[あらまし] 飼い犬ジーロくん去勢オス13歳11ヶ月。
下痢と下血と吐血が有ったので5月初めに動物病院を受診したら、
慢性腎不全という診断。
現在、毎日自宅で点滴をしている。
慢性腎不全と言ったら、もう良くなることは無いと思っていたが、
点滴が功を奏して、下痢もせず、元気に散歩に行けるようになった。
自宅で飼い主自身が点滴をする、ということに驚いて、
いろんな人に話してみたら、経験者は結構いた。
「うちのこも最後の半年は毎日うちで点滴してたわー。」
なんて言う。
それって、うちの余命もあとそんなもん、っていうことか、
と、覚悟した。
しかし、点滴を続けてみたら、血液検査の結果は
少しづつ良くなっていった。
散歩の帰りに疲れて立ち止まってしまうことも無くなり、
下痢しなくなり、食欲も良くなり、
おしっこもしっかり黄色いのが適量出るようになった。
毎日、点滴している間、犬の身体を抱きかかえるために来てくれる、
近所の友人Mには感謝の踊りでも奉納せにゃならん。
※
耳が遠くなった。
呼んでも気付かない。
しかし、一週間ほど前、
後ろから呼んだら、耳がくるりと動いた。
犬は、背後で物音がすると、よく聞こうとして耳が後ろに向く。
これはもう、反射的なものだ。
名前として聞き取れてはいないにしても、
声は聞こえているのだ。
中国古典医学では、耳と腎は密接な関係が有る。
腎臓が良くなって、耳の聞こえも改善されたのかしら、
などと思った。
※
近所の広場で、犬を放し、帰り際にはまたリードに繋ぐ。
以前は呼べば寄って来たが、今は声と同時に、私がしゃがむことで合図にしている。
しゃがむと、ジーロは駆け寄って来る。
ぐ。かわいいやつめ。
リードに繋がれることはまるでいやがらない。
犬によっては、「リードいや!」「もっと遊ぶ!」と走り去ることも有るが、
ジーロはなんだかひどく従順なのである。
リードを見せると寄って来さえする。
※
ジーロは、他のきょうだいより早く、生後5週で里親さんの家に行った。
そこで2日2晩鳴きとおして、「こんな犬飼えない」と、親きょうだいの元に戻されてきた。
無理も無い。
生後5週は、仔犬を引き離すには早過ぎる。
ボランティア団体も、何を考えていたのだか。
早過ぎる親別れは、犬に不安を植え付ける。
ジーロは今でも、ひとりになるのがいやだ。
放してやっても、数メートルごとに振り返って、私がいるのを確認する。
姿が見えなかったりしたら、大慌てで走り出して私を探す。
慌て過ぎて走り去ってしまうことすら有る。
呼ばれているのが聞こえないのだろう。
そうならないように、注意して、離れないように歩く。
※
広場から出る、帰り際には必ず振り返り、私がしゃがむと寄って来る。
そしてしっかりリードに繋いで、一緒に帰る。
という習慣が、なんだか少し崩れている。
毎日同じパターンで行動していると、同じようにできる。
犬は、行動の意味を理解しているわけではなく、パターンでおぼえているからだ。
「車も通る道をリード無しで渡ってはいけないから、ここでリードに繋がれる。」ではなく、
「いつもここで振り返ると親分が呼ぶから行くとリードに繋がれる。」というだけのことだ。
だから、行動パターンを崩すと、うまくいかなくなる。
※
呼び戻すタイミングが少しずれた。
リードに繋がれないまま、ジーロはトコトコトコと、ひとりで歩き、
呼んでも振り向きも立ち止まりもせず、
バス通りを一匹で横断して、帰り道に向かった。
私は大声で、いつも言う「とまれ」を言ってみたり名前を呼んでみたりしながら
追い駆けた。
道路はたまたま、車が多めではあったがそのせいも有って飛ばしておらず、
犬がトコトコトコと歩いて渡り切る間も、
両方向から来た車が一時停止してくれていた。
私の寿命が縮んだ。
何が起きても、飼い主の責任でしかない。
犬のためにも自分のためにも運転者のためにも、
私がきちんと犬をリードに繋ぐしかない。
まったく、点滴して元気になって車に撥ねられましたじゃあ
話にならない。
※
今日は青森レインボープライドだ。
昨年は、ジーロくんと一緒に参加した。
今年はこんな体調なので、遠出はやめておくことにした。
パレードが楽しく実り有るものでありますように。
参加者が、今後の支えになるような希望を感じられますように。
下痢と下血と吐血が有ったので5月初めに動物病院を受診したら、
慢性腎不全という診断。
現在、毎日自宅で点滴をしている。
慢性腎不全と言ったら、もう良くなることは無いと思っていたが、
点滴が功を奏して、下痢もせず、元気に散歩に行けるようになった。
自宅で飼い主自身が点滴をする、ということに驚いて、
いろんな人に話してみたら、経験者は結構いた。
「うちのこも最後の半年は毎日うちで点滴してたわー。」
なんて言う。
それって、うちの余命もあとそんなもん、っていうことか、
と、覚悟した。
しかし、点滴を続けてみたら、血液検査の結果は
少しづつ良くなっていった。
散歩の帰りに疲れて立ち止まってしまうことも無くなり、
下痢しなくなり、食欲も良くなり、
おしっこもしっかり黄色いのが適量出るようになった。
毎日、点滴している間、犬の身体を抱きかかえるために来てくれる、
近所の友人Mには感謝の踊りでも奉納せにゃならん。
※
耳が遠くなった。
呼んでも気付かない。
しかし、一週間ほど前、
後ろから呼んだら、耳がくるりと動いた。
犬は、背後で物音がすると、よく聞こうとして耳が後ろに向く。
これはもう、反射的なものだ。
名前として聞き取れてはいないにしても、
声は聞こえているのだ。
中国古典医学では、耳と腎は密接な関係が有る。
腎臓が良くなって、耳の聞こえも改善されたのかしら、
などと思った。
※
近所の広場で、犬を放し、帰り際にはまたリードに繋ぐ。
以前は呼べば寄って来たが、今は声と同時に、私がしゃがむことで合図にしている。
しゃがむと、ジーロは駆け寄って来る。
ぐ。かわいいやつめ。
リードに繋がれることはまるでいやがらない。
犬によっては、「リードいや!」「もっと遊ぶ!」と走り去ることも有るが、
ジーロはなんだかひどく従順なのである。
リードを見せると寄って来さえする。
※
ジーロは、他のきょうだいより早く、生後5週で里親さんの家に行った。
そこで2日2晩鳴きとおして、「こんな犬飼えない」と、親きょうだいの元に戻されてきた。
無理も無い。
生後5週は、仔犬を引き離すには早過ぎる。
ボランティア団体も、何を考えていたのだか。
早過ぎる親別れは、犬に不安を植え付ける。
ジーロは今でも、ひとりになるのがいやだ。
放してやっても、数メートルごとに振り返って、私がいるのを確認する。
姿が見えなかったりしたら、大慌てで走り出して私を探す。
慌て過ぎて走り去ってしまうことすら有る。
呼ばれているのが聞こえないのだろう。
そうならないように、注意して、離れないように歩く。
※
広場から出る、帰り際には必ず振り返り、私がしゃがむと寄って来る。
そしてしっかりリードに繋いで、一緒に帰る。
という習慣が、なんだか少し崩れている。
毎日同じパターンで行動していると、同じようにできる。
犬は、行動の意味を理解しているわけではなく、パターンでおぼえているからだ。
「車も通る道をリード無しで渡ってはいけないから、ここでリードに繋がれる。」ではなく、
「いつもここで振り返ると親分が呼ぶから行くとリードに繋がれる。」というだけのことだ。
だから、行動パターンを崩すと、うまくいかなくなる。
※
呼び戻すタイミングが少しずれた。
リードに繋がれないまま、ジーロはトコトコトコと、ひとりで歩き、
呼んでも振り向きも立ち止まりもせず、
バス通りを一匹で横断して、帰り道に向かった。
私は大声で、いつも言う「とまれ」を言ってみたり名前を呼んでみたりしながら
追い駆けた。
道路はたまたま、車が多めではあったがそのせいも有って飛ばしておらず、
犬がトコトコトコと歩いて渡り切る間も、
両方向から来た車が一時停止してくれていた。
私の寿命が縮んだ。
何が起きても、飼い主の責任でしかない。
犬のためにも自分のためにも運転者のためにも、
私がきちんと犬をリードに繋ぐしかない。
まったく、点滴して元気になって車に撥ねられましたじゃあ
話にならない。
※
今日は青森レインボープライドだ。
昨年は、ジーロくんと一緒に参加した。
今年はこんな体調なので、遠出はやめておくことにした。
パレードが楽しく実り有るものでありますように。
参加者が、今後の支えになるような希望を感じられますように。
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