聖マリアンナ医科大学病院臨床研修Blog

聖マリアンナ医科大学病院に勤める研修医たちの日々の情報をリアルにお届けいたします。

今なぜポートフォリオなの?

2009-09-09 08:46:09 | ポートフォリオ評価
ポートフォリオを評価に取り入れて
徐々にその評価も単なる読み込みではなく
本来の主旨であるところの「自己の振り返り」があるかどうかまで
きちんと読み込んで修了判定を行えるようになってきました

でも一方では様々な意見が聞こえてきます
こんな評価がいったい何の役に立っているのか?
ただ単に研修医に負荷がかかっているだけでかえって研修医離れに拍車をかけてるのでは?
評価表を挟み込めばいいだけなのでは?
もっと少ない内容にしたらどう?
いろいろなご意見本当に有り難うございます

でもちょっとしたことでこれらのご意見も誤解が多いことがわかります
そこで今日は少しお時間をいただき
解説をしてみたいと思います

まずこんな意見
「ポートフォリオは紙挟みなんだから単なるファイルとたいした変りはないのでは?」
そうですね
これは完全に誤解ですね
三省堂辞書によれば
ファイルは語源は「書類を糸で綴じる」ラテン語の「糸」「ひも」を意味するfilumです
一方ポートフォリオですけどこれは「一葉を運ぶ」もの
機能的にはファイルやバインダーです
ん?違いは?あ・・・失礼しました
つまりファイルは「綴じて保管する紙入れ」であって
ポートフォリオは「入れ替え自由な紙挟み」ですから途中経過資料とでも言いましょうか

このポートフォリオがなんで教育につながったのか利用されるようになったのか
不思議ですけど
そもそも教育学では総合的な学習評価法としてイギリスで始まりました
ロンドン大学で考案されて徐々に広がり日本には1990年代後半に入ってきました
従来のような科目テストや知力テストでは測定できない個人能力の質的な評価方法なんです
学習者が学習の過程で作成した様々なものを収集して系統的に選択して
教師とともに学習者自身が自己評価を行い互いにステップアップしていくものです

これがなんで医学教育において今注目されているのか?
非常に難解ですね

「このポートフォリオでなんで技能や診療能力が高まるのだ!」
「ポートフォリオはわかるけどなぜそれが有用なの?」
おっしゃる意味はわかります
少し解説が必要なようですね
それとこんな意見も聞かれます
「ポートフォリオは評価法として優れているらしいけどなぜなのか?」
「行動評価といわれているけどどういう意味なのか?」
う~んこれはちょっとレベルの高い質問です
理論的なことまでお話しした方がよさそうです

では
まずプロ(専門家)って何でしょう?
ポートフォリオに疑問を持ってる指導医の先生方も
多くの医学生や研修医もプロになりたいしなるための努力を惜しんでいませんよね
そうなんです
ボクらは医を志すプロの集団です
ではスペシャリストとプロフェッショナルの違いは?
お気付きでしょうが
まずボクらはプロなのです
そして様々なスペシャリストです

プロの教育を考える学問は行動科学の分野です
その解説本から抜粋してボクの解釈も交えて説明します

医師は「学習し続けるプロ」なのです
常にその時代の最高の知識と技術を身に付け
患者である一人ひとりの人間を対象にして
その要請によって健康で幸福に生きるその人を援助する役割を担っています
同時にボクたち医師もまた社会に生きる一人の人間ですからその医療者の幸福や健康も担保されないと
つまり自らも一人の人間としてのその質を保つことで患者の要請にも応えられるものですね

とはいえ医師であるボクたちも自らは発展途上であり
ときには明らかにボクらよりも長い深い人生を歩んできた患者に関わります
このとき必要な態度とは何でしょう?
ちゃんと相手を尊重し医療者としての責任を遂行し
適切なコミュニケーションスキルを用いて関わり
かつ医療行為の実践者として自分自身の有り様に気付き振り返り
自らの行為を常に見極めること自己分析・評価ができる能力が必要です
医師としてのあり方こそプロだと言えます
つまり医学部を卒業したときには
できるだけこのような態度と能力を身に付けていることがふさわしいといえます

では患者や社会が求める医療者の能力と態度とは何でしょう?
厚労省が掲げる研修目標にもあるように
患者を全人的に理解し問題を発見し共有できその行動や社会生活の視点で理解できる能力
医療者自身が社会に生きるひととして成熟しており
プロとしての成熟度を自ら評価し常に成長を心がけていく態度
この2つが欠かせないものです

米国では「人間の理解」こそがキーワードだと言われています
「今目の前にいる人」=患者を全人的に理解することなのです

では今の日本の卒前医学教育において様々な実習や授業で
この2つの能力と態度は養われてきたのでしょうか?
ロールプレイやearly clinical exposureの機会は増えました
でもどうでしょう?
提出されたレポートはそこで起きた事象や内容のみが記述され
自分自身がどう感じたのかは記載されません
また読んで評価する側もそこは注目していないことが多いのでは?
いくら互いに診察したり問診を行っても
表現の手法パターンを覚えるだけで終わってしまう
真の目的はズレが生じるのだ!という事実だけなのに
そのことを忘れてしまっていると思いませんか?
パターン認識ではせっかくの実習も単なる浅学の知識の詰め込みと同じです

そうこのような覚えなさい学習法は子ども教育といわれてます

最近BSLに必ず聞きます
君たちはオトナですか?コドモですか?
そうオトナだと答えます
多くの医学生はすでに自分がなすべきことに気付いています
でも学習手段がわからないし自信がないのです
成人教育においてはこう考えます
身近な問題や事象に興味をもつとその問題を解決したり事象を理解するために
自己決定的に学習するのがオトナなのです
学習者は問題の所在がどこにあるのか
その問題を解決するために何を学習すべきか(自己決定学習self-directed learning)
自己学習の結果まだ何が不足しているのかを省察しながら
問題解決へと学習を進めることができる(省察reflection)
この能動的な学習手法は医師になっても継続すべき

そのため全ての医師はreflective practitioner(常に自己を省みながら自らを高める医師)として
生涯学習をする必要性があり
その意味で学習者である医学生や研修医は
reflective learner(自己省察しながら前向きに学習するひと)として教育することが非常に重要なのです

ほらほらここで振り返りが出てきました
ようやくポートフォリオに近づいてきましたね

さらにもうひとつ理論武装です
浅い学習をしているとすぐに忘れてしまいます
これは実感していることだと思います
関連付けて覚えたことはなかなか忘れませんよね
医学生も研修医もそれまで知っていること学んだことの中から
できるだけ関連付けることができるものから学ぼうとするのです
だからどんなにボクたち指導医が「重要で絶対に正しいとする知識」を
闇雲に教え込もうとしても無駄な徒労に終わるのです
だからPBLーテュートリアル教育は意味があるのです
効率的で効果的な学習方法なんです

日々の研修や実習の中での指導医と研修医や医学生とのズレはここにあります
であるなら
きちんと研修医や医学生に自分たちのゴールを設定させて
そこに向かって学習させれば非常に有用だということになりますね

さてさて学習者は面白いもので
評価法の如何によってその学習態度を変えます
つまり「振り返り」を促す評価ツールであるポートフォリオは
それが修了判定であるとなればおのずと研修医は変っていくのです
まずオリエンテーションでゴールを設定させ
そして自らの興味でもって学習をし
さらに「振り返り」を促されることでおのずとプロとしての能力と態度を修得していくのです
成人学習理論に基づけばそうなるのです

しかも
学習者である医学生や研修医と指導医にとっても
非常に効率的に効果的にです

そうなんです
ポートフォリオは単なる紙挟みではないんです
そこに挟み込まれているのは
今まさにプロにならんとする若い医師の有り様があるんです
そこを読み取ります何日もかけて読み込みます
自分たちの用意した研修プログラムの成果がそこにあります

多くの日本の医学生はまだこのことの重要性に気付いていません
もしかすると多くの指導医もそうなのかも知れません

ただこのポートフォリオもすべてにおいて万能ではありません
とにかく時間がかかりますし
その有用性がきちんと伝わらないと
まず最後まで完成させることなく非常に中途半端に終わる可能性をもっています

何よりもすべて欧米から取り入れて同じようなスタイルのものを作ることはありません
なぜなら診るべきひとは目の前のひとだからです
欧米で医療を行いたいなら別ですが

非常に長くなりましたが
今聖マリアンナ医科大学で研修している研修医の先生方は自信を持ってください
指導医の先生方も非常に難解な医学教育の専門用語に戸惑いがあるとは思います
でもちょっと興味を持ってみてください
そして胸の青色や赤色のバッチを誇らしげに見せてください

では凝縮ポートフォリオの出来上がりを楽しみにしています


参考資料:
行動科学・人間関係教育委員会 報告書
「行動科学教育」を考えるープロフェッショナルの教育をめざして

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