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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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慣れ

2017年07月20日 | LGB&T
「LGBTだLGBTだって言って、うっかり何か言うとセクハラになる、気ぃ遣うわ!」
「こういうこと言われたくないああいうこと言っちゃだめって、じゃあどうしろっての!」
「腫れ物に触るようで、どう付き合っていいのかわからないよ!」

はいはい。
慣れてくださーい。

失言を指摘された時は、すごくいやな気持ちになる。
「悪気は無かった」では許してもらえない。
悪気が無くっても、相手を傷付けていることはやっぱり悪い。

「何?私が悪いワケ?こんなの世の中では当たり前よ!」と開き直る人もいる。
そんな世の中で闘って生きて行く上で、「当たり前」の常識とか社会通念を身に付けるのは、
まさに当たり前だ。
そうでなきゃ、痛い目にあう。
ただ、その常識や通念では、万能ではない、というだけのことだ。

失言を指摘されていやな気持ちになる人は、きっと、ちゃんと指摘を受け止めている。
まず、失言の時点で相手は傷付いている。
指摘されて傷付く必要もある。
いやな気持ちはお互い様だ。

ちょっとずつ傷付きあって、そういう経験を積み重ねて、
付き合い方をおぼえたり、信頼関係を築いたりしていくのだと思う。

ただの人間関係でしょ。

初対面の人には少なからず気を遣う。
何かの話題は避けるようにする場面なんていくらでもある。

気を遣うのに疲れるのは、気を遣い慣れていないからだ。
配慮をおぼえれば、なんでもないことだ。
それが礼儀とか大人であるとか紳士的とかいったことだろう。
やっていれば身に付く。

こういうことを言うとLGBTなどがいやな思いをしますよ、となぜわざわざ言っているか。
それは、カムアウトということが鍵になっていると思う。
ひとつは、目の前の人物がなんらかのセクシュアルマイノリティだとは気付かずに、
何か言ってしまうということがある。
目に見えない差別ではこれがありがちだ。
"そういう人"がいないからいいやと思って放言しても、実は目の前にいるのかもしれない。

また、言われる側から見た場合、
会話の中でいやな発言が有った時、すぐに指摘したり反論したり抗議したりできないことがある。
理由は、その会話がどういう場であったかとか、相手との立場の関係だとか、
自分に勇気が無いからとかいうこともある。
また、カムアウトせずに暮らしている場合、指摘することでバレると思うと、
いやでも黙るしかない。
悪く言えば泣き寝入りだ。

そういう、気付きにくい場面があるんだよ、ということを言うために、
あれがいやだこれがいやだということをお知らせしているのではないだろうか。
なんせ、今まで「無いこと」にされてきたのだから。

今でこそ、女子社員のおケツを撫でようもんなら「セクハラ」ということが問題になるのが「当たり前」になったが、
ほんの30年前は、上司のおさわりは当たり前なくらいだった。
それを、フェミニストたちが変えてきたのだ。
今の部課長クラスは、ヒラだった頃、上司が同期の女子社員のふとももを撫でるのなどを見て育っているはずだが、
そんな男たちが礼儀正しく振舞っているのも、過去にフェミニストたちが闘ってきたおかげだろう。
あ、もちろん、もともと触ったりしない礼儀正しい方が大多数だと思います。

けれど、「そんなことくらい当たり前。我慢しろ」と言うのは、
前時代的だと思う。
今でももちろん、セクハラ発言は無くなってはおらず、
お年頃の女性は各方面からジェンダー(性役割)に関する圧力がかかる。
それに耐えている人ほど、「我慢しろ」と言う、その気持ちは分かる。
けれど、我慢せずに声を上げた人たちが今までにいたから、
今はこの程度のセクハラでおさまっているのだ。とほほ。

だから、今後のためにも、今のセクシュアルマイノリティも、声を上げている。
30年後には、気を遣わぬほどに慣れているかもしれないよ。


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