さて、中学の部で見つけた「お気に入り」について少し。
春日部市立竹里中学校。
女声に、やられました。もうね、底抜けに明るい。
中学生の声そのまま。
幼いというわけではないのです。
また、あの年代に特有の息漏れやのど声というわけでもありません。
今の中高生は、お手本を目指すあまり今の自分の声を無視した発声で歌うことがとても多いように感じます。
私はこれがあまり好きではない。素材を無視して作られた声は膜を張り、ボロが出ないように必死に聞こえます。
そのままの声を活かし、かつ上手くなることを目指すのが一番。
(もちろん、それ以上の演奏をしてくれるのであれば何も文句は言えません)
武里中の女声は素朴で豊かな声をしていました。
プログラムも中盤が終わり、ちょっとぐったりしていた私を見事に生き返らせてくれました。
手を握り、にやにやしていた姿は非常に滑稽だったでしょう(笑)
既に歌い尽くされた感のある鈴木輝昭の「きみ」と、信長貴富の「一番始めは」。
選曲はある意味正解だったと思います。というのは、男声のピッチがとてもよろしくない。(だから金賞に入るとは全く思わなかったのですが…)
ピッチの良くない男声の後にあの女声の声で入られたら一瞬にして全てを許してしまいますよ。
中高生に限らず、逆に若く明るい声を作ろうとするあまり幼稚で浅い声になる大学生や大人も見受けられます。
その年齢にしか出せない音がありますよね。特に声は、体の成長を無視しては語れません。あと、人生経験もね。
情報を聞きかじった子供にはあの深みは出せまい。
2年前のF3はそのことをよく表していたと思います。
武里中の指揮者、どっかで見たことあるなーと思ったら、数年前の全国で豊春中を振ってた先生じゃないですか。
いやはや、お見事。
春日部市立竹里中学校。
女声に、やられました。もうね、底抜けに明るい。
中学生の声そのまま。
幼いというわけではないのです。
また、あの年代に特有の息漏れやのど声というわけでもありません。
今の中高生は、お手本を目指すあまり今の自分の声を無視した発声で歌うことがとても多いように感じます。
私はこれがあまり好きではない。素材を無視して作られた声は膜を張り、ボロが出ないように必死に聞こえます。
そのままの声を活かし、かつ上手くなることを目指すのが一番。
(もちろん、それ以上の演奏をしてくれるのであれば何も文句は言えません)
武里中の女声は素朴で豊かな声をしていました。
プログラムも中盤が終わり、ちょっとぐったりしていた私を見事に生き返らせてくれました。
手を握り、にやにやしていた姿は非常に滑稽だったでしょう(笑)
既に歌い尽くされた感のある鈴木輝昭の「きみ」と、信長貴富の「一番始めは」。
選曲はある意味正解だったと思います。というのは、男声のピッチがとてもよろしくない。(だから金賞に入るとは全く思わなかったのですが…)
ピッチの良くない男声の後にあの女声の声で入られたら一瞬にして全てを許してしまいますよ。
中高生に限らず、逆に若く明るい声を作ろうとするあまり幼稚で浅い声になる大学生や大人も見受けられます。
その年齢にしか出せない音がありますよね。特に声は、体の成長を無視しては語れません。あと、人生経験もね。
情報を聞きかじった子供にはあの深みは出せまい。
2年前のF3はそのことをよく表していたと思います。
武里中の指揮者、どっかで見たことあるなーと思ったら、数年前の全国で豊春中を振ってた先生じゃないですか。
いやはや、お見事。