裏面打法は単板で

10mmの単板に両面ラバーを貼っている男が,卓球についてまとめます。

東欧の揚羽蝶

2020-02-23 17:51:00 | 選手
多忙の合間を縫って,忘れないうちに更新を

今回もまた,選手紹介と言うことでお付き合い願いたいm(_ _)m

今回紹介するのはアンジェリカ・ロゼアヌ

オールドファンなら多分一度は聞いたことのある名前かと思う。

1950年台を中心に女子卓球界を席巻したルーマニアの卓球選手で,安定感に満ち溢れたカットマンだ。


1957年頃の貴重なプレー姿,カットしている人物がロゼアヌ。

プレー領域は今のカットマンほど下がらない状態でありながら,相手の攻撃を確実に受け止め,チャンスボールには迷わず攻撃もしている

彼女は主戦武器のカットを磨くために,基本的にはパワーのある男と練習することで磨きをかけたのだと言う。

その持ち前の安定感と攻守のバランスで,1950年から55年までの6年間の間(この当時は毎年開催だった)に達成したシングルス6連覇と言う偉業をはじめ,多くの大会で優勝並びにメダル獲得を成し得ている。

ちなみにキャリアにおいてはじめての入賞は1937年の世界卓球の混合ダブルス3位と,意外と早い段階だったのだが,彼女の人生は常に故郷の動乱と共にあった。

第2次世界大戦の混乱の中,故郷ルーマニアではクーデターが発生し,ロゼアヌの家族はユダヤ系の血を弾いていると言う理由で全財産を差し押さえられ,競技活動も一旦休止を余儀なくされる。

また,終戦の前年に結婚し,ここで姓がロゼアヌとなり(旧姓はアデルステイン),翌年には娘が生まれている。

終戦を待って競技生活を再開させたのもつかの間,夫が収入の低さを理由に国外逃亡を試みて逮捕されたのをきっかけに,ロゼアヌは当時のルーマニア共産党当局から1949年の世界卓球の参戦をボイコットさせられてしまう。

そこで彼女は職探しを余儀なくされ,国内のあるスポーツ誌の編集局で働き始めるが,当時の職場の同僚の嘆願により,1950年の世界卓球に出場することとなる。

そこからの全盛期はもはや深く掘り下げるまでもないが,1957年に連覇が途切れたあたりから,また彼女の人生で波乱が巻き起こる。

当時のルーマニアの卓球連盟に反ユダヤ主義の上層部たちが就いたのを皮切りに,ユダヤ系の選手たちは国を追われ,夫もイスラエルに引っ越してしまう。

当時の政府関係者やスポーツ関係者に窮状を訴え,混乱の収束に奔走したものの,事態はなかなか変わらなかったという。

結果,1960年にイスラエルへ亡命することとなり,そこで新たに選手として活動を続けることになった。

故郷ルーマニアで市民権をはく奪されるなどして散々に叩かれ,国内ではその存在を語る事さえもタブーとされてもなお,決してめげることなく,彼女は卓球界を支え続けた。

亡命から30年近い月日を経て,ルーマニア革命で一党独裁が終わったのをきっかけに,ロゼアヌは度々里帰りをするようになる。

その後,2006年2月21日に,84歳という長寿を全うするまで,余生を過ごした。

1人のレジェンドについて書くために,つらつらと語ってしまったが,その波乱に満ちた生涯は,今後も語り継がれるべきかと思う

ソースはこちら

では,また


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