ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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“腐女子の系譜”を解説する講演会に潜入!

2012年12月19日 | Weblog

 「腐女子」という言葉をご存じだろうか。これは男性同士の恋愛を扱ったマンガや小説などを好む女性のことで、婦女子になぞらえた言葉である。

 当コーナーの11月11日付で紹介した、ジェンダー、セクシャリティ、家族、現代社会学などを専門とする、武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏による、第2、3回目の、少女マンガを読み解く講座では、自身も腐女子であるという千田氏が、“腐女子の系譜”を熱く語った。

 そのはじまりはまず、70年代の「少年愛」を扱った少女マンガからだったという。少年愛とは、男の子同士の性的関係を伴う恋愛を指す。例えば、『週刊少女コミック』(小学館)で連載した『トーマの心臓』(作: 萩尾望都/1974年)や『風と木の詩』(作: 竹宮恵子/1976-84年)、『LaLa』(白泉社刊)で連載した『摩利と新吾』(作: 木原敏江/1977-84年)や、聖徳太子と蘇我蝦夷の近親相姦や少年愛を描いた『日出処の天子』(作: 山岸凉子/1980-84年)などがある。

 これらのマンガには特徴があるという。千田氏は語る。「主人公の家庭状況はいずれも、母子家庭、不義の子、親に捨てられる、母にうとまれる、妹と近親相姦など、孤独です。これは家族社会学でみると、大きな特徴。主人公は親がいない状況を、恋愛によって埋めている」

 さらにこう語る。「もう一つ重要なのは、結末。少年愛は、絶対に成就しません。もう一つは、女の人が嫌い、という視点です。例えば、こんなセリフがこれでもかというくらい出てきます。『私は女が大嫌いなんだ』『か弱さの仮面を被り、その下で男に媚びを売る女というものが、嫌いなんだ!』といった憎しみをぶつけるシーンや、『女なんで自分の空っぽのものを埋めてくれるものだったら何だっていいんだから』といった、女というのはこんなにつまらないものなんだ、というセリフが非常に多い」

 こうした特徴の背景には、「少女のトラウマ」や「女の子は、女の子だということだけで、傷つけられることがある。そうした傷つけられることがない世界」を描こうという作者の心理があるという。

 「女が嫌い、という差別的なマンガを読むと、そうだな、と思う。自分自身が、自分が女であることが心底好きであるとは、受け入れられないところがあって、やっぱり、この世の中は、女の人に対しては、いじわるなところがあると思う。若い綺麗な女性に対しては、割と好意的であったりするが、でも自分が性的な対象になること自体、値札を貼られているような居心地の悪さがある。じゃあ、おばさんになったらなったで、世の中が冷たい、と感じることも多い」(千田氏)と心情を吐露。

 少年愛は成就しない。そこには次の意味が隠されているという。「重要なのは、生殖につながらない恋愛は成就しないということ。男性同士の関係は、子どももつくれないし。女は嫌いだ、という少年愛のマンガに、読者は自分の内面を投影するが、最終的には異性愛が勝つ。男と女が正しい。女の身体は、生殖もできるし、美しいし、愛される身体で、女には適わない。つまり、男の身体に仮託して物語はつくるが、やっぱり女であるというのは素晴らしい、というロジックがある」(千田氏)

 少年愛のマンガの流れは、84年頃になくなった。

 その後、80年代後半頃から、「やおい」というジャンルが登場した。やおいとは、スポーツマンガの「キャプテン翼」や「スラムダンク」などを二次創作した男性同性愛マンガで、物語性がないので、「やまなし、おちなし、いみなし」を略して、「やおい」と称したというもの。

 90年代以降は、「ボーイズラブ(BL)」というジャンルが席巻して今に至る。ボーイズラブの特徴は、「絶愛」だという。例えば、「俺はホモじゃない。でもお前のことが死ぬほど好きなんだ!」といった性別を超越したかのようなセリフが死ぬほど出てくるという。

 もはや、同性愛は成就しない少年愛マンガからは、一線を画している。では、ボーイズラブが異常なのかといえば、実はそうではない、と千田氏は言う。「同性愛が異常になったのは、ここ100年前ほど前からに過ぎません。『レズビアンの歴史』(著: リリアン・フェダマン/訳: 富岡明美、原美奈子/筑摩書房刊)によると、ちょっと前までは、夫との新婚旅行に女の友達がついていき、3人で行っていた。この本では、こういう事例がふんだんに載っています。当時は女の子同士のロマンティックな友情がすごく称揚されていた。それが時には性的な接触を伴うものとして、決して同性愛は異常ではなかったという歴史がある。日本でも、例えば、織田信長と森蘭丸は同性愛的関係だった」(千田氏)

 このように近代に入るまでは、異性と同姓の区別が厳密ではなかった。つまり、“腐女子現象”は、70年代以降の性の開放に伴う必然的現象なのかもしれない。(佐々木奎一)

 

 2012年11月11日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号

「潜入! ウワサの現場」で記事
 
「“腐女子の系譜”を解説する講演会に潜入!」
 
を企画、取材、執筆しました。
 
 
 
写真は、会場。


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