ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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置きエサ禁止の理由

2015年04月04日 | Weblog

 野良猫へのエサやりについて、複数の識者は、エサを放置する、いわゆる「置きエサ」については禁止を訴えている。が、その一方で、全国のボランティア団体や無類の猫好きのなかには、置きエサに肯定的な意見も多い。

 たとえば、京都市条例で「置き餌などはせず、猫が食べ終えた後は掃除する」としている点について、全国150以上の猫保護ボランティア団体を束ねる組織の人が、「野良猫等の中には、人に慣れておらず、人がいる前では餌を食べないどころか姿を隠して出てこないものもいるし、餌やりの人が行く時間に必ずしもその場にいるとは限らないという猫もいる。置き餌をすることには、当該地域の猫の命を保障するために、一定の合理性がある。この文言も、猫の習性を知らない者が机上で作った駄文である」と指摘していた。

 要するに、地域猫活動の核であるエサやりについて、全国で統一見解がなく、各地の現場の人が、それぞれの考えに基づき活動しているのが実情である。

 それを知り筆者は、京都市のような街をこれ以上出さないためにも、猫が嫌いな人と、猫の命を守ろうとする人たちのコミュニケーションはもちろん大切だが、猫を保護しようとしている人たちの間でも、もっとコミュニケーションが必要、と考える。

 そこで、「置きエサ」について、元東京都新宿区保健所の職員で現NPO法人アイナス理事の高木優治氏が、3月26日の院内集会で以下のように指摘していたので、ここに記録する。

 高木氏によると、以前、新宿区では、600世帯の人が話し合い、どこで猫にエサをやっているのかを示す、猫マップをつくったところ、エサ場は17か所あった。それぞれの場所で、朝エサをあげている人、夜、深夜、昼にあげている人がいた。1頭の猫が、1か所しかエサを食べていない、というケースはほとんどなく、大体2、3か所でエサを食べていた。

 猫というのは、時間軸で、立体的に、その街の中で存在している。

 置きエサを禁止する理由の一つは、避妊去勢手術をするため、エサでおびきよせてゲージのなかに入れる時、ボランティア団体は、わざとエサの量を減らして、空腹のときを見計らってゲージに入れるようにしている。それが置きエサによって、猫が満腹になると、手術が進まなくなってしまう。まして母猫は用心深いので、捕まえづらくなる。それが一点。

 もう一点は、置きエサをする人のなかには、エサをやって、文句を言われて、内緒コッソリでエサをやるようになり、場所も時間も不規則となって置きエサになりがち。そうすると翌日、エサを置いた場所へ行くと、エサがなくなっているので、猫が食べているんだ、と思うんですけど、それは街の人が片付けているんです。猫が食べているのを特定できていないのに、猫がエサを食べているんだ、と思うのは、錯覚なわけです。

 もう一点は、地域猫活動をキチンとやっている場合は、「エサ場の管理をします」「片づけをします」と地域住民に説明しているので、そのボランティアの人たちが、置きエサをしていると思われる。地域猫活動をちゃんとやっている人たちが、街の人に、ルール違反者として責められてしまう。

 ですから、食べさせたい猫がわからないのに、エサを置いていくことは、無意味である。

 もう一点は、置きエサは、カラスやネズミを呼び寄せることや、放置されたエサそのものが環境を悪くすることになり、地域猫対策を妨害することにつながる。

 このように、置きエサは、地域猫活動をやっている効果を、否定してしまう。

 全国のボランティアさんの中で、置きエサで何とか野良猫が生き長らえることができる、と思っている方がいたら、少なくとも都会では、一頭の猫が、平面に2、3か所で、時間軸に縦にも2、3回、エサを食べる機会があるので、まず、ほとんど飢えることはない、と思って頂いていい。

 エサをあげる人は、あの子は私がエサをあげなければ死んでしまう、という思いに駆られることが多いですけど、その猫はある程度、大きくなってから姿を見せて、その方がエサをあげているわけですから、その猫は大きくなるまで、どこかでエサを食べているわけです。

 だから、心配しないで下さい、と、置きエサをしそうな人、ないしは置きエサをする人には、お話しています。

 置きエサが、地域猫活動をする上で、妨害物になってしまう、どんなに置きエサをする人が、動物が可愛い、と思おうが、置きエサがあることで街が汚れると、協力してくれる人が反対に回って、最終的には、猫が虐げられてしまうのです。


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