平成二十五年九月二十七日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「今日のニュースに一言」で
ジャーナリスト・二木啓孝氏の記事
「二木啓孝氏が語る、なぜウケた? 『半沢直樹』『あまちゃん』」
を聞き書きしました。
今年のテレビドラマの話題は何といっても「半沢直樹」と「あまちゃん」に尽きる。「半沢直樹」は、先週日曜日(9月22日)で番組が終了し、「あまちゃん」は明日土曜日(9月28日)で最終回を迎える。2つの番組が終了して、虚脱感に襲われている人も多いはずだ。
「半沢直樹」は、初回から尻上がりに視聴率が伸び、最終回は関東地区で42.2%、関西地区では50.4%を叩き出した。一方、「あまちゃん」は、9月16日の放送で視聴率27.0%(関東地区)。もっとも「あまちゃん」は、朝昼2回、BSで2回、都合4回放送されているから、これの累計でいえば40%はいっているはずだ。
この2つのお化け番組は、原作と脚本の秀逸な出来と、これをベストの配役陣で番組化をしたという勝利の方程式の成果ではある。しかし、番組の出来以上に、なぜこれがウケたのかという“今の世相”の方が、私は重要だと思う。
半沢直樹については、荒唐無稽といえば荒唐無稽。上司を謝罪・土下座をさせて出世をしていくなぞ、そもそもあり得ない。最終回で、宿敵の常務を屈服させて、昇進かと思いきや、頭取は系列の証券会社に左遷した。
現実社会では、その人事は全うである。しかし、この“あり得ないサラリーマン物語”が渇仰されるというのは、それほど今のサラリーマンの社会、いや、この国全体の経済状況の“閉塞感”が出口を求めさせていた、ということになる。
アベノミクスで景気は上向きになりつつあるものの、給料は上がらない。それどころか非正規雇用を逆に増やす方向へ、雇用の流動化が図られつつある。そのような“鬱積”が、願望として「あり得ないサラリーマンの姿」を渇仰させる背景にあることは、間違いない。
一方、「あまちゃん」でいえば、これは観ている人誰もが感じるであろう、ドラマの中に、まるで自分が入り込んだようなハラハラドキドキ感。ちょうど、スナックのカウンターで琥珀土産の勉さんの横に座っているような感覚だ。
けさの毎日新聞で、被災地の宮城県栗原市出身の、脚本の宮藤(くどう)官九郎氏が、終盤、北三陸が震災で津波に襲われる場面をどう描くか悩んだが、「東北の人は見たくないだろうが、なかったことにはできない」として、模型を使って表現した、と述べている。
また、宮藤氏は、震災直後地元に帰ると、友人らから「おがまいねぐ」という言葉を何度も聞いた。これは「大丈夫です」という意味だ。「東京の人間に対する被災地の一番愛ある返事」に聞こえ、随所のこの言葉を盛り込んだという。
つまり、我々は、震災の悲惨さのなかで懸命に立ち上がっていく姿を見たかった。クドカンのセリフのやり取りのおもしろさももちろんだが、観ている方が、北三陸市という被災地の立ち上がる姿に、同じ場所に居るかの如く観てしまう。これも3.11以降の我々の心境を見事に代弁していた。
この2つのドラマの高視聴率は、今の世の中の動きのなかで、私たちがどこに身を置くべきかということを、見事に表現している。
それにしても、NHKの朝の連続ドラマも、TBSの日曜9時のドラマも、次は大変だろうなぁ。
写真は、『半沢直樹』『あまちゃん』(TBS、NHKホームページより)。