じた。
けれど、何度か見た記憶はある。
エンヤーコーラヤもオイーッスもひげダンスもカラスの勝手でしょも
ちょっとだけよも早口言葉もいっちょめいっちょめワーオも知っている。
親に隠れてコッソリ見たのだろうか。
そこまでは憶えていない。
家族で楽しく見たわけではないことは確かだ。
地元調布の公民館のギャラリーで、沿線の専門学校である
東放学園の卒業制作展が行われた。
その一角で、番組の舞台の設計図の展覧会があった。
セットを手がけていた山田満郎さんは去年亡くなった。
東放学園で教えていたという縁から、今回の展示となったようだ。
手書きの舞台デザイン図が、狭いスペースに所狭しと展示してある。
図面の右下に、年月日、会場名、タイトルなどが書いてある。
もう、この図を見ただけで、笑いがそそられる。
「ドリフの夢のマイホーム」という図。
舞台の左半分は大きな崖になっている。
崖下に、木造の小さな家が一軒建っている。
ただ、崖の上に、不自然に不安定な大岩がギリギリに乗っている。
もう、図を見ただけで、何が起こるか分かる。
きっと、幕が開いた瞬間に笑いが起こっただろう。
図面の中には、「人が乗ル」とか「落チル」「滑ル」「回転スル」「抜ケル」などといった
指示の書き込みがある。
「全体に汚れ」という指示はほとんど全てに書いてある。
昭和40年代、高度経済成長とは言って高層ビルが林立し始めてはいたが
都会もくすんだ風景が多かった。
セットの写真の多くは、暗い。
けれど、そこで突き抜けた笑いが生まれる。
「ドリフのかあちゃん!別荘だ!」なんて、
あきらかに別荘じゃない。
オンボロのバラックなんだ。
毎週、どこかの市民会館ホールで、大掛かりなセットを組む。
毎週、台本作りと合わせてどのように進行していたのだろうか。
舞台装置ありきのネタも多い。
車がすっ飛ぶとか、巨大なつららが落ちてくるとか、滝の水を浴びるとか。
現場にはものすごいエネルギーがあふれていただろう。
第一回の放送は、1969年だという。
私の生まれた年だ。
しかも、会場は三鷹公会堂だ。
地元じゃないか。
何かとても親密なものを感じた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます