都会のたぬき日記・合唱とか料理とか

上京10年目。たまに演奏会を聞きに行ったり、東日本大震災で被災した地域へ歌いにいったり。趣味は料理になりつつある。

合唱界に蔓延る当たり前は、本当に必要?

2012-11-23 17:31:34 | 携帯から
三澤洋史さん
合唱コンクール全国大会(中高の部)を終わって
http://t.co/gt8ehjaYhttp://cafemdr.org/RunRun-Dairy/2012-3/MDR-Diary-20121029.html

審査員として付けた順位に、明確な理由が示されていて分かりやすい。

彼が正しいかどうかは別として、こんな風に問題提起をする人が合唱界には少ないように思う。
いや、毎年同じような疑問の声はあがるけど、真剣に検討されない気がする。

このことに共感を持ち、そうだそうだという声も毎回あがるけど、だからといって、誰かが何かを結果として変えることがない。

合唱界も霞が関と変わらない。
慣習に異を唱える人がいても、周りから制度のありかたに対してバッシングをうけても、どこかで誰かが行動しなきゃ、何も変わらないまま。
田中真紀子が大学不認可を突然決めたように、「今まで」を変えるなら、乱暴な人が必要だと思う。
本当に変えたいなら、それくらい批判される覚悟がないと、綺麗事で終わる。

合唱連盟の中の人。偉い人。
ハーモニーに問題提起の記事を載せるだけじゃ、意味がないって、もう20年も30年も前から、同じことの繰り返しじゃない。

私は、合唱を、もっと大衆に開かれたものにしてほしいと思う。

オケを好きな人は、みんなが楽器を使えるわけじゃない。
ピアノを好きな人は、みんながピアノを弾かなきゃいけないわけじゃない。

合唱だって、聞くだけで楽しいってことが、もっと一般的になっていいと思う。
合唱好きなら歌わなきゃ!って雰囲気は、一般人を遠ざける。
合唱人のための合唱ではなく、合唱を知らない人が楽しめる合唱をもっと広めていきたいなぁと思うのです。
どんなにアマチュアが活動しても、合唱=学校行事が、今の世の中の大半の人の印象じゃないの。

固定観念をぶっ壊さなきゃ。

指揮がないと歌えない。
指導する人がいないと練習にならない。
与えられたステージがあって、そこで歌うのが当然。

そういう植え付けらた当たり前を全部ぶっ壊さなきゃ、多分何も変わらない。

三澤さんが指摘していることは、合唱人の在り方ではなく、合唱界の在り方を変えないとどうしようもない話だと思う。

自分のような下っ端が、ちょっとずつやってても全然ダメだと思い知らされてます、この10年。