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ALIQOUI film 制作作品公開 『猫とり名人』(2006年)

2020-04-07 22:52:53 | ALIQOUI Film制作自主映画の紹介
コロナで外出自粛が続く折、少しでもお暇つぶしになればと、旧作を公開していきます。第二弾は・・・
猫とり名人
2006年作品 23分


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うえだ城下町映画祭 永井正夫賞受賞
小津安二郎記念蓼科高原祭 入選 他

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監督・脚本 齋藤新
制作 齋藤新/齋藤さやか
撮影 齋藤さやか/矢嶋ゆーや/松本竹久
音楽 齋藤新/齋藤さやか

出演
猫とり名人・・・・・・・・・・アッキー(秋山卓)
ネズミのお嬢さん・・・・・・・さおり
ネコたち・・・・・・・・・・・新谷聡/神田健太/リコ/本田康弘
明智光秀・・・・・・・・・・・だいすけ
織田信長・・・・・・・・・・・島津則雄
ネズミの奥方様・・・・・・・・じゅにあ(宮沢ヨウコ)

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私が手掛けた現在のところ唯一の時代劇
明治初期を舞台に、猫とり名人と、ネズミの化け物たちとの戦いを描く、ファンタジーアクション(?)


なんでこんなヘンテコな映画を撮ろうと思ったのか、忘れてしまった。
この前年に蓼科高原映画祭に初入選して、もう一度蓼科に行こうと、メインターゲットを蓼科高原映画祭に絞って作った短編。その意味では目的は達成している。

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当初は内田百閒の幻想譚のような物語を構想し、そのうち溝口の『雨月物語』や黒澤の『羅生門』を意識して、それらにユーモアを付加したような映画を考えた。
第1稿の段階で、主要キャストを集めてのキックオフミーティングを行い、そうした作品の方向性を説明した。
次のミーティングまでに『雨月物語』と『羅生門』は観といてくださいとお願いした。

ところがそこから決定稿へと変えていくうちに作品の雰囲気は劇的に変わっていった。
その間参考にした映画が『トップガン』と『ランボー3』とツイ・ハークの映画だったりするから仕方ない。
2回目のミーティングで全然雰囲気の変わった脚本を手渡されたキャストには少しの戸惑いもあったようだ。
じゅにあ(宮沢ヨウコ)さんは「私『羅生門』ちゃんと観てきましたよ」と戸惑い気味に言っていた。すみません。でもおかげで『羅生門』観れたなら良いじゃないか。

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キャストは私の所属劇団の劇団天邪鬼の定期公演に出演していた面々と、前作に続けて前のめりで協力してくれたリコさんが集めた面々の混合である。
特にリコさんが強く推したのが前述の宮沢ヨウコさんで、彼女の吐くセリフには魂がのっていた。喋ることで周りを強く惹きつける力を持っていた。
この映画の場合はある種の狂気が含まれていた。もしかすると『羅生門』の京マチ子が少し入っていたのかもしれない。

当初はリコさんにネズミの奥方を演じてもらおうと思っていたが、リコさんの強い推しでそこはヨウコさんに演じていただき、リコさん自身もネコの役で出ていただいた。
この映画のころ、リコさんもヨウコさんも所属劇団のないフリーの役者で、色々と表現の場所を求めていたころだったと思う。
リコさんは『猫とり名人』の撮影後に、後々松本でも屈指の人気劇団となる『れんげでごはん』を立ち上げる。ヨウコさんはそこの看板女優となっていく。
映画より舞台のヨウコさんの方がさらに魅力的だった(映画作家としては悔しいが)。
ヨウコさんのことがとても気に入った私は翌年の『Soulmate』でも準主演で出演していただいた。
本当はもっと沢山彼女と撮りたかったが、彼女は松本を離れて富山へと引っ越して行ったのだった。

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ネズミのお嬢さんを演じたさおりちゃんは私の所属劇団の天邪鬼の女優で、絶対映画映えする可愛らしい方だと思っていたし、実際映えた
さおりちゃんとはのちにもう一作撮る。それでも映えた。とはいえその二作目は、それは作品というより結婚する彼女への餞別のような映像詩だった。ガンアクション系の。
さおりちゃんほど可愛い人を射止めた男は一体どんなイケメンなんだろう?と思うかもしれないが、そう思う人にはあまりに残念な男が今も彼女の伴侶である。『猫とり名人』にもネコの役でリコさんと一緒に出演している。

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おっと、女優の話ばかりで肝心の名人の話をしていない。
名人を演じたアッキーは、撮影当時は天邪鬼の公演に客演していた。彼は天邪鬼の団員ではなかったが団員みたいなもんだった。
基本、撮影といえばひょいひょいやってきた。
彼は当時、本の読み聞かせや語り芝居も精力的にやっており、昔話的なこの映画の語り部としても最適だった。独特すぎる演技の個性もあり、明治というどうとでも表現可能な時代設定において、見事なまでに現代性の欠如した唯一無二の名人像を作ってくれた。
私の映画に出演した他のどんな俳優も、この名人にはなれないだろうし、彼にとっても一世一代のはまり役に違いないとすら思っている。
彼は後述する事情で私の妻の実家に泊まったことがあり、お義母さんはいまでも時々「名人元気かい?」と言ってくる。
アッキーとはもう一作がっぷり四つに組んで作った8ミリフィルム作品があるのだが…ごめんなさい10年経ってまだ未完です。

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『猫とり名人』は蓼科の他に、うえだ城下町映画祭にま入選し、審査員の1人の永井正夫さん(映画プロデューサー)の名を冠した永井正夫賞をいただいた。
永井さんは「時代劇という大変なジャンルに取り組んだことを評価したい」と評してくれました。
また審査員の1人の古厩智之監督は立ち話の中であるが「いやあ、応募作の中で一番バカでしたねえ!」と、映画作家人生の中で一番嬉しいことを仰ってくださいました。

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作品の話とは少しずれるが、『猫とり名人』のおかげで、素晴らしい映画作家との親交が生まれた。佐々木想監督だ。
うえだ城下町映画祭で、私が猫とりで入賞した年のグランプリは佐々木監督の『陸上生活』だった。
ところが、佐々木監督は表彰式で名前が呼ばれても現れなかった。
その後スタッフと打ち上げになり、上田駅近くの居酒屋に移動。映画祭の実行委員長で今は亡き映画評論家の品田雄吉さんらと楽しく語っていると、佐々木監督があのー、すいませんと、打ち上げ会場に現れた。

実は佐々木監督は表彰式の時も会場にいたにもかかわらず、シャイなのでステージに上がれなかったのだという。

映画祭にはアッキーも来てくれて、打ち上げが盛り上がってもう松本に帰る電車も無くなったころにお開きとなった。アッキーにこの後どうするの?と聞いたら何も考えてないと言う。バカか。11月の上田は寒いぞ。
妻の実家は上田にあった。見かねた妻はうちに来るかいとアッキーに聞いた。
するともう1人所在なさげな人がいて、佐々木監督だった。松本にも帰れないのに、東京に戻る電車などあるはずない。この後どうするんですか?と聞いたら宿もないし、予定もないと。
妻がうちに来るかいと誘った。

そして私とアッキーと佐々木監督は妻の実家で大いに呑んで語った。
私は酔っ払ってしまい、何を話したかあまり覚えていないが、佐々木監督によるとこの時私は映画『ロボジョックス』(スチュアート・ゴードン監督のパシフィックリムのはるか前にミニチュアワークだけで巨大ロボバトルを描いた映画)についてかなり熱く語っていたらしい。


以来佐々木監督との交流は今も続いている。脚本書いては意見を求めあったり、ワンシーン撮っては意見をもらったりといったことをお互いにやりあって、よき相談相手である。以降の私の映画の多くに「脚本協力・佐々木想」とクレジットされているのはそのためだ。
私が東京で初めて映画を撮る時も随分と助けてくれた。
佐々木監督はのちにぴあに入選したり、カンヌ映画祭短編部門にノミネートされたりと大活躍。私が実行委員として関わった松本商店街映画祭でも二回のグランプリ受賞に輝いている。
近未来のディストピア日本を舞台にした新作長編映画『鈴木さん』が公開待機中。
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