ここ最近医学部のカリキュラムを見直すための準備に追われています
いろいろな国々の取り組みを検討して比較するだけではなく
いかに日本の医学教育の現状に見合ったものにするか奮闘しています
欧米ではいかに医学部卒業時点ですでに医者として振る舞うことができるか
そこにポイントが絞られていますが
日本ではどうも卒業後の臨床研修2年間を過ごさなければ現実的には欧米の形に近づかない印象です
ところがこの臨床研修でいかなる研修を過ごすかがいまいち統一されていない
目標はあるけど修得する方法・過程が異なっている
ゴールの評価も施設でばらばら
いいお医者さんに育てたいけど・・・・・・って感じです
さて
以前にも専門職という形で医業をとらえたときの話を書いたことがありますが
そのときには日本の医学部は
『専門家としての仕事の遂行に必要な一般化されかつ体系的な知識を伝授する(理解という名の暗記)』
ことにこだわりすぎているとやや偏ったことを書いた気がします
日本で学んだボクが何を言ってる!って叱られそうですが
学生のころ周囲の友達も
『知識ばかりでなくきちんと患者さんをみれるようになりたい』って強い願望があった気がします
だからボクも含めて多くの医学生は
今度は『技術の伝授』に夢膨らませて研修医時代を耐えてきたわけです
だから今はマッチングで症例数の多い施設の研修に期待するのです
とにかく何が何でもいい医者になる
そのためにこの貴重な2年間に期待するわけです
結果としてどうなったのか?
医学部6年間+臨床研修2年間での結果である専門家の卵たちは
『専門家として優れた医局伝統の技術をちょこっと身につけ一般的な方程式に基づくA=Bであるという知識を習得する』のです
またまた言い過ぎですかな
今はこう思います
いかに卒業までに修得した知識を踏まえて
臨床の中にある複雑な関連性を自分なりにとらえて分析して
その関係を解き明かし自分なりに解釈するか
その課程が重要であるといかに伝えていこうか
ここが問題なんだな~研修医の気持ちもわかるし・・・・焦るな~ってね
偶然にできる指導医に師事することができて
無意識のうちにそのような行為を修得できたとしたら
それはラッキーに過ぎない
まずその無意識のうちの行為すら実感することができない
その有能な指導医ですら気づかない『行為の中の実践』こそがプロのなせる技だということ
これはすでにあらゆる分野で認知されていることです
今試していること
『とにかく毎日診療した患者さんのことを記録しなさい』
そして時間のあるときにそれを読み返してみなさい
気づくことがあれば自分の言葉で追加して書き込みなさい
その中から何かが生まれてくるからっていうことに期待して
ひたすら
『ポートフォリオに残せよ!』って言い続けています
ドナルドショーンも書籍の中でメジャーリーガーの『はまり所を見つける』って表現しています
メジャーリーガーも投球練習や打撃練習でふとした瞬間に『はまり所』を見つけます
その『はまり所』を確かなものにするために考えて分析して自分のスタイルにします
プロのオフシーズンのキャンプ中に取り込む姿を想像しましょう
ボクらも研修医にもその『はまり所』を見つけることが大切だと感じます
だから毎日記録するときっとその『はまり所』が見つかると思うのです
一度『はまり所』を感じたら何か変わるのだと思います
ポートフォリオ
を書き続けた研修医は
きっとはまってきます