2001年6月に入院して9月に退院した。
これまでの治療は入院中に行ったので、何かあってもドクターやナースがそばにいるという安心感があった。
しかし、退院すると周りに私のような病人は、いない。周りは元気な人たちばかりだ。
とたんに、温室から放り出された観葉植物のようにへナッとして、心細さや不安感、孤独感を感じた。
そして、再発への恐怖感。
寝ても覚めても乳がんが頭から離れない。
ちょっと腰が痛ければ、骨の転移か?
ちょっと咳が出れば、肺の転移か?
ちょっと頭が痛ければ、脳の転移か?
耳アカをほじくりすぎて化膿しただけなのに、耳の転移か?と本気で思った。
ちなみに、耳の転移は今まで聞いたことはない。
今思うと、あの頃の私は「アホか!」である。笑っちゃうくらいに。
でも、大真面目に、本気で悩んでいた。
「毎日血を採って腫瘍マーカーの検査をしてくれ!」とさえ思っていた。
そんなときに出会ったのが、乳がん患者会「あけぼの会」である。
ワット会長の書籍や会報誌に載っている会員の体験談を読むと、同じように悩んでいることがわかった。
「私だけではなかったんだ。」
それがわかっただけでも、ずいぶん気持ちが楽になった。
しかし、悪いことばかりではない。
あるスカッとさわやかな秋空の日。
洗濯物を干している時、突然「幸せだ~」と感じた。
今までは「面倒くさいな~」くらいにしか感じたことがなかったのに。
抜けるような青空に感動し、
普通の生活ができることに幸せを感じ、
生きていることに喜びを感じることができたのだ。
元気な頃の私は、「不満タラタラ人間」だった。
もちろん今でも不満や文句は言うが、ささやかなことに、感動や幸せ、喜びを感じるということに気がついたのも、乳がんを経験したからである。
乳がんになったからこそ出会えた、かけがえのない友人もたくさんいる。
今ならはっきり言える。
乳がんになっても、悪いことばかりじゃないよって。
(つづく)
これまでの治療は入院中に行ったので、何かあってもドクターやナースがそばにいるという安心感があった。
しかし、退院すると周りに私のような病人は、いない。周りは元気な人たちばかりだ。
とたんに、温室から放り出された観葉植物のようにへナッとして、心細さや不安感、孤独感を感じた。
そして、再発への恐怖感。
寝ても覚めても乳がんが頭から離れない。
ちょっと腰が痛ければ、骨の転移か?
ちょっと咳が出れば、肺の転移か?
ちょっと頭が痛ければ、脳の転移か?
耳アカをほじくりすぎて化膿しただけなのに、耳の転移か?と本気で思った。
ちなみに、耳の転移は今まで聞いたことはない。
今思うと、あの頃の私は「アホか!」である。笑っちゃうくらいに。
でも、大真面目に、本気で悩んでいた。
「毎日血を採って腫瘍マーカーの検査をしてくれ!」とさえ思っていた。
そんなときに出会ったのが、乳がん患者会「あけぼの会」である。
ワット会長の書籍や会報誌に載っている会員の体験談を読むと、同じように悩んでいることがわかった。
「私だけではなかったんだ。」
それがわかっただけでも、ずいぶん気持ちが楽になった。
しかし、悪いことばかりではない。
あるスカッとさわやかな秋空の日。
洗濯物を干している時、突然「幸せだ~」と感じた。
今までは「面倒くさいな~」くらいにしか感じたことがなかったのに。
抜けるような青空に感動し、
普通の生活ができることに幸せを感じ、
生きていることに喜びを感じることができたのだ。
元気な頃の私は、「不満タラタラ人間」だった。
もちろん今でも不満や文句は言うが、ささやかなことに、感動や幸せ、喜びを感じるということに気がついたのも、乳がんを経験したからである。
乳がんになったからこそ出会えた、かけがえのない友人もたくさんいる。
今ならはっきり言える。
乳がんになっても、悪いことばかりじゃないよって。
(つづく)