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映像作品とクラシック音楽 第80回 『波止場』〜レナード・バーンスタイン唯一の映画音楽

2022-12-16 00:02:00 | 映像作品とクラシック音楽
2回ほどスベリ覚悟でジョン・ウーの映画について書きました。そこから「鳩」つながりで『波止場』です。そういえば波止場の主人公は鳩飼ってましたっけ。ジョン・ウーがリメイクすればいいのに!

というわけで今回はエリア・カザン監督の1954年作品『波止場』を取り上げます。(昭和で言うと29年、『七人の侍』『二十四の瞳』『ゴジラ』の年ですね)
アカデミー賞で作品賞を受賞し、マーロン・ブランドがアカデミー賞主演男優賞に輝いた、名作として認知されている作品ですが、クラシック音楽ファンにとってはもう一つ重要な要素のある作品です。
レナード・バーンスタインが唯一手がけた映画音楽こそ『波止場』のサントラとなります。

あれ?唯一って『ウェストサイド物語』は?って思うかもしれませんが、あれはブロードウェイ版のバーンスタインのスコアを使ったというだけで、バーンスタインは映画版のために編曲したわけでも、演奏・録音に関与したわけでもありません(多分)
『ウェストサイド物語』はアカデミー賞で「ミュージカル音楽賞」を受賞し、編曲や指揮にあたった4人にオスカーが渡されましたが、その中にバーンスタインは含まれておりません。それはそれでなんでやねんですね。

さて『波止場』ですが、以前『ウェストサイド物語』について書いた時にも書きましたが、50年代アメリカに吹き荒れた赤狩りの嵐の中で作られた作品です。
監督のエリア・カザンが非米活動委員会に呼ばれ映画仲間の何人かをあいつらはアカだと証言し、証言された彼らは職を失い、カザンは引き続きハリウッドで映画を作る免罪符を得ます。そうして作られたのが『波止場』で、この作品でカザンはアカデミー賞監督賞を受賞し、彼の代表作となるのです。

別の有名作品でも似たような事がありました。ミュージカル界のジェローム・ロビンスも非米活動委員会に仲間を売って得た免罪符で『ウェストサイド物語』を制作、上演し大ヒットを飛ばします。

その両方の作品で音楽として関わったのがレナード・バーンスタインとなるわけです。

そうした背景も踏まえて『波止場』を観ると色々興味深いです。
港の荷揚げやなんかを生業とする港湾労働者たちを束ねる組合がありますが、組合とは言っても実質ヤクザで波止場の仕事を牛耳り、労働者からピンハネし、実態を役人や警察に訴えようとする者は脅したり、殺したりします。
かつてボクサーだったマーロン・ブランド演じる主人公は、組合のボスに恩義があり彼の元で働いていますが、ある日波止場の実態を告発しようとした彼の友人の殺害に間接的に関わってしまいます。
しかもその友人の妹(エヴァ・マリー・セイント)に主人公は惚れてしまいますが、妹は兄の死の真相を調べようとします。
波止場のボスへの義理と、友人の妹への想いの板挟みに悩む主人公ですが、最終的には正しい道を選ぶのです。

搾取される労働者たちのために不正と戦う主人公とくると、なんとなく左翼っぽい映画でもあるのですが、その割にこの映画から私は左翼臭をあまり感じませんでした(それでも当時はよりにもよって労働組合の映画を作るのかとなじる者もいたようです。どんな映画作ろうがいいじゃねーか)

労働階級を主役にした映画であっても日本やヨーロッパと違うのは、階級間の戦いよりも、個人の信念の問題に物語が落とし込まれていくのがアメリカ的な気がします。団結して圧制者を倒すエイゼンシュテイン的な展開にはならず、己の信じる正義の話であり、決して国や社会の改革を声高に叫ぶ映画にはなっていないのです。
また、主人公が勇気を持って公聴会で波止場の組合の不正を告発する姿は、非米活動委員会に仲間を告発したカザンの言い訳のようにも取れる…とするのは流石に穿ちすぎた見方かもしれませんが

話は変わりますが、本作のマーロン・ブランドは素晴らしいですね。私が物心ついた頃マーロン・ブランドなんてすでに「大して出番ないくせにやたらふんぞり返ってる人」になってましたが、本作では悩み疲れ傷つきながらも、勇気を振り絞って戦い勝利する若者を見事に演じていました。こんな人間臭い役を演じる時期もあったのですね。

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さて、音楽の話です。
いま「波止場 バーンスタイン」でググると、当時バーンスタインの音楽は酷評された、みたいな情報が結構ヒットします。
しかし私はそういう評を鵜呑みにはしません。なぜならバーンスタインは『波止場』の音楽でアカデミー賞作曲賞にノミネートされており、本当に酷評「のみ」だったとしたらそうはならないと思うのです。
またバーンスタイン自身も『波止場』の音楽を、その後も演奏したり録音したりしています。自他ともに評価は必ずしも低くなかったと思います。

とは言え…その後バーンスタインが二度と映画音楽をやらなかったという事実から思うに…
どうも勝手が違うな…とバーンスタイン自身も思ったのではないでしょうか?
なにしろミュージカルなら自分の音楽に合わせて役者が踊ってくれるわけですが、映画の場合は逆で、役者や映像の動きの方に音楽を合わせていかなくてはなりません。カット単位で尺も決められていて作曲家としては制約がとても多い仕事です。
映像とぴたりシンクロした音楽を書くというのはやはりそれ相応のセンスと技術と努力そして経験が要ります。
バーンスタインとしてはあまり楽しくなかったのかもしれません。
俺俺なバーンスタインが映像にがんじがらめにされる映画音楽に気持ちが乗らないのはわかる気がします。

それでもなんでも、今『波止場』を音楽を気にしながら観てみると、映画の劇伴音楽としては賛否あったのはわからないでもないですが、音楽としては素晴らしく『波止場』という作品を魅力的なものにしていると思います。
しかし同時に個性的すぎて、映像の雰囲気やスピード感と全くマッチしていない曲が結構あります。

冒頭、メインキャスト、スタッフのクレジットにかぶさるもの悲しい曲がとても素敵で、おや、いいじゃないかバーンスタイン…と思いますが、続けて本編が始まると波止場の組合事務所から男たちがゾロゾロ出てくるところでドンガドンガとパーカッションがリズミカルにたたかれてブラスも景気良く鳴り出します。
しかしこの場面は映像的には引きの画で、広い視野の画であり、ちょっと映像のリズム感と音楽のリズム感があっていません。
おいおいもしかして波止場のギャングたち歌ったり踊り出したりしないだろうな?と心配になるくらいに、どこかウェストサイド物語の序曲に似た雰囲気があります。
しかしもちろん波止場のいかつい男たちは歌いも踊りもせず、主人公マーロン・ブランドが友人を呼び出して集合住宅の屋上に誘い出すシーンに続きます。

そんな感じの曲が多く、映画の世界に畑違いのミュージカル界の人気者が乗り込んできたものの、わかっとらんようだなと感じる人が一定数いたであろうことは想像に難くありません。

しかし一方で当時の映画音楽の常識をぶち破るような革新的な曲もありました。

後半で、マーロン・ブランドがエヴァ・マリー・セイントの家にやってきてドアを蹴破って中に入り2人はしばらく口論したのちに突如としてキスをするというシーンがあります
このシーン、ワンカット…ではないですが、長回し気味で2人の芝居をじっくりと見せます。
しかしそこにかかる音楽が、明らかにスピード違反気味にぶっ飛ばしていて、いったいこれから何が始まるのかと不安にさせつつも音楽の迫力でなんだかテンションが上がっていきます。そして2人がキスした瞬間にビタっと音楽が止まるのです。キスの間、音楽は無音になります。
キスを印象的にするために音楽で強引に緩急をつける。この手法、「映画音楽」のベテランたちはむしろやらないというか考えつきもしないように思います。この辺がバーンスタインの発想なのか、監督エリア・カザンの演出なのかは分かりませんが。

そうした賛否分かれるような斬新な音楽もありますが、ただ、どうも映画として観ていると音楽がやや悪目立ちしている印象は受けます。
しかしバーンスタイン自演による「映画「波止場」からの交響組曲」で、音楽単体で聴くとそれはそれは感動できます。

私が持っているのは、特定の作曲家の代表曲をまとめて聴くのに便利な「パノラマ」シリーズのバーンスタイン作品集に収録されているものです。イスラエルフィルによる演奏です。
6曲からなる組曲で映画で使われた曲は大体網羅しています。
2曲目にさっそく上述のキス前の曲が聴けます。だいぶ編曲されてるみたいですが。とてもロマンチックなシーンの前振りの曲とは思えず、リフとベルナルドがナイフ持って殺し合いしてるシーンの方が似合いそうです(笑
4曲目の穏やかな曲(マーロン・ブランドとエヴァ・マリー・セイントのデートの曲)はメロディがちょっとだけウェストサイド物語の「Something Comming」に似てたりして微笑ましいです。
『ウェストサイド物語』の作曲は『波止場』の後なので、色々と『ウェストサイド物語』のためのプロトタイプ作曲になっていたのかもしれません

終曲は映画でもラストシーンに使われた曲です。
映画だと組合のゴロツキどもにボコボコにされたマーロン・ブランドが、労働者たちの見守る中で、暴力に屈せずに仕事場に向かう、そんな重々しくも、不撓不屈の魂の勝利に喝采を送りたくなる素晴らしい場面でしたが、オープニングのもの悲しいメロディそのままながら、フルオーケストラが情感たっぷりに歌い上げ感動できます。

バーンスタインもこうして映像にとらわれる事なく演奏できる方が楽しいのでしょうね。
のびやかに、自分の曲だからいいんですが好き勝手に演奏してる感じが、イスラエルフィルの名演も相まって、映画で聴く以上にスッキリしますし、聴けばまた映画が観たくなったりします。で、映画を見返すと微妙な感じになってまたCDで聴く…という悪魔のサイクルにハマります。

では、今回はこんなところで
また、素晴らしい映画と音楽でお会いしましょう

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