「続編が前作を越えることはない」というあまりによく使われるので自分では使いたくないフレーズをためらわずに使うことができる格落ち続編。
前作をせいぜい佳作くらいにしか思っていない自分なので、今回は凡作というところ。
もっともスタートからの4分の3では「駄作だなこりゃ・・・」と思った。しかしクライマックスでやや巻き返して凡作に格上げしたというところ。
前作とのつながりは当然強いけど、前作で感じた現代とのつながりが希薄。
前作では「コミュニケーション」と「東京タワー」と「CGづくし」がうまく結びついて現代へとつながる映画になっていたのだが、今回は単なる前作の後日談で現代と結びつかない。ただの昭和人情劇でしかない。(もっとも原作もただの昭和人情劇だから間違った方向性ではないのだけど)
唯一現代との接点と思えたのが、淳之介が給食費を払わないから給食を食べないというエピソード。
ただの昭和人情劇でも面白ければ別にいいのだが、スタートからの4分の3については全く面白くない。
ミカちゃんのエピソードには豪邸が差し押さえられるシーンがないため彼女のプライドと屈辱感が伝わってこない。
トモエ(薬師丸ひろ子)が昔の想い人と偶然再開するシーンは、恋も知らない子供に父親以外の人との恋愛の思い出を語る不自然さに加え、偶然の再開後の台詞のみで説明される二人の想いに感情移入が不可能な上、前後のエピソードとの繋がりも希薄で、劇場公開時全カットでも問題無し。ディレクターズカットDVD再販時にでも付け足すべきだった。
ノリフミ(堤真一)が死んだと思ってた戦友と同窓会で再会するシーン。戦争で生き残ったものが幸せになってもいいのか・・・というそれ自体は素晴らしいテーマのエピソードであるが、とってつけた感が否めない。戦争を知らない人間が知った顔して描くのはとてもいいことだと思うが、言葉だけでは説得力も感動もない。
ストリップ小屋の女が「私らみたいのがいると迷惑かける」という気持ちも、言葉だけでは感情に訴えかけてこない。
井筒のように映像として凄惨な戦争をでっち上げてメッセージに説得力を持たせたり、ポール・ヴァーホーベンのようにハダカをさらしまくることで、物語に理屈で理解するのではなく感情を揺すぶる力が生まれる。
もちろん「三丁目の夕日」で血やセックスを描いても仕方ないのだけど、ただテーマを喋るだけというのはやめて欲しい。
茶川さん(吉岡秀隆)に芥川賞の選考結果が知らされるまでの展開は全て、あまりにも見え見えでそれなのにもったいぶった展開で、正直イライラさせられる。ブルース・ウィリスが幽霊であることを知った上で初めて観る「シックス・センス」くらい観ていてストレスが溜まる(海外留学していた後輩にバラされてからシックス・センスを見た実体験に基づく)。
茶川さんの書く小説の内容が全く示されないことにもかなり不満を感じたが、その内容がクライマックスで明かされた時、「ちゃんと考えていたんだ」と嬉しい驚きを覚える。(ここから映画を褒める)
小説の内容とともに、三丁目のみんなが賞を金で買おうとする(ゆえにその後の展開がバレバレなのだが)シーンが『計算された不快感』であったことが判り、「金で買えないもの」「現実は甘くない」といったキーワードが気持ちいいくらいに集約されていく。それまでの不満・退屈は消えて、切なさに胸がいっぱいになったところで、金持ちに嫁ぐため去っていったヒロミ(小雪)が茶川の元に戻る。9回裏逆転サヨナラホームラン。「いい話」に素直に酔う。
しかし、やはりこれはただ筋の良さに浸ったに過ぎない。
前作のクライマックスは、二つのエピソードが同時並行で描かれ、それぞれで走る茶川さんと走るオート三輪という疾走感のある映像が繋がれ、そのまま夕日に浮かぶ完成した東京タワーというゴールになだれ込み終わる・・・そんな怒濤の展開がオーバーに言えば映画ならではの感動だったのだが、続編のクライマックスはただ筋を追うだけ。
その後のエピローグも、広げた風呂敷を畳んでいるだけにしか思えず、はっきり言ってエピローグの際にタイトルかぶせて欲しかった。
クライマックスがなければ、たるくて泣けない駄作。クライマックスのおかげでいい気分。差し引きで「凡作」。
以上が私の感想。
ただこの「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズには別の楽しみがある。
それは、「俳優たちの顔や演技よりも背景に目がいく」こと。CGと実景の境目探しが楽しい。俳優が喋るだけが映画ではない。映画はスクリーン全体で作られているということを再認識させてくれる。
おしまいにゴジラ&伊福部昭ファンとしてのボヤキを記す。
オープニングのゴジラ襲来シーンにかかる伊福部昭作曲の「ゴジラ・メインタイトル」だが、あの曲は昭和29年の「ゴジラ」では自衛隊のテーマとして作られたものである。あの曲が晴れてゴジラのテーマとして使われるのは昭和50年の「メカゴジラの逆襲」で、しかも正義の怪獣ゴジラのテーマとして使われる。昭和29年から50年までの間にあの曲が、ゴジラシリーズはじめ東宝特撮映画で使われたことはない。
したがって三丁目の夕日の舞台となる昭和34年にあの曲がゴジラ襲撃シーンに使われるのは(私の感覚では)おかしい。
ちなみに東京タワーが破壊されるシーンが初めて映画に出るのは昭和36年の「モスラ」である。
イッペイ(小清水一揮)の「ゴジラが東京タワー壊したらどうするの?」という台詞に違和感を覚えるのは私だけだろうか?
私だけだろう。
********
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
前作をせいぜい佳作くらいにしか思っていない自分なので、今回は凡作というところ。
もっともスタートからの4分の3では「駄作だなこりゃ・・・」と思った。しかしクライマックスでやや巻き返して凡作に格上げしたというところ。
前作とのつながりは当然強いけど、前作で感じた現代とのつながりが希薄。
前作では「コミュニケーション」と「東京タワー」と「CGづくし」がうまく結びついて現代へとつながる映画になっていたのだが、今回は単なる前作の後日談で現代と結びつかない。ただの昭和人情劇でしかない。(もっとも原作もただの昭和人情劇だから間違った方向性ではないのだけど)
唯一現代との接点と思えたのが、淳之介が給食費を払わないから給食を食べないというエピソード。
ただの昭和人情劇でも面白ければ別にいいのだが、スタートからの4分の3については全く面白くない。
ミカちゃんのエピソードには豪邸が差し押さえられるシーンがないため彼女のプライドと屈辱感が伝わってこない。
トモエ(薬師丸ひろ子)が昔の想い人と偶然再開するシーンは、恋も知らない子供に父親以外の人との恋愛の思い出を語る不自然さに加え、偶然の再開後の台詞のみで説明される二人の想いに感情移入が不可能な上、前後のエピソードとの繋がりも希薄で、劇場公開時全カットでも問題無し。ディレクターズカットDVD再販時にでも付け足すべきだった。
ノリフミ(堤真一)が死んだと思ってた戦友と同窓会で再会するシーン。戦争で生き残ったものが幸せになってもいいのか・・・というそれ自体は素晴らしいテーマのエピソードであるが、とってつけた感が否めない。戦争を知らない人間が知った顔して描くのはとてもいいことだと思うが、言葉だけでは説得力も感動もない。
ストリップ小屋の女が「私らみたいのがいると迷惑かける」という気持ちも、言葉だけでは感情に訴えかけてこない。
井筒のように映像として凄惨な戦争をでっち上げてメッセージに説得力を持たせたり、ポール・ヴァーホーベンのようにハダカをさらしまくることで、物語に理屈で理解するのではなく感情を揺すぶる力が生まれる。
もちろん「三丁目の夕日」で血やセックスを描いても仕方ないのだけど、ただテーマを喋るだけというのはやめて欲しい。
茶川さん(吉岡秀隆)に芥川賞の選考結果が知らされるまでの展開は全て、あまりにも見え見えでそれなのにもったいぶった展開で、正直イライラさせられる。ブルース・ウィリスが幽霊であることを知った上で初めて観る「シックス・センス」くらい観ていてストレスが溜まる(海外留学していた後輩にバラされてからシックス・センスを見た実体験に基づく)。
茶川さんの書く小説の内容が全く示されないことにもかなり不満を感じたが、その内容がクライマックスで明かされた時、「ちゃんと考えていたんだ」と嬉しい驚きを覚える。(ここから映画を褒める)
小説の内容とともに、三丁目のみんなが賞を金で買おうとする(ゆえにその後の展開がバレバレなのだが)シーンが『計算された不快感』であったことが判り、「金で買えないもの」「現実は甘くない」といったキーワードが気持ちいいくらいに集約されていく。それまでの不満・退屈は消えて、切なさに胸がいっぱいになったところで、金持ちに嫁ぐため去っていったヒロミ(小雪)が茶川の元に戻る。9回裏逆転サヨナラホームラン。「いい話」に素直に酔う。
しかし、やはりこれはただ筋の良さに浸ったに過ぎない。
前作のクライマックスは、二つのエピソードが同時並行で描かれ、それぞれで走る茶川さんと走るオート三輪という疾走感のある映像が繋がれ、そのまま夕日に浮かぶ完成した東京タワーというゴールになだれ込み終わる・・・そんな怒濤の展開がオーバーに言えば映画ならではの感動だったのだが、続編のクライマックスはただ筋を追うだけ。
その後のエピローグも、広げた風呂敷を畳んでいるだけにしか思えず、はっきり言ってエピローグの際にタイトルかぶせて欲しかった。
クライマックスがなければ、たるくて泣けない駄作。クライマックスのおかげでいい気分。差し引きで「凡作」。
以上が私の感想。
ただこの「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズには別の楽しみがある。
それは、「俳優たちの顔や演技よりも背景に目がいく」こと。CGと実景の境目探しが楽しい。俳優が喋るだけが映画ではない。映画はスクリーン全体で作られているということを再認識させてくれる。
おしまいにゴジラ&伊福部昭ファンとしてのボヤキを記す。
オープニングのゴジラ襲来シーンにかかる伊福部昭作曲の「ゴジラ・メインタイトル」だが、あの曲は昭和29年の「ゴジラ」では自衛隊のテーマとして作られたものである。あの曲が晴れてゴジラのテーマとして使われるのは昭和50年の「メカゴジラの逆襲」で、しかも正義の怪獣ゴジラのテーマとして使われる。昭和29年から50年までの間にあの曲が、ゴジラシリーズはじめ東宝特撮映画で使われたことはない。
したがって三丁目の夕日の舞台となる昭和34年にあの曲がゴジラ襲撃シーンに使われるのは(私の感覚では)おかしい。
ちなみに東京タワーが破壊されるシーンが初めて映画に出るのは昭和36年の「モスラ」である。
イッペイ(小清水一揮)の「ゴジラが東京タワー壊したらどうするの?」という台詞に違和感を覚えるのは私だけだろうか?
私だけだろう。
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やたら説明してんですよね。それを映像で語れなかったのがこの映画の限界ということで。
もろに二匹目のどじょうでしたが、ここは須賀ケンタが成長しきってしまわないうちに撮ってしまおうという意思が見えちゃいましたね。
まあ、たくさんの人を映画館に動員する大いなる力は賞賛します。
薬師丸と再会した大川隆法、じゃなくて上川隆也が「もし戦争がなければ、僕たちは・・・」で止めておけばいいものを「結婚して、云々」と言われなくても観客が察することができることまで、ぜーんぶ喋っちまうんですよね。ベタを目指した作品とはいえ、やり過ぎです。
ちなみに、ミカちゃんがお嬢さまだった頃の映像が出てこないのは、どうしてもお金持ちの顔に見えない平田満が父親役だったから、というのが真相です(笑)。
てなわけで、TBありがとうございました。
いっそ、うんヶ月後なんて設定にしないで、リアルに2年後とかにするとか、早くも二代目淳之介をキャスティングするが不評のため第三作目でまた須賀くんに戻るみたいなジェームズ・ボンド状態にするとか、すればよかったのに、と思います。
>にら様
ミカちゃんの父親役を石田純一とかにすれば、金持ちっぽさも落ちぶれっぽさも出たかもしれないですね
ゴジラシーンは 原作で一平が夢見るところがあるので
(舞台の年にこだわらなければ)
私は あまり きになりませんでした。
音楽は・・・そういえばそうですね
(といっても29年ものはリバイバルで観たのですが音楽は全く覚えていません)
こちらからもTBさせて頂きます。よろしくお願いします。
まあ、もともと昭和3x年の再現ではなく、現代の客を楽しませるためのシーンですからね。
エキサイティングなシーンだったのでいいと思うんですけど、ゴジラオタクのたわごとだと思ってください。ははは
いつもながら、めった斬りしていますね。よく知り、学んでいて、才能があるからこそ、こういう評が書けるのだと驚いてしまいました。私は最近、初めからあまりなかったのに、どんどん言葉の引き出しが閉じられ、駄作でもどこかなにかを見つけて誉めてしまっています。本作は、つまらなかった前作よりもよかったと評しました。護りに入っているようで、お恥ずかしいかぎりです。また、時々、お邪魔します。読ませていただき、ありがとうございました。 冨田弘嗣
いえいえ、過去の再現でなく、現代人へのサービスだからあれでいいんです。
ゴジラ登場のショートモチーフは昭和38年に初作曲だから茶川さんの想像に出てくる筈ないとか、そんなゴジヲタの戯言は聞き流してくださいな
私も詐欺師登場時点で、興ざめしましたが、芥川賞にノミネートされただけでも、仕事が増えるんちゃうの?って思うねんけどな~。
うーん・・・でもアカデミーにノミネートされても仕事の増えない俳優もいますからねえ・・・