ここでは、6月6日に開催した「過労死防止基本法制定を願う集い」でのご遺族のスピーチを紹介しています。第6回目の今回は、ストップ過労死実行委員会のリーフレットにも記載されている、「ぼくの夢」という詩を書いた、父親を過労自殺で亡くされた息子さんのお母さんからです。
これ以上、悲しい思いをするこどもたちをつくらないで!
私は、2000年3月に、公務員だった夫を過労自殺で亡くしました。今年3月に . . . 本文を読む
ここでは、6月6日(水)に開催した「過労死防止基本法制定を願う集い」での遺族の方のスピーチを紹介しています。第5回目の今回は、新採小学校教師が、働き始めてわずか半年で自殺した事件のご遺族です。
2004年4月、娘は、静岡県の市立小学校に新規採用され、4年生のクラス担任となりました。念願の教職に就くことができ、希望に満ちたスタートでした。
ところがそれから間もなく、娘は大きな困難に直面 . . . 本文を読む
ここでは、6月6日に開催した「過労死防止基本法の制定を願う集い」での遺族の方々のスピーチを紹介しています。4回目となる今回は、産婦人科医をされていた夫を、当時35歳の若さで亡くされた遺族の方です。
私の夫は甲府市の病院で産婦人科医をしていました。1996(平成8)年の3月に急性心筋梗塞で突然倒れ、帰らぬ人となりました。35歳でした。当直が非常に多くて、月10回から13回はありました。休みはほ . . . 本文を読む
6月6日に開催した院内集会での遺族の方のスピーチ。3回目の今回は、報知新聞社に勤めておられ、8年前出張先で過労死された夫の遺族の方からです。
「過労死」は人ごとでは、ないんです
8年前に出張先の徳島で、くも膜下出血のために亡くなった夫は、報知新聞社というスポーツ誌の会社で働いていました。新聞社の事業部という部署がどんな業務を担当しているのか、知る人など、そういないでしょう。「職種のデパー . . . 本文を読む
6月6日の院内集会での過労死遺族のスピーチ、2つ目に紹介するのは、トヨタの工場で2002年、30歳の若さで過労死した夫のご遺族です。
「過労死防止基本法の制定で安心して働ける社会を」
私の夫は、10年前の2002年2月9日、トヨタ自動車の堤工場で夜勤の最中に上司の横で心臓が止まって倒れ、そのまま亡くなりました。半年前から残業が増え、カイゼン活動などの自主活動も多くて心配していた矢先でし . . . 本文を読む
ここでは、6月6日(水)に開催した「“過労死防止基本法”制定を願う集い」での過労死遺族の方のスピーチを紹介していきたいと思います。今回は、日野自動車に勤めていた夫を過労自殺で亡くされた遺族の方の発言です。
過労死防止基本法の必要性について
私の主人は東京日野自動車に26年間勤めておりました。2004年1月にうつ病と診断され、6年間の闘病生活が始まりました。急激に悪くなったり、よくなったり . . . 本文を読む
私は、2008年10月に主人の弟、つまり義理の弟を過労による自殺で亡くしました。本来なら今日は兄弟である主人がこの場でお話できればより幸いであったと思いますが、残念ながら都合がつかず、私がその強いメッセージをお伝えしたいと思いこの場に参りました。
義理の弟とは申しましても、私とは同い年であったこともあり、主人と結婚する以前から会えばお互いの近況を報告しあったり、冗談を言い合ったり仲の良い関係でした . . . 本文を読む
人が人として生きられる法案を!
今日ここにいる皆様は、過労死遺族というと大人の話なら幾分か耳にしたことがあるかもしれません。しかし子どもの立場からの話を聞いた事はありますか?私は10歳の時に父親を亡くし、今は23歳になりましたので、もう子どもの声とは言えませんが、私の個人体験を通して子ども期、そして青年期に過労死遺児がどんな思いをするのかをお話する事はできます。そしてそれはどうしても皆様に知って . . . 本文を読む
二十代の若者の過労死にストップをかけよう過労死防止法制定で
西垣迪世
息子西垣和哉は、2002年に神奈川の富士通SSLに23歳で入社、03年春から地上デジタル放送のシステム開発プロジェクトで、深夜・早朝まで働かされる日が続きました。03年4月~9月の一ヶ月あたりの残業時間は記録に残るだけでも97時間、残業が150時間を超える月や、朝9時から徹夜して翌晩10時まで37時間連続勤務という異常な記録 . . . 本文を読む
命こそ宝
中学3年辻田真弘
僕は、父を小学校に上がる前に、亡くしています。父は過労自死でした。
父は、市役所で働いていました。市の文書を扱う大切な仕事をし、係だけではけっしてできない大きな仕事を任され、毎日、仕事の相談に来る職員が後を絶たず、それにも父は親切に答えながら、毎日16時間以上仕事をしました。
胃潰瘍になりましたが、仕事をたくさん抱えた状況では休む余裕もなく、通院しながら土日も出 . . . 本文を読む
前回、「ストップ!過労死 大阪のつどい」の記事で一部紹介した塚野さんの『「過労死」が死語になる日』を全文掲載します。過労死のない世の中を切に望む遺族の方の強い思いが綴られています。
「過労死」が死語になる日
塚野信子
2004年6月に夫を亡くしてから、本当に色んな事がありました。私たち遺族の生活は激変し、心の底から思い切り笑うことができなくなってしまいました。
5年後に行政訴訟を起こしまし . . . 本文を読む