ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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“旅人”中田ヒデはどこへ行く? 最新講演会に潜入!

2013年10月30日 | Weblog

 平成二十五年十月六日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
 
「潜入! ウワサの現場」で記事
 
「“旅人”中田ヒデはどこへ行く? 最新講演会に潜入!」
 
を企画、取材、執筆しました。
 


 06年のワールドカップドイツ大会でサッカー日本代表を引退直後、世界約100か国を旅し、その後、日本を旅し続ける中田英寿氏――。その中田氏が「つながく日本を旅して」と題して9月30日、講演した。聞き手は、雑誌「AERA」(朝日新聞出版)編集長代理の浜田敬子氏(同誌は09年9月から中田氏の旅のエッセイを連載)。場所は東京都千代田区内の帝国ホテル。主催は朝日新聞社。この中田氏のトークは朝日地球環境フォーラム2013というイベントの一環で行われた。旅人・中田英寿は何を語るのか。現地へ向かった。

 講演は平日午後4時半開始と勤務時間帯にもかかわらず、満員で実に約700人も来ており、中田氏への注目の高さがうかがえた。

 会場では、中田氏のこれまでの旅についての紹介映像のあと、本人がスーツ姿で登場。聞き手の浜田氏と共に、カフェにあるようなイスに座り、対談形式で語った。

 「全国の旅は5年目に入りました(中田氏の日本の旅は、沖縄から始まり、北上して山形まできており、残りは秋田、青森、北海道)。こんなに長く続くとは思っていましたか?」との問いに、中田氏は「1県、3日あれば十分かなと、半年あれば全部行けると思っていました。さすがに5年目に入るとは思っていなかったですね」と答えた。

 その日本の旅のきっかけとなった世界約100か国の旅について、「僕はずっとサッカーしかやってこなかったので、次何をやろうかと考えたときに、まずは、世界中でどんなことが起こっていて、自分に何ができるか理解するために、経験してみよう、と。サッカーで色々な国を周ってきましたけど、どうしてもホテルとスタジアムの往復で、国々の文化を勉強することはなかったので、世界を回りました。素晴らしいリゾート地にも行きましたし、紛争地帯、貧困地帯にも行きました」という。

 旅先での現地の人々との会話について、中田氏は「どこの国に行ってもサッカーが好きな人が多く、サッカーのことを聞かれましたが、その後にどんな質問がくるかというと、僕の趣味や何が好きか、といった質問ではなく、まずは日本のこと、日本の文化などについて聞かれることが非常に多かったですね。それで自分が考えたのは、彼らにとって、僕がどういう仕事をしているのか、そういうことはあまり重要ではなくて、僕が日本人であることが大きい。これは僕が将来どんな仕事をやろうと、どんな人間になろうと変わらない。それは僕が日本人であるから。だったら、日本のことをキチンと勉強して、知ることがおもしろいんじゃないかな、と。それで09年に日本に戻ってきて、旅を始めました」と語った。また、こうも語った。「もう一つ、日本を旅する理由は、よく日本人同士で、どこ出身という会話になりますが、その時、日本全国のことを僕が知っていれば、誰と話をしても、おもしろいんじゃないかなぁ、と思って、それも動機の一つです」

 さらに中田氏はこう語る。「日本のことを勉強する、じゃあ、何から始めようか、と考えたときに、机の上で勉強するのではなく、世界の旅の経験から、その地元に行って、そこで生活する人々と話をして、彼らの生活を体験してみるということが僕にとって重要だった。何をそこで食べて、何をつくるか、そうした日々の生活の積み重ねというのが文化になるんじゃないかな、と思っているので」

 次に、具体的にどういう旅をするか。景勝地や世界遺産といった定番のツアーではなく、ほかの人がなかなかやらない旅をやってみたい。そこで中田氏が考えたのは、「地元の生活を知る上で、まずは、農業。伝統工芸。伝統芸能。そして食べるということと結びつき、飲むということで日本酒。それと神道、仏教。二つ宗教がある国は珍しく、おもしろい。あとは宿。宿は毎日違う宿に泊まることにしました」という。

 こうして中田氏は、実際に現地で稲や小麦、大豆、果物などの農作業や漁業、黒豚や牛、鶏などの畜産業に携わったり、食べ物をつくったり、陶芸や染め物、和紙、箪笥、漆器、ガラス工芸、茶器、塗箸といった伝統工芸や、能楽、京舞などの伝統文化、各地の酒造、神社仏閣、祭りを旅した。これまで出会った工芸家は298人、訪ねた酒造185、訪ねた神社仏閣130など、訪ねた場所は総計1374に上る。

 また、中田氏は全国の生産者と会うなかで、苦労してつくっても価格と釣り合わないこともあるのを知り、「どうやったらみんながハッピーになれるのか、考えさせられることもある。結局はビジネスにつながる形をとらない限り、みんながうまくいくことはできない」と語った。

 今後の抱負については、「おいしいものを食べれば誰もがうれしい、キレイなものを使えばみんなうれしい。そういう、いいものを共有したい。僕は、ものをつくれる人間でもなければ、デザインできる人間でもない。ただ、そういう人たちをつなげて、日本のものを、世界に伝えたり、持っていったりするのが、僕がこの先できる役割なのかな、という感じはしています。僕は人が好きで、しゃべるのも好きだし、人と人をつなげていく作業は、非常に楽しい」と語った。

 中田氏によると、すでに日本酒については「世界で一番の日本酒をつくろう」と今年から売り始めており、今後は日本酒以外にも広げて、世界で一番の日本のものをつくっていきたい、という。

 また、日本全国の旅については「二回目も周りたい。一生日本中を周り続けたい。いまは個人の趣味の活動なので仕事としてやっていきたい」と語っていた。

 なお、会場は端から端まで50メートル近くあり、真ん中付近の席以外は、中田氏の顔を正面から見れない状況だったが、中田氏は、ひんぱんに顔を右に左に向けて、全員に語りかけるようにしていたのが印象的だった。

 また、中田氏は旅について語るとき、ネットでちょっと調べてわかった気になるのではなく、実際に体験していく重要性について、何度か語っていた。

 こんな場面もあった。聞き手の浜田氏が、日本の文化を世界に伝えることを「使命感」にしているように見える、と言うと、中田氏は言下に否定し、自分はおもしろいと思うから、やっていきたいと思っているだけ、使命感ではない、という趣旨のことを言っていた。ほかにも随所に「おもしろい」という言葉が出てきており、肩の力を抜いた“好奇心”を大切にしているように見受けられた。

 中田氏の今後の活動に注目したい。(佐々木奎一)


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