ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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バブルの象徴「住専」処理決定と司馬遼太郎の遺言

2011年02月28日 | Weblog

2011年2月25日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号

「朝刊ピックアップ」で記事

「バブルの象徴「住専」処理決定と司馬遼太郎の遺言」

を企画、取材、執筆しました。

 

 キーワードは「土」


  25日付の日本経済新聞朝刊によると、旧住宅金融専門会社(住専)の最終処理策を政府がまとめたという。

 ちなみに、住専処理の法案を国会で審議したのは1996年。この時期、土地公有化を説き続けた、作家で歴史家の司馬遼太郎氏が、遺言ともいえる言葉を残している。

 それは逝去の九日前のこと。司馬氏は雑誌「週刊朝日」に連載していた「街道をゆく」をいったん休載し、その代わりに「土地と日本人」をテーマにした特別対談を載せるための収録を、2月3日におこなっていた。

 このとき、司馬氏は、「今回は『ぜひ住専問題を』」と、自らテーマや相手を提案し、風邪気味だったのに、「熱は下がったから」と二時間半にわたり、最後の対談を行った。気合いが入っていたという。(1996年02月13日付朝日新聞夕刊より)

 この対談で司馬氏は、こう語っている。

「おそらく曽孫の代まで、政府は国民に対し、国債という形で大きな借りを残します。(略)太平洋戦争を起こし、負けて降伏したあの事態よりももっと深刻なのではないか、日本は再び敗戦を迎えたのではないか、そう考えています」。

 また、住専問題やバブル崩壊を招いた大蔵省(現財務省)の官僚や銀行の行員たちのことを、戦前の海軍や陸軍と似ているとも指摘。東京裁判の時のように、バブル崩壊の責任者たちを処罰して事態を収束するよう、提言もしている。

 こういう歴史にも言及している。明治時代、日露戦争でユダヤ系資本から多額の借金をした日本は、「景気が去った後の底冷えの不況」で、「外貨を稼ぐのは生糸ぐらいしかない」なかでも、コツコツと、どんなときも借金を返済し続けたことに触れて、「借りたものは返すという倫理は、庶民にいたるまであった」と言い、「こういうことを積み重ねてきて千数百年の国を築いたんですけれども、一朝にして滅びましたな」と述懐している。

 司馬氏のいう、日本の人々が営々と積み重ねてきた、“律義さ”という美徳は、これからの時代に一層必要ではないだろうか。


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