昨日、日本維新の会が公約を発表した。各メディアが報じるように、橋下徹氏のもともとの政策が、石原慎太郎氏と手を結ぶことによって、ぐずぐずになってしまった。
例えば、原発は、8月に定めた維新八策では、「先進国をリードする脱原発依存体制の構築」となっていたが、太陽の党と合意した政策には、「脱原発」の言葉がなくなり、昨日の公約で「脱原発」という文言が復活し、「原子力発電は2030年までにフェードアウト」と記された。
憲法改正については、八策では「決定できる統治機構の再構築(首相公選制など)とあったが、その後、記述がなくなり、公約で「自主憲法の制定」を追加した。
TPPについては、八策では、「TPP参加」を表明したが、その後、「交渉には参加するが、国益に沿わなければ反対」に修正している。
政党にとって公約や政策が軸であることは間違いないが、この短期間に変節をすることは珍しい。ところが、石原慎太郎氏は、昨日の会見の冒頭、「こまごました政策話をしても、しょうがねえだろ」「要するに、硬直した中央官僚の支配を壊すということ。後は専門家に聞いてくれ」とぶっきらぼうに言った。普通ならば、とんでもない発言となるところだが、石原氏のこの言い様は一貫しており、都知事時代もこうだった。
民主党が政権を取って以来、マニフェストはぐたぐたになり、一時は15の政党が乱立をした混沌状態のなかで、国民のかなりの部分が、もういい加減にして、強いリーダーが出てまとめてくれればいい、と考えているように見受けられる。これは、大阪で橋下氏が府知事になったときと同じ現象だ。
つまり、政治が混乱してくると、強いリーダーを求めたり、強いリーダーに託せばなんとかなる、というふうに考えてしまう。これは洋の東西を問わず、歴史上何度も繰り返されてきたことだ。
2005年の郵政選挙の小泉純一郎、あるいは、2009年の民主党の政権交代。だが、強いリーダーで世の中がガラっと変わるというのは、少なくとも日本のここ十数年の政治のなかでは実現したためしがない。
どこかに幸せな鳥がいる、と思う“青い鳥症候群”。石原氏の伝法な口ぶりと、リーダーシップを観るにつけ、この言葉を思い出す。
2012年11月30日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
「今日のニュースに一言」でジャーナリスト・二木啓孝氏の記事
「二木啓孝が語る、『政策なんか関係ない』の“慎太郎節”に危惧」
を聞き書きしました。