教師の過労死
今回、過労死の実例として、教師の過労死の事例を紹介したいと思います。
1978年10月28日午後2時すぎ、愛知県尾張旭市の小学校教師、岡林正孝さんは、ポートボールという球技の練習試合の審判を務めていましたが、そのハーフタイム時に倒れて意識不明におちいりました。突発性脳内出血の診断にもとづき、血腫除去の緊急手術を受けましたが、吐物誤嚥の呼吸不全により12日後に死亡しました。34歳という若さでのことでした。
岡林さんの勤務先である瑞鳳小学校は、78年開校の新設校であり、教育・学校運営上の諸事項について慣行を一からつくりあげてゆかなければなりませんでした。教員は19名いましたが、管理者を除けば最年長で教師歴12年目の岡林さんに、もっとも責任の重い役割が割り当てられる環境になっていました。
岡林さんは、クラス担任、学年主任のほか、「校務分掌」上、社会科主任、視聴覚教育主任、特別活動指導、児童活動の責任者、児童会主任…など数えきれないほどの職責を抱え込んでいました。週30時限(1時限45分、1日6時限)の、音楽と書写を除く全教科の授業のほか、打ち合わせ、朝の会、給食指導、帰りの会、清掃指導、教材研究、次の授業の準備、下校指導、児童との接触と個別指導、それにすでに述べた校務分掌業務が加わっており、1日はめまぐるしく過ぎ去っていったであろうことは想像に難くありません。
さらに、学校の方針として、11月に行われる球技大会にむけて、10月以降、授業前45分、授業後1時間の練習、土曜日の練習が加わることになりました。その実技指導を任されたのは、バスケットボールやサッカー指導の経験を持っていた岡林さんでした。早朝練習のために睡眠時間を削らざるを得ず、授業後練習のために多くの仕事を家に持ち帰らざるを得ないような状況になっていました。
倒れる直前の10月24~25日は修学旅行でした。岡林さんは6年の担任と学年主任を兼ねていたため、その事前準備、指導、引率の企画と実行にあたる必要がありました。引率指導は、旅行代理店や保護者との密接な連絡のうえで、見学先の事前学習、生徒の服装、持ち物、荷物整理、健康留意、バスや旅館でのマナー、他校生徒との接し方などを盛り込んだ「旅行のしおり」を作る必要がありました。さらに、旅行中にはそのマニュアルに応じて24時間チェックをしなければならず、夜間にも「巡視」があり、断続的に4時間ほどの仮眠ができる程度という過酷極まる状況になっていたのです。
亡くなる直前の26日・27日には深夜2時まで自宅で仕事をしており、睡眠時間は5時間ほどでした。
こうして、岡林さんは蓄積した疲労を回復できぬまま28日を迎え、亡くなることとなってしまいました。
こうした教師の過労による死が「過労死」として認められる際、多くが地方公務員である教師の場合は、民間とは少し異なるプロセスを踏みます。
(1)地方公務員災害補償基金県支部長に労災を請求
(2)地方公務員災害補償基金支部審査会に審査請求
(3)地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求
(4)「公務外」決定(=労災不認定)の取消を請求する行政訴訟
(1)で認められなければ(2)へ、それでも請求が通らなければ(3)、それでもダメなら(4)へというように、労災が認められるまで(1)から(4)へと順を追っていくこととなります。(1)~(3)では行政、(4)では司法が判断をする立場にあります。一般企業で働いていた人の労災認定プロセスと若干異なりますが、ほとんど一緒と考えてよいでしょう。
しかしながら、民間と比べて教師の過労死は「過労死」と認定されない場合が多いのが現実です。教師の労働は、法的に残業を規制する労働時間管理がなじまないとされているのです。事実、上述の岡林さんの事例でも(1)~(3)ではいずれも不認定、地裁で勝利判決を得るも、高裁・最高裁で敗訴となってしまいました。
確かに、教師一般に、ましてや意欲的な教師であれば、自覚する責務の境界は極めて広いでしょうし、「公務」として時間外勤務命令が可能な事柄とそうでない事柄との区別は明確ではないでしょう。しかしだからといって、過度に仕事を引き受けたり、長時間仕事をしたりしたことで亡くなってしまっても「自分が進んでやったのだから仕方が無い」と判断されてしまうのはおかしいのではないでしょうか。
仮に過労死された方が「自発的に」仕事を多くしていたとしても、それはその方自身の問題なのではなく、その方がそこまで仕事を負わなくてはならなかったことこそが問題なのではないでしょうか。
だからこそ、過労死が個人の問題なのではなく社会の問題であることを国が認め宣言する「過労死防止基本法」の制定が必要であると考えます。
(参考文献)熊沢誠『働きすぎに斃れて』2010 岩波書店
***「過労死防止基本法」制定実行委員会が求めていること***********************
「過労死」が国際語「karoshi]となってから20年以上が過ぎました。
しかし、過労死はなくなるどころか、過労死・過労自殺(自死)寸前となりながらも
働き続けざるを得ない人々が大勢います。
厳しい企業間競争と世界的な不景気の中、「過労死・過労自殺」をなくすためには、
個人や家族、個別企業の努力では限界があります。
そこで、私たちは、下記のような内容の過労死をなくすための法律(過労死防止基本法)の
制定を求める運動に取り組むことにしました。
1 過労死はあってはならないことを、国が宣言すること
2 過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にすること
3 国は、過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うこと
【署名へのご協力のお願い】
私たちは「過労死防止基本法」の法制化を目指して、「100万人署名」に取り組んでいます。
≪署名用紙≫(ココをクリックお願いします)をダウンロードしていただき、必要事項をご記入いただいた上で、東京事務所もしくは大阪事務所まで郵送をお願いしたいと思います。
まずは過労死のことや過労死防止基本法を多くの人に知っていただきたいので、ツイッターでつぶやくなどして広めてもらえると助かります。記事の一番下についているボタンからも気軽にツイートできますので、ぜひともご協力お願い致します!
【連絡先】 ストップ!過労死 過労死防止基本法制定実行委員会準備会
HP:http://www.stopkaroshi.net/
twitter:@stopkaroshi ブログの更新のお知らせや過労死についての情報をお届けしています。ぜひフォローしてください!
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今回、過労死の実例として、教師の過労死の事例を紹介したいと思います。
1978年10月28日午後2時すぎ、愛知県尾張旭市の小学校教師、岡林正孝さんは、ポートボールという球技の練習試合の審判を務めていましたが、そのハーフタイム時に倒れて意識不明におちいりました。突発性脳内出血の診断にもとづき、血腫除去の緊急手術を受けましたが、吐物誤嚥の呼吸不全により12日後に死亡しました。34歳という若さでのことでした。
岡林さんの勤務先である瑞鳳小学校は、78年開校の新設校であり、教育・学校運営上の諸事項について慣行を一からつくりあげてゆかなければなりませんでした。教員は19名いましたが、管理者を除けば最年長で教師歴12年目の岡林さんに、もっとも責任の重い役割が割り当てられる環境になっていました。
岡林さんは、クラス担任、学年主任のほか、「校務分掌」上、社会科主任、視聴覚教育主任、特別活動指導、児童活動の責任者、児童会主任…など数えきれないほどの職責を抱え込んでいました。週30時限(1時限45分、1日6時限)の、音楽と書写を除く全教科の授業のほか、打ち合わせ、朝の会、給食指導、帰りの会、清掃指導、教材研究、次の授業の準備、下校指導、児童との接触と個別指導、それにすでに述べた校務分掌業務が加わっており、1日はめまぐるしく過ぎ去っていったであろうことは想像に難くありません。
さらに、学校の方針として、11月に行われる球技大会にむけて、10月以降、授業前45分、授業後1時間の練習、土曜日の練習が加わることになりました。その実技指導を任されたのは、バスケットボールやサッカー指導の経験を持っていた岡林さんでした。早朝練習のために睡眠時間を削らざるを得ず、授業後練習のために多くの仕事を家に持ち帰らざるを得ないような状況になっていました。
倒れる直前の10月24~25日は修学旅行でした。岡林さんは6年の担任と学年主任を兼ねていたため、その事前準備、指導、引率の企画と実行にあたる必要がありました。引率指導は、旅行代理店や保護者との密接な連絡のうえで、見学先の事前学習、生徒の服装、持ち物、荷物整理、健康留意、バスや旅館でのマナー、他校生徒との接し方などを盛り込んだ「旅行のしおり」を作る必要がありました。さらに、旅行中にはそのマニュアルに応じて24時間チェックをしなければならず、夜間にも「巡視」があり、断続的に4時間ほどの仮眠ができる程度という過酷極まる状況になっていたのです。
亡くなる直前の26日・27日には深夜2時まで自宅で仕事をしており、睡眠時間は5時間ほどでした。
こうして、岡林さんは蓄積した疲労を回復できぬまま28日を迎え、亡くなることとなってしまいました。
こうした教師の過労による死が「過労死」として認められる際、多くが地方公務員である教師の場合は、民間とは少し異なるプロセスを踏みます。
(1)地方公務員災害補償基金県支部長に労災を請求
(2)地方公務員災害補償基金支部審査会に審査請求
(3)地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求
(4)「公務外」決定(=労災不認定)の取消を請求する行政訴訟
(1)で認められなければ(2)へ、それでも請求が通らなければ(3)、それでもダメなら(4)へというように、労災が認められるまで(1)から(4)へと順を追っていくこととなります。(1)~(3)では行政、(4)では司法が判断をする立場にあります。一般企業で働いていた人の労災認定プロセスと若干異なりますが、ほとんど一緒と考えてよいでしょう。
しかしながら、民間と比べて教師の過労死は「過労死」と認定されない場合が多いのが現実です。教師の労働は、法的に残業を規制する労働時間管理がなじまないとされているのです。事実、上述の岡林さんの事例でも(1)~(3)ではいずれも不認定、地裁で勝利判決を得るも、高裁・最高裁で敗訴となってしまいました。
確かに、教師一般に、ましてや意欲的な教師であれば、自覚する責務の境界は極めて広いでしょうし、「公務」として時間外勤務命令が可能な事柄とそうでない事柄との区別は明確ではないでしょう。しかしだからといって、過度に仕事を引き受けたり、長時間仕事をしたりしたことで亡くなってしまっても「自分が進んでやったのだから仕方が無い」と判断されてしまうのはおかしいのではないでしょうか。
仮に過労死された方が「自発的に」仕事を多くしていたとしても、それはその方自身の問題なのではなく、その方がそこまで仕事を負わなくてはならなかったことこそが問題なのではないでしょうか。
だからこそ、過労死が個人の問題なのではなく社会の問題であることを国が認め宣言する「過労死防止基本法」の制定が必要であると考えます。
(参考文献)熊沢誠『働きすぎに斃れて』2010 岩波書店
***「過労死防止基本法」制定実行委員会が求めていること***********************
「過労死」が国際語「karoshi]となってから20年以上が過ぎました。
しかし、過労死はなくなるどころか、過労死・過労自殺(自死)寸前となりながらも
働き続けざるを得ない人々が大勢います。
厳しい企業間競争と世界的な不景気の中、「過労死・過労自殺」をなくすためには、
個人や家族、個別企業の努力では限界があります。
そこで、私たちは、下記のような内容の過労死をなくすための法律(過労死防止基本法)の
制定を求める運動に取り組むことにしました。
1 過労死はあってはならないことを、国が宣言すること
2 過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にすること
3 国は、過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うこと
【署名へのご協力のお願い】
私たちは「過労死防止基本法」の法制化を目指して、「100万人署名」に取り組んでいます。
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まずは過労死のことや過労死防止基本法を多くの人に知っていただきたいので、ツイッターでつぶやくなどして広めてもらえると助かります。記事の一番下についているボタンからも気軽にツイートできますので、ぜひともご協力お願い致します!
【連絡先】 ストップ!過労死 過労死防止基本法制定実行委員会準備会
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