平成二十七年一月三十日付、auの「朝刊ピックアップ」で記事
「統一地方選で問われる「地方自治」の内実」
を企画、取材、執筆しました。
4月12日と26日に統一地方選挙が行われる。そこでけさの産経新聞は「地方再考――議会を問う」という特集記事を載せている。
同記事には地方議会の「今」について、全国で60歳を超す町村議は実に71.5%、市区議56.3%、都道府県議48.4%と高齢化を指摘。また、立候補者が定数を超えない「無投票当選」は町村議で2ケタ台で、04年には過去最多の34%に。
首長提出の議案が原案通り可決した割合は99%で、可決した議員条例は1議会あたりたったの1.7件でしかないことを紹介している。
ただでさえ、地方自治体の議員は、昨年だけでも、号泣県議や、アニメ映画の出資詐欺で逮捕された和歌山県和下町議、17歳の女子高生にみだらな行為をして逮捕された奈良県葛城市議など、不祥事のメッカだ。
安倍政権は地方創生と銘打ち、全国各地の活性化の音頭を取っているのを見ても明らかなように、この国では、東京の霞が関、永田町で物事が決められ、自治体はそれに付き従うという中央集権の構図が続いている。これは地方自治といえるだろうか?
地方自治については、例えば、19世紀前半、米国草創期の実情をレポートしたフランスの政治思想家アレクシ・シャルル・アンリ・クレレル・ド・トクヴィルの著書「アメリカのデモクラシー」(訳:松本 礼二/岩波書店)に、こう書いてある。
同書はニューイングランドの地域共同体(タウンシップ)を紹介。各タウンは人口2千~3千で、地域集会(タウンミーティング)でタウンのことは決めていく。米国では「政治生活がタウンの中で生まれた。元来、一つ一つのタウンが独立の国であったとさえ、ほとんど言えるかもしれない」という。州との関係については、他のタウンもかかわる事柄は州の管轄となっているが、それ以外は「タウンは独立の団体であり、純地域的利害について州政府の介入の権利を認める者は、ニューイングランドの住民の中に一人もいないと思う」。
そして、「アメリカには地域自治の諸制度が存在するだけでなく、これを支えこれに生命を吹き込む地域自治の精神」があり、「住民がタウンに愛着を感じるのは、それが強力で独立の存在だからである。これに関心をいだくのは、住民がその経営に参加するからである。これを愛するのは、その中で自分の境遇に言うべき不満がないからである。住民はタウンに野心と将来をかけ、自治活動の一つ一つに関わり、手近にあるこの限られた領域で社会を治めようとする」と記している。
この古き時代の米国を、私たち日本人は見習う必要があるのではないか?(佐々木奎一)