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聖マリアンナ医科大学病院臨床研修Blog

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医学教育今昔物語 その2 正しく測るということ

2013-02-11 19:04:50 | 医学教育

医学教育で正しく測るために、目標を分解して、それが知識・技術・態度のどの領域に当てはまるのか考えて、それに合わせた適切な測定法(長さは物差し、重さは秤といった具合)で測るように教えられます。この分解する手法が今日問題となってきたわけです。

教える段階では分解してますが、実際の臨床で分解できる診療行為などないからです。だから本当は正しくなんか測ってないんです。

 

余談ですが、この教育分類タキソノミーを提唱したブルームは、教育目標を学生のとる行動とその内容からとらえるために考えました。目標として、教育の方向性を示しそのために必要な授業内容や用いる教材を考えようとするためのものでした。目標の示す方向性とは『目標に近づくため』ということだったはずなのですが、なぜか、教育工学的な『行動目標』と混同して受け止められるようになってしまいました。

教育工学的な『行動目標』とは何か。これこそが前述した目標を細かく分類されたもので、『これとこれをクリアしなさい』ってことです。これは学生をパターン認識で学習させていくものです。まさに刺激ー反応理論によるプログラムされた教育です。ここに学習者個人の考えや心はありません。必ず学生はこのように変化するはずという発想での教育です。

これはブルームの教育分類タキソノミーのそれとは明らかに違うのです。

 

このような『行動目標』を掲げてクリアさせていくには『刺激ー反応理論』がとても有効で結果もすぐにわかります。だから効果が出たと勘違いしやすいのです。 

『先生、試験に出るところはどこですか?』的な発言には、まさにそのような即効性の成果が出ているわけです。

このような学生はただ反応したに過ぎません。

でも、この学生は考えて行動しているのです。なぜなら試験に落ちれば自分が困る。だから勉強したい。だから先生教えてください。という葛藤があったはずなのです。もちろん、それでも多くの教員は『何も考えてないからそういう発言なのだ』と言われるかも知れません。本当に気にしない学生なら質問もしませんし、留年も気にしないと思うのですがどうでしょう。

 

目標を細かく分解することは一見測定しやすくなります。でも本当に測りたい総合的な能力を測ることにはならないのです。

 

最近注目のアウトカム基盤型学習(逆向き設計のカリキュラム)において、同じように『到達目標』を細かく列挙してしまうと、医学生はたちまち反応してしまい、実は肝心な教育目標の本当の意義を理解しないままに内なる変化を来さないお勉強にとどまってしまう可能性があります。

アウトカム基盤型学習では目標の方向性は示しますが、クリアすべき行動目標を個別に列挙するものではないととらえた方がいいと思うのです。なぜかというと、タイラーやブルームが唱えた『行動目標』という考え方をもとに『到達度評価』さらには『目標に準拠した評価』になってきた教育学の流れがあるからです。

 

つまり、『~できる』ことをできるだけ多くの評価方法を使い測ることで、医学生に現時点の『~できる』をフィードバックし自己学習を促すことで『内なる変化』を起こさせることが現代の医学教育の流れだととらえています。

 

なんだか難しいかも知れませんが、臨床研修が必修化され、卒前教育も大きく変わろうとしている今日の医学教育では普通の臨床医でも『教育における理論』を踏まえておく必要性があるかなと思います。

医学教育の諸先生方が見て解釈が異なっているようであればご教示ください。お待ちしています。


大学教育に求められる質向上と質保証

2013-02-02 22:39:36 | 医学教育

最近では大学教育における質向上質保証の必要性が問題となっている。

つまり、大学が(医)学生にどのような能力を身につけさせ、そのためにどのようなカリキュラムを用意したのか、そして最後にその(医)学生が修得したのかどのような評価で行ったのか保証することが課題となる。

 

現実はどうなのか。

多くの大学の教員は「自分たちは完璧とも言える授業を行っている」「試験も時間をかけて作っている」と自負している。

試験後は(医)学生の成績について驚き「教えたはずだ!」「(医)学生が勉強しない」「そもそも教科書を買ってないのが問題だ」「勉強しない彼らにこそ原因がある」と責任転嫁を行う。

さらには進級判定や卒業判定では多少の自責の念に「次ぎに期待して進級させましょう」「国家試験では頑張ってくれることと信じましょう」となる。ときには親も出てきて懇願なんてケースもある。

医学部以外の多くの大学が、今までの『インプット』の時代から、(医)学生がどのように成長したのかという学習効果アウトカムラーニングアウトカムとも言います)』に焦点を移して質向上質保証を真剣に議論しつつある中、近年になりようやく医学教育においても『アウトカム』を意識した動きが出てきている。

 

本学も現在カリキュラム改訂に向かって真剣に議論を行い準備している。

まさにこの『アウトカム』を意識した議論が熱くなされている。

 

このような『アウトカム』というのは、言い換えれば『本学ではこのような医学生に育てます』ということであり、これを明らかにすることが説明責任アカウンタビリティ)である。その際にもっとも重要視されるのが、証拠エビデンス)を明らかに示すこととなる。

教員による一方的な『~やってます』だけでは、(医)学生がどうなったのかというアウトカムの証明には残念ながらならないと考える。正直、社会に対する説明責任になっていないと言える。

 

臨床研修必修化は研修医の質向上と質保証が社会から望まれ始まったとも言える。

まさに臨床教育におけるアウトカムを示すことが望まれていたはずなのである。

ところが一番課題となる保証のための評価方法については、すべて臨床研修病院任せであることが一番気になる課題である。本来であれば研修プログラムには到達目標とともにどのように達成度を評価するかということが記載され、さらにそれを達成させる研修内容が明示されているべきである。

つまり、医学教育に関心があり、評価を真剣に議論した病院のプログラムにはきちんと明示されていはずで、そのような病院であれば、本学の卒業生にもぜひともマッチングでお勧めしたいものだ。

しかし、残念ながら、いまだに研修医集めが主目的である病院ではそのことを説明していないことが多い。残念ではあるが、その事実にきちんと気づいて病院選びが行われているとは思えないのが現状だ。

 

これからの大学の質向上と質保証を考えたとき、一般大学であれば就職先や進路(大学院への進学など)重要な証拠になるだろう。

医学部で言えばマッチングである。巷では、大学病院における自学出身者数の割合だけで善し悪しを云々述べている雑誌もあるが、はたして正しい価値判断なのであろうか。記事を書いている雑誌社がきちんと研修プログラムを評価したのであろうか。本学のように卒業前に4年生や5年生、6年生に複数回にわたってマッチング制度を説明している大学がどれ程あるのだろうか。本学のように、他の臨床研修病院を見てこいなどと指導する大学がどれ程あるのだろうか。真剣に将来を考える医学生が、数カ所見学した上でようやく本学を選択したことをどう説明するのだろうか。

大学の教員として医学生に『病院選び』を指導することも重大な使命であり、質の向上と質の保証には大切だと考えている。


指導医徒然日記 ~医学教育でもリメディアル教育『学び直し』が必要?~

2011-07-25 21:48:43 | 医学教育
昨今大学生全般の『学力低下』が社会問題となっています
これは一般大学に限らず医療系大学でも同じではないでしょうか?

そのためどの大学でも初年次教育で『リメディアル教育』が注目されています

『リメディアル教育』
つまり『学び直し』です

欧米とくに米国ではこの『学び直し』を『Developmental Education』と称しているそうです
これは大学レベルの教育を受ける準備が教育として必要であるコースのことで
米国では読み書きや数学などの教科が含まれています

ところが
日本では若干拡大解釈されいてあるアンケート調査ではいくつかの解釈がなされているようです

一つは高等学校までの教科教育を学習しているパターン
高校で単位を修得していない教科がその大学の教科で必要となる知識を履修させる未履修型や
高校で履修はしたがとても大学の講義についていけないくらいの知識しかない学力不足型があります
そしてもう一つ
これは大学での学習活動の入門編といえるパターン
大学の専門教育を受けるのに必要とされる知識などを補うもので
医療系であれば研究活動に必要な学習スキルを身に付けるための大学講義の導入パターン
さらに上記の二つを利用しながら
入学前に合格者を対象に大学が実施する入学前教育や
大学入学後に実施した様々な試験結果から基準点不足の学生を対象に実施する補修・復習型教育があるようです

多くの大学がこのような考えで『学び直し』を行っています
医療系大学といえども同じことが言えそうです

授業を受けている大学生を対象に実施したアンケートでも
『授業の内容が難しくついていけない』と回答している医学生は半数に及びます
ところがある大学のアンケートでは教員側は9割は教えていると豪語しているそうです

これでは乖離が生じていると受け止めざるを得ません

まずは高校生の受動的な学習態度や学習意欲の低下が切実な課題です

義務教育段階における『学び直し』の課題を明らかにして
義務教育段階での学習内容の確実な定着に向けた実践が求められているようです

大学生でも自分の意見がなかなか言えない
どうも『言えない』のではなく
『表現できない』のだそうです

患者の訴えを聞いても
自分の言葉で置き換える事もできない
医療用語に当てはめてみようとするが
そもそもきちんと理解できていないので当てはめられないのが現実のようです
『つまりコミュニケーション能力の低下?』とひとくくりにはできません
杉本先生に怒られてしまいます
あるコンテクストにおいて
コミュニケーションはとっているけど
自分の考えをきちんと相手に伝えられないし
相手のメッセージも正しく同じように受け止められない
語彙力の低下がそこに存在するということです

『先生それってどういうことですか?』
きょとんとした顔をしながら発するこの何気ない質問の中には
とても深いい意味があったのかも知れないのです

ということで
研修医の態度が云々と上から目線だけで捉えることは難しそうです

とにかく大学という環境に「適応」させるため
私たち指導医や教員は
入学してきた学生を「高校生レベルの学び」から本来の「大学生レベルの学び」に「転換」させることを考えないといけないようです

では『リメディアル教育』を実践すれば医学生から変えられるか?と言うと
どうも『No!』と言うしかないですっていうのは次回の話題


参考資料:
Benesse 教育研究開発センター 記事

医学教育のやっかいで面白いところ

2011-05-30 19:59:33 | 医学教育
研修医や若い先生方の指導も教育
でも実際に指導にあたる先生方がどんな指導を行っているのか?
検証は難しい

唯一この臨床研修制度で研修医は規程されているのに
その後後期臨床研修になったとたんに
昔ながらの『指導と言う名の強要』が行われているのか
指導医たちは『俺の背中を見ろ!』
『自分で学べ!』となる

確かに診療手技は歴史的に師弟関係の専門家モデルが有効です
まずは先輩医師の技を模倣する
ひたすら模倣
そしてある程度できるようになったら自分でちょっとずつ工夫して
やがて自分のものにしていく

これを『指導した!』ってことにしている
指導していないけど指導した?
そこは触れない
決して触れてはいけないみたい
こうやって
医局という名の工房で医師は作られていくのです

医局で培われるテーマで研究を継続して
なんとなく臨床研究が何たるかを経験し(体験し)
論文作成を行いこれがやがて自分の評価につながるとかたくなに信じ込まされる
(論文を作成する過程における様々な自分の振り返りが
自分を成長させるという大事なところが抜け落ちてしまったのでは?と思っています)
そして
診療を通じて手技を覚える
ときには症例を通じて症候と病態を覚えていく
でもあくまでA=Bと覚えることになるので
この定義に当てはまらない症例に遭遇すると
『問題ないですね!大丈夫ですよ!うちで治すべき病気ではないようですね』となる
(これも技術塾達者には必要な過程ですから否定できません
でもすべてではないというところが味噌です)


医局へ決して悪いところではない
そう仲間はいるし学びやすい環境ではあります

社会においては
医療に求めるものがますます不明確な要素が増えつつある現代です
A=Bとならないものに対して
きちんと向かい合うようにしなければいけない

これが『プロフェッショナリズム』の根幹になります

医学教育では多くの医師が自分で考えて
目の前の患者さんに対応できるようにって様々な概念やツールを紹介してきているわけですが
立ち位置がわかると見方や見え方までがかわるので
同じものだときちんと説明する仲介者が必要だと感じ始めています

これが医学教育をちょっと興味もって学んだ指導医の責務ではないかな
そう思うこの頃です



指導医日記 ~形成的評価と総括的評価~

2011-02-27 10:47:28 | 医学教育
指導医養成ワークショップで混乱してしまう言葉に
『形成的評価』と『総括的評価』がある

研修医のポートフォリオにも形成的評価と総括的評価があり
日頃指導医から質問を受けることが多い

指導医ガイドラインから引用すると
教育評価は
学習者(研修医)の可能性を引き出し成長・向上を促すフィードバックを行う形成的評価と
目標達成の程度を把握して成績をつけ、合否などの判断をする総括的評価とに大別されるのである


形成的評価 Formative Evaluation又は診断的評価 Diagnostic Evaluationというものは
それぞれの研修診療科において研修到達目標を修得しているか否か
つまり学習中にその形成過程の改善を目的に実施される評価である
つまり
その評価結果は研修医の学習や指導医の指導方法を是正し
日頃の研修内容の改善へのフィードバック資料となるべき内容となる

一方
総括的評価 Summative Evaluationとは
達成された研修目標の程度を総括的に把握するための評価である
通常は研修診療科の終了時や全研修が終了した時期に実施され
修了判定のために行われるものである

単に研修修了判定のみの目的であれば
総括的評価が研修2年目の最終段階にのみ実施されればいいことになる

これまで医学教育において総括的な評価が重要視されてきた
医学部における学習のように
総括的評価のみで学科の学習目標に到達したか否かを判定しようとする場合には
これを合格した者の中にはいわゆる「一夜漬け」で学習したものもいるかもしれない
実際小生もこのタイプだった

このような学習者のその後の忘却のスピードは極めて速い可能性が大きい
それに対して1学習単位ごとに形成的評価からのフィードバックを受けて
効果的な学習を行い
前述の学習者と同じレベルの合格点を総括的評価で取った学習者の忘却曲線はなだらかとなることが報告されている

研修における学習のプロセスにおいて頻繁に実施すべき形成的評価が極めて重要であることは明白である
研修のどのタイミングでどのように評価を受け適切なフィードバックが得られるか

これが研修医の成長に大きな影響を与えることは間違いないのである

ポートフォリオは聖マリアンナ医科大学においては義務である
義務化することで常に意識させている
評価表にすべての研修目標が記載されているのは
常に意識することになるためである
電子化は達成度の低い海外のポートフォリオで多いに応用されつつある
国内でも専門の業者すらあって興味深い

今後は比較検討しないといけないであろうが
形成的な評価が実践されない限り十分な効果が得られない可能性が高い

ある程度振り返りが可能なレベルに成長していれば
パーソナル・ポートフォリオとしての電子化は進めるべきであろう

もしくは医学部の一部の評価に用いるのもいいかもしれない

いずれにせよ
形成的評価と総括的評価は単なる言葉の違いだけではない
大きな目的の違いがあると感じている

臨床現場における指導のポイント~指導医ガイドラインより~その2

2011-02-19 23:11:30 | 医学教育
今日もまた指導医ガイドラインから紹介する

今日のテーマは臨床における指導方法である
臨床教育にあたる教師(指導医)はいろいろな技法を用いて指導しているはずである
畑尾先生はそれら6つの技法に整理して紹介している
その中で
指導医が用いる技法がどれかに偏ると学習者である研修医への教育的効果も偏るので注意するように紹介している
多様な技法をバランスを考えて用いるように心がけることがコツといえる

1.問題解決者Problem-Solver
研修医に問題解決の過程(観察、問題の感知、仮説設定、検証、評価)を教える
【過度に用いすぎた場合】
研修医は臨床技能(患者との関係を深めたり、知識をより深めるなど)と関連づけずに、診断過程を覚えてしまう。
【全く活用しなかった場合】
研修医は診断過程や論理的枠組みを無視して、臨床をするようになってしまう。

2.模範・お手本を示す RoleModel
研修医に自分の価値観や生活態度を最善のものとして模範を示す。
【過度に用いすぎた場合】
指導医が踊ってしまい、研修医は観客になる。
【全く活用しなかった場合】
研修医が将来つくらなければならない自分自身の生活態度について、関心を育てるためのモデルを与えない。

3.臨床管理者 Clinical-Supervisor
研修医の個性は無視して臨床能力に焦点をあてて研修医の学問的及び感情的なレベルに管理的に・矯正を促すようなフィードバックをかける
【過度に用いすぎた場合】
研修医は否定的なフィードバックを多くかけられ、新しい技術の習得に臆病になり創造性を失い、結果的に自信をなくす。
【全く活用しなかった場合】
研修医は長所と短所を混同し、どこを直せばよいのかわからなくなる。

4.巻き込む Involver
研修医を自分の診療活動に巻き込む。研修医の能力を信頼して、患者もスタッフも研修医の教育に巻き込む。
【過度に用いすぎた場合】
研修医の能力を超える危機にさらす。
【全く活用しなかった場合】
研修医は自分の能力に自信を持てなくなる。

5.促進者 Facilitator
研修医が自分の学習に責任を持つように、自分で自主的に意思決定し目標をつくるように促す。研修医は通常、支持的な態度で接する。
【過度に用いすぎた場合】
研修医は不満を起こす。
【全く活用しなかった場合】
研修医は無視されたと感じ、責任をとらなくなる。

6.資 源 Resource
研修医に細かい内容の知識を授け、学習者の態度・行動についても基準を示す。
【過度に用いすぎた場合】
指導医と研修医のレベルの差を固定し、いつも完成された知識、回答を指導医から入手しようとして、自分で知識や情報を統合したり応用することができなくなる。
【全く活用しなかった場合】
患者の問題を理解しようとしても、知識、情報、データ不足に不満を起こさせる。

よく読み返すとこれらの指導的立場は頷ける
確かに臨床現場で様々な状況で研修医に指導している自分の立場が示されているからである

どれかに偏り過ぎてもいけないというポイントは意識していなければいけないのであろう

臨床研修における学習理論

2011-02-08 21:14:51 | 医学教育
神経学では面白い話がある
有名な上肢Barre(バレー)徴候は本来下肢の検査として報告された
そのときに上肢における似たような検査法としてMingazziniが報告した手法を同じ論文内で解説した
これがいつの間にかそれをバレー徴候と呼ぶようになったのだ
これを知っていた同僚や上司はいなかったが
今やこれは知識として覚えなければいけなくなっている用語のひとつだ


『膿瘍』これを『のうよう』と読めなかった医学生がいた
『手段』これを『てだん』と覚えそのまま会話で使っていた医師もいる
本人の頭の中で『・・・きっとこうだ!』と解釈してインプットされたのだ
それでも多肢選択肢試験では正解できる

ちょっと小難しい理論の話になるが今日は知識と学習という話

医学生にしろ研修医にしろ
それぞれの『知識』は個人の経験・体験やおかれた環境・文化と切り離さないので
医学生も研修医もなんとなく自分で『・・・・きっとこういうものだ!』と理解していると解釈される
学習とは研修医や医学生が主体的に『意味を作り出す過程』であって『単なる知識の転移』ではないとされる

たとえば
解剖学で骨の部位をラテン語に一生懸命に覚える
これもかつてこの骨のこの部位をこう呼ぶと決めたことを
必死に丸暗記していることになる

医学における用語にはこのような絶対的な知識というのもある
この絶対的な知識(これを知識と呼ぶのか自分でも些か疑問です)=専門用語がないと会話が成立しないのだ
つまりコミュニケーション欠如になる
だから覚えるのだ

英単語を覚えるように覚えていかないといけない
その社会で生活して生きていくために
自分で本を読むために覚える

だからこの過程は学習ではないといえる
大事な学習はこの後の過程に発生する
覚えた解剖名を使ってほかの事柄を学び関連づけることがあったとき
はじめて学習したことになるのだと思う


さらに『知識』に客観的なものは存在せず相対的な知識でしかありえないのだそうだ
解剖における名称はそう簡単に変わらないだろうが
いま一生懸命覚えているその治療法や病気の概念も数十年後には変わっているかも知れない
今正しい治療や病気の概念が数十年後は正しいのか?
そういう知識は相対的でしかないと言える

相対的であろうと絶対的な知識であろうと
これを覚えないと国家試験に合格できない
いや
試験問題の意味すらわからないのだ


このように科学的に裏付けられる『知識』の形成にも
個人個人の内面にある体験や経験を通して得られた知識である『暗黙知』や『個人的知識』が大きく影響すると言われる
さらに個人にはそれぞれ枠組みや方法に関わる『方法的知識』があって
これが元になって『理論的な知識』となるのだという

つまり
どんなに知識を伝達しようとしても
実は学習者が本当に同じように理解してるとは限らないのだ
必ず個人個人が異なる受け止め方をしていると思った方がいい
(覚えられないときには病名をイメージ的に覚えるのはボクだけか)

かつての実証主義的な考えにおける知識の伝授はこうだ
研修医も医学生も空っぽな状態であって
そこに講義を通して絶対君主である教授たちが絶対に正しい知識を授けるというものであった
まさに『知識の転移』だ

構成主義的に言えばこうなる
研修医も医学生も学習は主体的な行為としてみなされる
積極的に周囲と関わりを持ち
全ての知覚を総動員して考えて理解しようと『知識』の獲得に努める

このときに周囲環境は大きく影響するはずである
たとえば
講義で訳のわからない授業内容だったとき
これが試験に出るとなると
とたんに医学生は知識の獲得に奔走する
当然周囲の医学生も自分の過去の体験や経験から理解した(取りあえずかも知れない)知識を伝授する
当然この医学生も自分の暗黙知と個人的知識から知識を獲得するのだ
これを○×で簡単に評価されてしまう
A=Bの方程式はこうやって伝授されていくのだ

いずれにしても
このように実は大学生活においても共同体的な学習が常に行われている
社会や企業ではこのような共同体的学習は普通である
だから社会的構成主義と言われるらしい
(これまでの高校までの個人の力だけをとらえていたものは単なる構成主義と呼ばれる)

つまり学習者である医学生や研修医は常に社会的な相互作用の中で
自分の暗黙知や個人的知識を自分の中で活用しながら知識を構成していくのだ
このような考えると
問題解決しなければいけない状況に医学生や研修医が実際におかれたときに
問題解決をどのように行ったのかが重要となる
なぜなら
問題解決するには自己内の反省的(いわゆる省察的)な思考とともに
それが周囲の他者との対話が必要となるはずなのであると解説されている

このような知識の獲得である学習をどのように評価したらよいのか
それがポートフォリオ評価なのだが今日は触れないでおく

さて医学生や研修医の知識の話に戻る
とにかく近年の構成主義的な考えは少しずつわかってきたような気がする
しかしながら
医学教育では絶対に覚えないと始まらないものもあるからちょっとばかりややこしいのだと思う

入学前に実証主義的な学習をしてきた学生が突然構成主義的な学習を強いられても困惑する
世の中が構成主義に傾いているからと指導医も研修医中心に指導してと言われて混乱したのと同じだ

だからまずはそういう考え方を受け入れるところからはじめたらどうだろう

覚えないといけないものを最低限にする
そうしないと頭が満杯になってしまう
逆に最低限覚えていないといけない知識がなければ学習がはじまらない
(共通語がないのだから周囲との会話にならない
でもきっと『・・・・ん?このことかな?』という当たりはつけているはず
そういうときはただひたすら時間が過ぎるのを待つ)
本来はここで自分の頭の中の欠乏を自覚して
自己学習するようになるはずなのであるが
きっとこの欠乏を自覚できないか自覚しても実際に困らなければ動悸づけにならないのである

海外に留学して同じ日本人同士の交流ばかりだと
ちっとも英語が上達しないのをみれば当然だろう

研修医にしろ医学生にしろ
もっと対話をして
自分の困ったことを自分で解決していくべきだ

指導医の役割

2011-01-23 21:09:33 | 医学教育
臨床指導医ガイドラインでは指導医の役割を次のように紹介している
指導医には単に医学知識や臨床手技を教えるだけでなく
その他の様々な役割を果たすことが求められている

ここでは6つの役割に整理して概説されている
指導医には様々な役割があるが
質の高い臨床研修を保証するためには
すべての指導医が自分自身の果たすべき役割について共通の認識を持つ必要がある
そうでなければ指導医によって研修医への対応に大きな差が生じてしまい
結果として研修医は指導医に何を期待してよいかわからず
看護職など他の医療職の人々もどのように医師の研修に協力してよいかわからないであろう
そのように解説されている

医学知識とその検索・活用方法を伝える
膨大な医学知識すべてを、一人の医師が記憶することはもはや不可能である。
とくに近年、毎年数十万篇もの医学論文が発表されていて、なかには、従来定説となっていた知識が覆される事例もある。このような、いわば「生きている」医学知識に常に追いついていくことは、狭い専門分野に限ってさえ容易ではな い。
指導医には膨大な知識を切り売りすることのみが求められているわけではなく、診療上頻繁に必要となる医学知識と救急処置に必須の知識を除けば、むしろ、必要な時に必要な知識を短時間で入手、活用するテクニックを伝えることのほうが重要である。

臨床手技(スキル)
1.医療面接のスキル
2.身体診察のスキル
3.基本的な検査手技
4.基本的な治療手技
5.診療記録の書き方

診療の一般原則を示す
経験則
臨床判断・決断の原理・原則を診療のルールとして、印象深い文章で簡潔に表した教えは数多い。
「診察時に、患者が痛みを訴える部位を必ず触診しなさい」、「薬の変更は1種類ずつ行うこと」など、枚挙に暇がないであろう。このようなルールを、実際に受け持っている患者について、タイミン グよく教える。
臨床判断・決断の根拠
指導医としては、臨床判断・決断を経験則に頼るのみでなく、論理(Reasoning)に則った科学的な アプローチも教える必要があろう。臨床判断・決断の根拠には、次の4つの情報源がある。
1.病態生理学的知識
2.過去の患者群で得られたデータ
3.患者の意向・選好
4.社会的規範(倫理、道徳、法律、経済などの要因)
以上の情報源から得られた根拠(エビデンス)がそのまま臨床上の疑問に答えるもののこともあれば、複数のエビデンスを統合して最終判断を下さなくてはならないこともある。複数のエビデンス を統合する手法としての決断分析(Decision Analysis)や費用効果分析(Cost-effectiveness Analysis)は今後ますます重要になるものと思われる。

研修医の精神心理面へ配慮する
研修はストレスに満ちている。指導医は、研修医の認知面、身体面での負担の大きさ、その結果としての情動面での脆弱性に十分配慮しなくてはならない。当然、研修医一人ひとりの能力を十分見極めた上での配慮ということになる。

1)研修医が学ぶべき医学知識や技量が一時に能力を超えて多くはないか?
1.受け持ち患者数は適切か?
2.今まで受け持ったことのない病気の患者ばかりではないか?
3.新しい手技を必要とする患者が多くはないか?
4.プレゼンテーションやカンファランスでの発表が矢継ぎ早に当っていないか?

2)身体的な負担が、能力を超えて大きくないか?
1.週間ないし1ヵ月あたりの当直回数は多くないか?
2.重症患者や救急患者のケアで、睡眠時間が短すぎないか?

3)情動面での負担は大きくないか?
1.人の生死に立ち会うということ自体のストレスの大きさ、仕事量の多さ、身体的な疲労などが重なった結果としての情動面の問題はないか?
2.特別な場合ではあるが、研修医が医療上の過誤を犯した場合のカウンセリングが適切に行われているか?

研修医を評価する
指導医が研修医を評価する目的にはいくつかある。
第一に、わが国の医療体制のなかで診療を任せられるだけの臨床能力を備えた医師であることを国民に保証するため(総括的評価)である。
第二に、 評価することで研修医の学習意欲を高め、より優れた医師になってもらうため(形成的評価)である。研修医の学習意欲を高め、研修目標を達成するために適切な方向に向かっているのかを知らせる上で形 成的評価は非常に重要である。
誰でも自分自身、どのように他人から評価されているのかは気になるところである。子供に比べて大人は、第三者からの評価にとりわけ敏感であり、学習の達成度に大きな影響を及ぼす(成人学習理論 Adult Learning Theory)。したがって、研修医についても、一般的には、成人学習理論に基づき、指導医は次のような形成的評価の仕方を心がけるべきであろう。
1)研修医の優れた点、良いパフォーマンスを見つけて褒めることを忘れない。
ただし、褒め方も節度のある褒め方であるべきで、歯の浮いたような褒め方、誰についてもいつも同じ褒め方では逆効果とな る。
褒めるときには、衆目の面前で褒めるとよい。
2)良くない点、改善を要する点についても必ず言及する。
これらの点を指摘することこそ形成的評価の 最大の目的である。しかし、あくまでも指導医が自ら観察した研修医の決断や行為について具体的 に指摘するべきで、性格を非難したり、人格を否定したり、一般化するような言葉を投げかけてはならない。
悪い点、改善点の指摘は、個人的に、1対1になって行うべきである。
3)良くない点、改善を要する点について言及するにあたって、どうしてそのようなパフォーマンスになってしまったのか、研修医に説明してもらうこと。
行動の背後にある論理、思考・認知過程を理解するこ とで、どこに誤りがあるのか明確になることが多い。
また、研修医にとっても、問答無用に非難されたとの反発心を抱く可能性が少なくなるはずである。

ロールモデルとなる
指導医が果たすべき最も重要な役割は研修医のロールモデルとなることであろう。
医学知識を伝授するのみでなく、臨床現場での技能や態度を伝えるためには、同時代を生きるモデルとしての振る舞いが必要である。指導医が医師としてヒューマニズムあふれる診療態度や教育態度を示すことにより、研修医はそのような態度を自然に身に付けていくものである。実際、学習者は「するようにと教えられたこと」よりも「実際に行われていること」により強く影響される。
指導医はロールモデルとしての役割を十分に認識し、思慮深く振る舞う必要がある。一人ひとりの研修医の能力やニーズ、パーソナリティーの違いに配慮し、できるだけ教育のための時間(ディスカッションとフィードバッ ク)を取ることが望まれる。教えることによって自分自身も学ぶという指導者の態度は、それ自体、生涯学習の態度として研修医に伝えるべきものである。


ここまで指導医ガイドラインからいろいろ紹介してきた
本学の指導医にもいろいろな方がいると思う
ただここに紹介しているものは全国の医学教育に精通した指導医が示しているものであり
私たちが参考にすべきものと考える

研修医がこうだから指導医もという発想はどうであろうか
少なくとも研修医はまだ医師はこうあるべきであるというものが見えず
だからこそ研修しているのだと言えないであろうか

研修医がポートフォリオを十分に理解せず行動することに対して
我々指導医がなすべきことは
まず実践してみせることだと考える

少なくとも
本学には研修医にきちんとポートフォリオを持ってこさせて
目の前で評価している指導医がいる
一人で夜な夜な1ページずつ印鑑を押し確認している指導医がいる

だからこそ研修医は
そのような指導医がいることをきちんと理解して
自分の作成しているポートフォリオを提出することを自覚してほしい

臨床現場における指導のポイント~指導医ガイドラインより~その2

2011-01-22 23:50:22 | 医学教育
今日もまた指導医ガイドラインから紹介する

今日のテーマは臨床における指導方法である
臨床教育にあたる教師(指導医)はいろいろな技法を用いて指導しているはずである
畑尾先生はそれら6つの技法に整理して紹介している
その中で
指導医が用いる技法がどれかに偏ると学習者である研修医への教育的効果も偏るので注意するように紹介している
多様な技法をバランスを考えて用いるように心がけることがコツといえる

1.問題解決者Problem-Solver
研修医に問題解決の過程(観察、問題の感知、仮説設定、検証、評価)を教える
【過度に用いすぎた場合】
研修医は臨床技能(患者との関係を深めたり、知識をより深めるなど)と関連づけずに、診断過程を覚えてしまう。
【全く活用しなかった場合】
研修医は診断過程や論理的枠組みを無視して、臨床をするようになってしまう。

2.模範・お手本を示す RoleModel
研修医に自分の価値観や生活態度を最善のものとして模範を示す。
【過度に用いすぎた場合】
指導医が踊ってしまい、研修医は観客になる。
【全く活用しなかった場合】
研修医が将来つくらなければならない自分自身の生活態度について、関心を育てるためのモデルを与えない。

3.臨床管理者 Clinical-Supervisor
研修医の個性は無視して臨床能力に焦点をあてて研修医の学問的及び感情的なレベルに管理的に・矯正を促すようなフィードバックをかける
【過度に用いすぎた場合】
研修医は否定的なフィードバックを多くかけられ、新しい技術の習得に臆病になり創造性を失い、結果的に自信をなくす。
【全く活用しなかった場合】
研修医は長所と短所を混同し、どこを直せばよいのかわからなくなる。

4.巻き込む Involver
研修医を自分の診療活動に巻き込む。研修医の能力を信頼して、患者もスタッフも研修医の教育に巻き込む。
【過度に用いすぎた場合】
研修医の能力を超える危機にさらす。
【全く活用しなかった場合】
研修医は自分の能力に自信を持てなくなる。

5.促進者 Facilitator
研修医が自分の学習に責任を持つように、自分で自主的に意思決定し目標をつくるように促す。研修医は通常、支持的な態度で接する。
【過度に用いすぎた場合】
研修医は不満を起こす。
【全く活用しなかった場合】
研修医は無視されたと感じ、責任をとらなくなる。

6.資 源 Resource
研修医に細かい内容の知識を授け、学習者の態度・行動についても基準を示す。
【過度に用いすぎた場合】
指導医と研修医のレベルの差を固定し、いつも完成された知識、回答を指導医から入手しようとして、自分で知識や情報を統合したり応用することができなくなる。
【全く活用しなかった場合】
患者の問題を理解しようとしても、知識、情報、データ不足に不満を起こさせる。

よく読み返すとこれらの指導的立場は頷ける
確かに臨床現場で様々な状況で研修医に指導している自分の立場が示されているからである

どれかに偏り過ぎてもいけないというポイントは意識していなければいけないのであろう

臨床現場における指導のポイント~指導医ガイドラインより~

2011-01-21 23:22:53 | 医学教育
今日も指導医ガイドラインより指導方法の理論について解説する
まずは畑尾先生による学習の目標と方略から

望ましい学習活動の特徴が記載されている
「積極的な(学習への)参加」や「罰せられるよりも報われる(学習)」が望ましいものであり
「具体的な目標を知っている」ことが学習への動機づけになることも大切とある


教育心理学では、望ましい学習について次のような原則的な特徴が挙げられている。
1.積極的参加者であり、消極的な受け手ではない。
2.現在の学習の具体的な目標を知っている。
3.学習目標は何ら努力しなくても到達可能なほど低くもなく、絶対に到達できないほど高くもない。
4.学習したものを新しい問題に巧みに応用できた場合には大いに満足し、また、いろいろな場合に適して
みて、その有用性の限界を知る。
5.いろいろな学習方法や資源を利用でき、また自分のペースで学ぶことのできる方法を選べるチャンスも
与えられる。
6.修得した知識や技能を、長く自分のものとして活用できるよう反復練習する。
7.学習の途次に生じるであろう矛盾や失敗に対処するチャンスが与えられる。
8.学習成果が直ちにフィードバックされ、自己評価能力が高められる。
9.学習目標と評価法との関係を知っている。
10.失敗に対して罰せられるよりも、成功に対して報われる。
(臨床研修指導医講習会資料等より変更)

臨床研修も学習であり基本的な理論は同じといえる


教育目標の分類(教育目標分類:taxonomy)
教育目標を明確にすることは、関係者の教育に関するコミュニケーションや理解を深めるとともに、教 育する上での基準設定や改善活動などにつながる。この教育目標の明確化に有用なのが、教育目標分類(taxonomy)である。これは、学習者(研修医など)が習得する能力を、認知領域(知識)、情意領域 (態度)、精神運動領域(技能)の三つの領域に分類したものである。

これらについてはこのブログでもこれまで何度となく記事にしてきた
理論はこのようなものに基づくのである


教育目標分類の3領域(3 domains)
        浅い        深い
認知領域    想起     解釈        問題解決
情意領域    受け入れ    反応       内面化
精神運動領域  模倣     コントロール   自動化

この分類は、教育とは学習者の行動に望ましい変化をもたらす(何かができるようになる)プロセスである、という考えが基礎になっている
認知領域は、暗記したことを思い出す(想起)レベルから、解釈、問題解決という深いレベルまで、深さによって分類され、どのレベルを目標にするかも意識して目標設定することが望ましい。態度や技能についても、深さの分類が提唱されている。

臨床教育の特徴
この指導医ガイドラインでは
臨床教育の7つのポイント-Stanford Faculty Development Program-
が紹介されている
Stanford 大学の Kelley Skeff らによって提唱されている教育技法であり
以下の 7 項目をポイント としているとある
教育の雰囲気をよくする
教育を適切にコントロールする
目標の明確化する
理解と定着化の促進のための工夫をする
評価の工夫をする
フィードバックの仕方に注意する
自己学習の促進する

伴先生は以下のように紹介している

1.教育の雰囲気をよくする  
勧められる具体的な行動
1)学習者を参加させる
指導医もチームの一員となって、研修医に一定の役割を与える。また、カンファランスなどでは一方的なレクチャーはあまり勧められない。ディスカッションに参加を促す。
2)馬鹿にしたり、皮肉を言ったりしない
(学習者である研修医を)馬鹿にしたり、皮肉を言ったりするような対応は、大人でも、子供でもプラスに働くことは殆どない。改善 すべきことを厳しくフィードバックするのと、このような対応とは全く異なる。
3)指導者も自分の間違いや限界を認める
特に若手の指導者は、自分の知らないことや、間違いを恐れる。しかし指導する意義は、知らないときにはどう調べるか、失敗にどう対処するかなどを見せることの意義のほうがはるかに大きい。

2.教育を適切にコントロールする
勧められる具体的な行動
1)学習者のレベルに応じて指導スタイルを変える
学習者(である研修医)には、いろいろなタイプの人がいるし、また臨床能力のレベルによっても指導法を変えるべきである。不安の強い研修医には、最初はある程度指示的に対応する。
2)ペースを変える単調な進め方でなく、メリハリをつける
特に質問が出たときには “Magnify the question !” いろいろその質問から議論を展開できれば最高である。「その質問はあとにしなさい」などと言ってはいけない。
3)教育の場の現実的な制限を考える
あれもこれも教えようとしてはダメ。教えたいことの3-4割を目安にする。また、立て込んでいる外来では、ゆったりした外来とは教え方もおのずと異なる。

3.目標を明確化する
勧められる具体的な行動
1)目標を明確にし、繰り返し述べる
目標がないところには評価は無い。また、学習者も行き先に戸惑う。
2)目標のもつ意味を、例を挙げて述べる
具体例が最も分かりやすい。
3)学習者の目標を確認する
あてがいぶちの目標は、必ずしも学習者のニーズに合致しない。自分で立てた目標には動機付けも伴 う。

4.理解と定着化の促進のための工夫をする
勧められる具体的な行動
1)内容のサマリーを挿入する
これは、知識の理解と定着化のための工夫の一つである。最初にアウトラインを示し、途中途中で要約し
ていく。
2)態度の定着化のための工夫をする
望ましい態度は褒め、改善すべき態度は、あまり時間をおかずにすぐにフィードバックする。また、その
際無用にプライドを傷つけぬよう配慮する。
3)技能の定着化のための工夫をする
“See one、do one, teach one”とは、昔から米国の臨床教育で言われてきたことであるが、do oneの前に、read oneを私は入れている。すなわち、手技について一度自分で教本に当たって勉強しておくように勧めている

5.評価の工夫をする
勧められる具体的な行動
1)学習者の行為を直接観察する
伝聞で評価をしてはいけない。評価は自分で観察したことに限るべきである。
2)評価の順番に留意する
評価の順序は極めて大切である。「自己→同僚→指導医」の順が望ましい。 まず指導医から評価に入ると、negative feedbackが多くなる。まず研修医に自己評価してもらって、出来ていなくても自分でそのことに気づいている場合にはpositiveに評価する。これは教育の雰囲気にも大きく影響する。同僚評価も大切。
3)学習者の気付きをpositiveに評価する
このことの大切さは前項で述べた。

6.フィードバックの仕方に注意する
勧められる具体的な行動
1)教育の雰囲気を悪くしないフィードバックの仕方に配慮する
(1)まず良い点を褒める(strength first) (2)改善すべき点の指摘後も、励ましの後押しをする
2)できるだけ速やかに行う
定期的なフィードバックはあまり効果がない。褒めるも叱るも早めに!
3)学習者が納得できるような仕方で行う
褒める場合も叱る場合も具体的な学習者の行動を対象とする。また、できるだけ具体的な、建設的なアドバイスをする。例;「10分早く来るようにしたらどうか」

7.自己学習を促進する
勧められる具体的な行動
1)指導医の知らないこと・コンセンサスの得られていないことを課題に出し指導医も調べてくる
ロールモデル(模範・お手本)を示すことは、百聞は一見にしかずである。
2)学習者の興味を伸ばす
よほどその方向性が間違っていない限り、学習者の興味のあることを伸ばすことが、最も効果的かつ効率的な教育効果を生み出すであろう。
3)自己学習用の教材を示す
自己学習をするためのソースを示すかどうかは、時間的余裕などの状況による。

この「臨床教育の7つのポイント」は、伴先生が1995年にこのスタンフォードのプログラムに参加して以来、
実際に自分でも実践し、総説論文にも発表してきた。
日本でも少しずつ広まってきているが、もっともっ と多くの臨床研修指導医に使ってもらいたいスキルだと感じているとコメントしている。
【参考文献】
1. 伴信太郎:指導医の役割とノウハウ.JIM 6(7), 592-596, 1996.
2. 伴信太郎:内科臨床教育の実践技法.最新内科学体系 プログレス1;総合診療、30-37. 中山書店、東京、1998.

つまり
臨床における研修でも医学生の臨床実習でも同じことであろう
いかに指導医が意識しなければいけないかということがわかる

臨床指導医となったからには
常に意識しておかなければいけないことだと考える