ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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ブルームバーグ、解雇無効判決後も司法無視の実態

2014年04月28日 | Weblog

 平成二十六年一月十二日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
 
「潜入! ウワサの現場」で記事
 
「ブルームバーグ、解雇無効判決後も司法無視の実態」
 
を企画、取材、執筆しました。


 ブラック企業という言葉が定着して久しいが、なかでも強硬なクビ斬りで裁判沙汰になっている外資がある。それは米国の通信社ブルームバーグである。ここで働いていた記者職の男性は不当解雇されたと訴え、昨年、解雇無効の判決を勝ち取った。しかし、その後も、会社に一歩も入れないどころか、判決無効を求めて会社に訴えられる、という異様な事態に陥っている。一連の事件の経緯は次の通り。

 解雇されたのは元大手通信社のY氏(50代前半)。Y氏は05年11月から米通信社ブルームバーグの東京支局の記者職に中途採用で入社した。その後、株式相場の記者職、陸海空の運輸業界の記者業を経て、09年2月から遊軍の記者として、さまざまな業界の記事を書いていた。その頃は仕事になんの支障もなく、順調だったという。

 しかし09年4月、08年に起こったリーマンショックを背景に、会社はノルマ制を導入。Y氏に課せられたノルマは、「独自記事」を年間約20本、「ベスト・オブ・ザ・ウィーク」記事が年間3本だった。

「独自記事」とは、企業や官庁の幹部へのインタビュー、業界の動向などを分析した、独自の視点の手の込んだ記事を指す。「ベスト・オブ・ザ・ウィーク」とは、同社の配信した記事のうち、特によい記事として世界各地の支局から週に数十本リストアップしれたもので、編集局長賞に相当する。

 設定されたノルマは何とかこなせる範囲のものだった。しかし、会社からリストラ候補の標的にされたY氏は同年9月、突然、ノルマを倍増された挙句、「Yさんは独自が少ない。もっと独自を書いてください」と命じられた。

 さらに2週間後Y氏は、会議室に呼び出された。中に入ると、東京支局の最高責任者からナンバースリーまでの上役3名と、直属の上司A、人事課B氏がズラリと並び、1枚の紙が差し出された。それは「PIP(Performance Improvement Plan)」、直訳すると、「成績改善計画」といって、これは表向きは、成績不振の社員に課題を与えて能力を向上させることを目的とした社内文書だった。紙には、こう書いてあった。

 「ミーティングでお伝えしたように、独自記事及びベスト記事(ベスト・オブ・ザ・ウィーク)の出稿が十分でないことを懸念しています。これらを改善するため、以下のアクションプランに取り組んでください。今後このプランに基づき、あなたのパフォーマンスをモニターし、約1か月後にフィードバックを行います」

 さらに、その1か月のノルマとしては「今後は1週間に1本、独自記事を配信してください」 「独自記事のうち1か月に1本は、ベスト・オブ・ザ・ウィークに提出できる程度の記事を求めます」などの内容が記載されていた。独自記事が週1回ということは、4月当初に比べ2.6倍。ベスト・オブ・ザ・ウィークに至っては、4倍に激増している。

 Y氏は必死に書いた。そして約1か月後、再び会議室に呼び出された。この時までに、独自記事のノルマの本数は、一本足りなかった。上司は「もう一回、パフォーマンス・プランをやれ」といい、紙を差し出した。文面の最後には、こう書いてあった。

 「期待されるパフォーマンス・レベルやそのほかの会社規則もしくは手続きに従わない場合、解雇を含むさらなる措置を受ける可能性があることを必ずご理解ください」

 それからY氏は、馬車馬のように記事を書いた。約1か月後、Y氏はこの時点で独自記事のノルマ数をクリアしていた。ただ、ベスト・オブ・ザ・ウィークがなかった。上司たちは、もう一度、プログラムを受けるように言う。そして、前回と同じく「解雇を含むさらなる措置」の文言が記された文書にサインさせられた。

 そもそもベスト・オブ・ザ・ウィークとは、東京支局の幹部がその週のナンバーワン記事を恣意的に選び、ニューヨーク本社に上げて選ばれるシステムなので、幹部たちがこいつの書いた記事は上げたくないと思えば、どんなに良い記事でも採用されない。

 このような恣意的なノルマであるにもかかわらず、1か月後、会議室に呼ばれたY氏は、直属の上司A氏からこう言われた。

 「ベスト・オブ・ザ・ウィークがなかった」

 そして、「我々は、もうあなたをこれ以上、チームにおいておくつもりはありません。ほかのチームへの異動むも考えましたが、おいておける場所はありませんでした。だから、あとのことは、ここにいる人事の人と話して下さい」と言い放ち、幹部4人が整列して会議室から出て行った。その間約3分。

 その後、残った人事B氏が、「もうYさんは仕事ができませんので、この場で玄関に行かれてお帰り下さい。社員証もお返しください」と慇懃無礼に言い、Y氏に自宅待機を命じた。その後Y氏は、10年8月に解雇された。

 これに対してY氏は11年3月、「地位確認」と、解雇された10年9月以降の賃金として「毎月67万5千円の支払い」の2点を求め、ブルームバーグを相手取り、東京地裁に提訴。

 Y氏の訴えに対し、会社側は、能力不足だったから解雇した、と主張した。

 その後結審を経て、12年10月5日に判決。東京地裁民事36部の光岡弘志裁判長は、こう述べた。

 「原告が、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する」

 「被告は、原告に対し、平成22年9月から毎月25日限り、67万5000円を支払うこと」

 Y氏の全面勝訴判決である。判決文を読むと、同裁判長は、Y氏が能力不足だったという会社の主張について、「客観的合理性があるとはいえない」と、実に5度に渡りダメ出ししていた。

 ブルームバーグは即日控訴した。そして10月18日に団体交渉があった。この交渉時に会社側は、記者職以外であればY氏の席がある、という意味のことを言った。Y氏側は、記者職ではないということは、編集デスクにするものと思い、それならば記者職にこだわらない、という返事をした。すると、会社側は、Y氏の配属先として考えているのは、具体的には、本社内でパンなどを社員に配るパントリー業務くらいしかない、と言った。パントリー業務は以前は中年女性がやっており、その後、派遣会社の若い女性が担当している。

 それを知ったY氏は、「記者職以外で復職交渉の余地はない」と返答。

 その後も会社側は記者職以外ならよい、といい、Y氏側は以前と同一賃金、同一職種が前提、と主張し折り合いがつかなかった。

 13年1月8日、会社は「通知書」という文書をY宛てに送ってきた。それは和解案で、内容は、「解雇を撤回し、復職日の前日までの賃金を支払います」とある。そして、「貴殿は、下記の条件で、復職します」とあり、その下にこうある。

 「①職場 (略)貴殿の英語力で従事できる業務としては、倉庫の在庫管理や備品の発注など、いわゆるバックオフィスの業務が考えられます」

 「②年収 400万~500万円」(従前の半額程度)

 この案を拒否すると、2月15日、会社は和解金を提示(金額は原告の意向により伏せる)。Y氏はその和解案を断った。

 3月1日、今度は会社側は、「解雇通知(予備的)」なるものをY氏に送りつけてきた。そこには、「貴殿が記者職以外への復職に応じない以上、会社としては、このことを理由に貴殿を解雇せざるを得ません」と書いてあった。

 そして、4月24日、高裁判決が下り、一審同様、解雇無効が言い渡された。その後、会社は、上告せず、判決は確定した。

 しかし、高裁判決後の最初の団交の席で、会社側は、「記者職に戻すことはない」と発言。Y氏側は、「会社は負けたのだから」「原職(記者職)復帰をさせてから、人事異動の必要があれば、提案すればいい」と述べた。しかし、会社側は、「雇用関係不存在」の訴訟を提起すると宣言。

 こうして解雇無効の判決が出たにもかかわらず、Y氏は職場に戻ることができなかった。

 そして13年7月22日、会社はY氏を相手取り、東京地裁に提訴した。訴えの内容は、一つ目は、さきの地位確認の判決に基づきY氏が復職することは許さない、というもの。二つ目は、会社とY氏の間の雇用契約が存在しないことを確認する、というもの。三つ目は、Y氏は毎月、給料分のお金を会社に支払え、というもの(解雇無効の判決確定により、会社側はY氏に毎月給料を振り込んでいるが、その分そっくり返せ、ということ)。

 その後、係争は続いている。

 最後に、今回の事件についてどう思うか質問したところ、Y氏はこう語った。「基本的には、まず、高裁判決を受けて、上告を断念したにもかかわらず、復職を受け入れないだけでなく、新たにこちらに対して訴訟を提起してくるというのは絶対に許せないです。日本の国が、解雇無効だと判断しているにもかかわらず、国の判断に従おうとしないのは、日本をバカにしているとしか思えないし、日本の労働者を単なる使用人としか考えてない発想だと思います」

 この国の司法判断を無視した無法法人は、果たしてブルームバーグだけなのか。それとも氷山の一角なのか。調査していきたい。(佐々木奎一)


 写真はPIP文書。


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