考えてみれば、すごく映画作家として挑戦しがいのある物語であり、無謀な冒険ともとれる映画だ。
別に9.11を題材にしていることじゃない。
身動き一つとれない2人の人間が暗闇で喋るだけの映画をいかにして盛り上げるか!!??
無理だよそんなの・・・とこの企画から逃げ出す監督や脚本家は多かったのではないだろうか?
ウエストサイド物語とかスターウォーズとか宮崎アニメとかが人気あるのは、映画に躍動感があるからだろう。元気よくあっちこっちとスクリーンを縦横無尽に飛び回る映画は観ていて楽しい。でもそうした躍動感を殺し、あえて表現に制約を課して挑む作品てのはけっこうかっこいいと思う。絵描きがわざと片腕使えなくするというか、バイオリン弾きがわざと弦一本とってしまうとか、そういうのに近い。
「翼よあれが巴里の灯だ」(ビリー・ワイルダー)、「救命艇」(アルフレッド・ヒッチコック)、最近だと「フォーン・ブース」(ジョエル・シューマッカー)とか、密室劇というやつだ。例にあげた作品はどれも一長一短あるけれど
それで「ワールド・トレード・センター」は表現にわざと制約課すという点では究極に近いのではないだろうか?
だって今まで観た映画の中で、身動き一つとれない2人の男が会話するだけの映画なんてちょっと思い出せない。
しかしもちろん喋ってるだけじゃ面白くなる筈がない。そこで近くでぼんぼん爆発起こったり、近くに落ちてる拳銃が暴発したりと、身動きできないってのにこれは怖い。不謹慎といわれようがなんといわれようが、斬新なアイデアで魅せる、手に汗握る寝たきりアクション映画としてよくできていると思う。
カット割りでも興味をひかれるところがあった。
生き埋めのマイケル・ペーニャのさらに数メートル下で生き埋めになっているニコラス・ケイジ。2人は体が動かせないから基本的に上向きで喋る。マイケル・ペーニャを写すカメラはやや下からのアップショット中心に、真上からロングショットで撮ったり、マイケル・ペーニャ目線で彼の数メートル上方の割れ目から差し込んでくる外の光を撮ったり、カメラポジションはあっちこっちに動く。
しかし、ニコラス・ケイジを写す時、ほとんどがやや上からのアップショット。ニコラス・ケイジは上向きて喋るが、カメラがニコラス・ケイジ目線になることはほとんどない。真っ暗な地下だから何も見えないということもあるだろう。
ニコラス・ケイジのアップは誰の目線だろう。マイケル・ペーニャは首を動かすのもおっくうそうだし、だいたい数メートル下のケイジの顔をアップで捉えるのも変な話だ。マイケル・ペーニャ目線なら手前に多量の瓦礫を配置して暗闇の中に小さくニコラス・ケイジの顔が収まるような構図にすべきだ。
上から目線だから、「神の目線」ともとれる・・・いやいや、だったらもっと俯瞰した映像にすべきだし、だいたい神の目線が意識されるのはむしろマイケル・ペーニャの方だ。
はるか高みから差し込む光は神々しく、また彼は神の啓示を受けたと思い込む元海兵隊員に、その光が差し込む割れ目から声をかけられる。何より相当露骨な描写だが、マイケル・ペーニャは朦朧とした意識の中でキリストの姿を見る。
ひたすらアップのニコラス・ケイジは光も見えず、神からも見放された絶望的状況であることがわかる。彼を写すカメラはいってみれば客の目線というか、誰の目線でもない、いわば瓦礫と同じ扱いなのだ。しかしラストにおいて、意識を失いかけたニコラス・ケイジに見えるのは愛する妻の姿だった。神の視界にすら入っていなかったことが強調されていたニコラス・ケイジにも愛する妻の姿だけは見えるのだ。それまでただ存在するだけだったニコラス・ケイジを写すカメラはここで妻の目線に転化する。
見事な視点の変化だ。
ラストで本物の妻を見て涙ぐみ「君が生きる力をくれた」と語るニコラス・ケイジの気持ちが伝わり、もらい泣きしてしまったのは、こうした長い長いカットの積み重ねがあったからではないだろうか?
これがマイケル・ベイ監督だったらカメラは瓦礫の中をぶおんぶおん動き回ったんだろうな。それはそれで観てみたい気もするけど・・・
あのちょっとサイコな感じの海兵隊員の台詞
「俺は海兵隊だ。命を助けるのが仕事だ」
「これからますます優秀な兵士が必要になるだろう」
オリバー・ストーンらしい皮肉と戦争批判を感じる人物だが、そんな海兵隊員もあのテロの日はたしかに英雄であり、ああいう男もひっくるめてアメリカは確かに一つになっていた。非常時の団結心を、とくに肯定も否定もせず、そのまま描いているところが逆に深みがある。
やっぱうまいよね。だてにオスカーとってないよね。オリバー・ストーン。
*******
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
別に9.11を題材にしていることじゃない。
身動き一つとれない2人の人間が暗闇で喋るだけの映画をいかにして盛り上げるか!!??
無理だよそんなの・・・とこの企画から逃げ出す監督や脚本家は多かったのではないだろうか?
ウエストサイド物語とかスターウォーズとか宮崎アニメとかが人気あるのは、映画に躍動感があるからだろう。元気よくあっちこっちとスクリーンを縦横無尽に飛び回る映画は観ていて楽しい。でもそうした躍動感を殺し、あえて表現に制約を課して挑む作品てのはけっこうかっこいいと思う。絵描きがわざと片腕使えなくするというか、バイオリン弾きがわざと弦一本とってしまうとか、そういうのに近い。
「翼よあれが巴里の灯だ」(ビリー・ワイルダー)、「救命艇」(アルフレッド・ヒッチコック)、最近だと「フォーン・ブース」(ジョエル・シューマッカー)とか、密室劇というやつだ。例にあげた作品はどれも一長一短あるけれど
それで「ワールド・トレード・センター」は表現にわざと制約課すという点では究極に近いのではないだろうか?
だって今まで観た映画の中で、身動き一つとれない2人の男が会話するだけの映画なんてちょっと思い出せない。
しかしもちろん喋ってるだけじゃ面白くなる筈がない。そこで近くでぼんぼん爆発起こったり、近くに落ちてる拳銃が暴発したりと、身動きできないってのにこれは怖い。不謹慎といわれようがなんといわれようが、斬新なアイデアで魅せる、手に汗握る寝たきりアクション映画としてよくできていると思う。
カット割りでも興味をひかれるところがあった。
生き埋めのマイケル・ペーニャのさらに数メートル下で生き埋めになっているニコラス・ケイジ。2人は体が動かせないから基本的に上向きで喋る。マイケル・ペーニャを写すカメラはやや下からのアップショット中心に、真上からロングショットで撮ったり、マイケル・ペーニャ目線で彼の数メートル上方の割れ目から差し込んでくる外の光を撮ったり、カメラポジションはあっちこっちに動く。
しかし、ニコラス・ケイジを写す時、ほとんどがやや上からのアップショット。ニコラス・ケイジは上向きて喋るが、カメラがニコラス・ケイジ目線になることはほとんどない。真っ暗な地下だから何も見えないということもあるだろう。
ニコラス・ケイジのアップは誰の目線だろう。マイケル・ペーニャは首を動かすのもおっくうそうだし、だいたい数メートル下のケイジの顔をアップで捉えるのも変な話だ。マイケル・ペーニャ目線なら手前に多量の瓦礫を配置して暗闇の中に小さくニコラス・ケイジの顔が収まるような構図にすべきだ。
上から目線だから、「神の目線」ともとれる・・・いやいや、だったらもっと俯瞰した映像にすべきだし、だいたい神の目線が意識されるのはむしろマイケル・ペーニャの方だ。
はるか高みから差し込む光は神々しく、また彼は神の啓示を受けたと思い込む元海兵隊員に、その光が差し込む割れ目から声をかけられる。何より相当露骨な描写だが、マイケル・ペーニャは朦朧とした意識の中でキリストの姿を見る。
ひたすらアップのニコラス・ケイジは光も見えず、神からも見放された絶望的状況であることがわかる。彼を写すカメラはいってみれば客の目線というか、誰の目線でもない、いわば瓦礫と同じ扱いなのだ。しかしラストにおいて、意識を失いかけたニコラス・ケイジに見えるのは愛する妻の姿だった。神の視界にすら入っていなかったことが強調されていたニコラス・ケイジにも愛する妻の姿だけは見えるのだ。それまでただ存在するだけだったニコラス・ケイジを写すカメラはここで妻の目線に転化する。
見事な視点の変化だ。
ラストで本物の妻を見て涙ぐみ「君が生きる力をくれた」と語るニコラス・ケイジの気持ちが伝わり、もらい泣きしてしまったのは、こうした長い長いカットの積み重ねがあったからではないだろうか?
これがマイケル・ベイ監督だったらカメラは瓦礫の中をぶおんぶおん動き回ったんだろうな。それはそれで観てみたい気もするけど・・・
あのちょっとサイコな感じの海兵隊員の台詞
「俺は海兵隊だ。命を助けるのが仕事だ」
「これからますます優秀な兵士が必要になるだろう」
オリバー・ストーンらしい皮肉と戦争批判を感じる人物だが、そんな海兵隊員もあのテロの日はたしかに英雄であり、ああいう男もひっくるめてアメリカは確かに一つになっていた。非常時の団結心を、とくに肯定も否定もせず、そのまま描いているところが逆に深みがある。
やっぱうまいよね。だてにオスカーとってないよね。オリバー・ストーン。
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なるほど~。面白いですね。
そうそう、こんな設定で持つのかなと思いましたが
ちゃんとそうして視点を変えていたのですね。
終始後ろ向きのようなニコラス・ケイジはこの視点のせいだったのですね。
最後、助けられた時に大勢のレスキューが覗き込んでるショットがありましたね。
>神の視界にも入ってない男が助かった瞬間です。
かたや海兵隊員は「神の啓示」を受けてやってくるわけで。ちゃんと批判してましたよね、ストーンは。
よくあんなんで二時間保たせたなと関心しました。
グランドゼロでは、みんながみんなを見つめていた・・・そんな感じでしょうか
海兵隊員はイカニモコレミヨガシな感じもしましたが、ストーンなんだしそれもお約束と思って観れました。