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写真付きで日記や趣味を書く日々を過ごしながら・・・

万々歳!ヤったね!

2014年04月21日 | 日記
4月21日
午後1時過ぎ病院到着
ベットにいないのですぐリハビリ室に行く。
患者さんたちの邪魔にならないようにそっと覗くとなんと!爺が立ち上がっていた。

昨日もそんな気配はしたが、点滴の棒に掴まって歩き始めた。ゆっくりゆっくりと左足も前に出ている。やったぜ爺ちゃん!すごいぞ爺ちゃん!と心の中では叫んでいた。

毎日3回のリハビリで苦しかっただろうがよく頑張ったと思う。湿布をベタベタ貼りながら耐えた甲斐があったのだ。

      

                    今日のリハビリ
      
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介護記録

2014年04月20日 | 日記
4月20日
昨日は大部屋から4人部屋に移動する。あの狭い空間には身動きも取れず話もできない感じである。
でもみんなその中でそれぞれジッと我慢して治療を受けているのだ。
部屋割りは以前書いたように自力でトイレに行かれないおむつグループの重症の人が入っている部屋である。

今度の4人部屋は爺を除いた三人は歩いてトイレに行ける人たちでお食事も食堂に各自行くことができる人である。爺はまだ尿瓶仕様だが、看護士さんに頼まずに自分でできるので部屋替えをしてくれた。窓際のベットで外が眺められると喜んでいる。

ベットにいる人にとってはカーテンで仕切られたところより外が見えるというだけで随分気分が違うのである。富士山があの辺に見えるとか、スカイツリーはあちらの方向かとか景色を眺めているだけで色々思い浮かべている。我が家はあの方向かなァ~と言いながら・・・

食事もベットではなく付き添ってもらって食堂で食べられるようになる。
今日は日曜日なので次男家族が見舞いに来てくれた。初めて見るベットの上の爺ちゃんに「ご飯食べている?」とか「じいちゃん歩けないの?」と次々と質問攻めにあっていた。

ずっと見舞いを断っていたが部屋が変わって少し場所にゆとりが出たので連絡したのである。やはり爺は嬉しそうで満足気味の様子、次男を長男と間違えて慌て気味だった。
長男はいま遠方に主張中ですぐには来れないため毎日メールでその日の変化を報告することになっている。

爺のところにも長男からメールがきすぎて返信するのに大変だと言っている。
みんなが心配してくれているのだから何としても歩けるようにならなければと「明日もリハビリ頑張るぞ~」とメールが今届いた。

        
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介護記録

2014年04月18日 | 日記
4月18日
今日も午前・午後・夕方三回のリハビリを受ける。
はじめて麻痺した左の五本指が開いた。昨日までは浮腫んで腫れぼったい手をしていたが、今日は右手と同じすっきりした手になっていた。

私の手を握って「どうだ!握力が少し増えたぞ」と言って喜ぶ。
一日三回のリハビリは疲れるようだ。爺の斜め前の80歳後半ぐらいのお爺さんがボケがあるらしくて大声を出すので夜中に2,3回は起こされるようである。

昼間も大きな声で話しかけてくる。誰も見舞いに来ないから淋しいのだと爺は言っている。
看護士さんの話では入院したとき一回だけ息子夫婦が連れてきたが、それっきり誰も来ないと話していた。
そう言えば他の患者さんたちもあまり見舞い客や付き添いの人が来ていない。

右端の人は昼間から大きなイビキをかいて寝ているので、爺に耳栓を買って置いてきた。その人の奥さんは一度見かけたが80歳代で足が不自由で介護どころではなさそうだ。その奥さんが「私もここまで来るのはつらいのよ」と言っていた。
老老介護が多いのに驚く 我が家もその中の一組だ。

爺「あなたも疲れるだろうから帰ってもいいよ」と言ったかと思うと五分も経たないうちに夕飯まで居てくれるの?と聞く。

入院して三日目にあまりに素食なので、筍の煮物や青菜の酢味噌和えを持っていったのだが爺はそれを開けずに持ち帰ってくれという。病院でカロリー計算をして出してくれているのでそれ以外の食べ物は食べられないというのだ。。。。そう言われればそうだが、オカズが少しすぎて我が家の半分ぐらいなのだ。

それ以来食べ物は3時のおやつの果物とあんころ餅だけにした。煮物が大好きなのに食べたいだろうなぁ~
今日はチョコレートをおいてきた。
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介護日記明日でちょうど一週間

2014年04月17日 | 日記
あっという間に一週間が経ってしまった。
病室では患者さんは携帯は使えないがメールを打つことは許されている。
朝早くからメールで起こされる。

こんな感じで朝が始まる。揃えるのも大変なのだ。毎日リックを背負って運ぶのである。お持ち帰りも多々ある。
今日は午前中市役所に介護保険の申請に行ってきた。初めての経験である。介護のサービスを受けるにはまず申請をしなければならない。自宅に帰ってからでは遅い…提供されるのには1ヶ月半ぐらいかかる。

         

早め申請が必要 例えばデイサービスや介護施設その他福祉用具の貸出・住宅改修などに使うに必要な申請である。我が家はお風呂場の改修と階段の手すりを右にも増やそうと思う。

私は車の運転ができないので不便である。

朝も夜もメール攻めで一日の出来事をせっせとメールを送ってくるが、その返信をしなければならない。
パソコンで打つのなら簡単だが私は携帯で打つのはすごく苦手で何回やり直すかわからない程だ。
こうして打っている間にも呼び出し音がなっている。

こんなに向かい合って長時間話をしたりメールの交換をするなんて思いもよらないことである。
今送信されてきたメールの最後の言葉には驚いた。あの爺が・・・・

このように日毎に回復を感じられるのもすべてあなたのお陰だと心から感謝しています。ありがとう!・・・だってさ!少しは役に立っているようだ。
          
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介護日記六日目

2014年04月16日 | 日記
14日の件は下に書いた内容である。

4月15日
4時から相談室係りIさんと理学療法士Uさんと三人の話し合いとなる。
Uさん「ご心配をかけて申し訳ありません」
私「いいえ Uさんのおっしゃっていることは間違ってはいません。事実のことでしょう。確かに七人の担当  をしていたら7時間が費やされます、手がまわらないのは事実です。」

本心が出たのですよ。でも患者側の家族にしてみれば藁をもすがる気持ちでいるのです。リハビリを受ける側も指導する方も同じように大変なことだと思います・・・ということをいろいろ話し合ってお互いに信頼があって初めて治療は受けられるのだということをわかってもらえた。

最後にUさんは「明日から頑張ってしっかりとリハビリさせていただきます」と言ってくれた。今までと同じく午後1回はUさん担当で午前は男性理学療法士がしてくれることになった。

5時からは担当医師との面談・・・これは経過を伺うので夫も一緒に車椅子で話を聞きに行く。
経過は入院時と変わりなしだが、この一週間は変化が出る時なので気をつけたいということである。血栓の詰まったところの場所が悪かったという。運動神経を左右するところなので言語や顔には麻痺がなかったのである。

今は点滴で血流をよくしながらリハビリで筋肉や関節が固まらないようにという治療方法である。
tPA治療は発症して6時間以内で一回しかできない治療で人によってはその治療のために出血してしまう恐れがある事を医師の説明で知る。

私も夜帰宅してからインターネットで一生懸命調べてみた。tーPA治療という血栓溶解薬のあることを知ったので医師に尋ねたのである。夫は入院前日の夜発症したので入院したときはもう時間切れだったのだろう。


4月16日
午後一時に面会に行く。
スヤスヤと気持ちよく寝ている。昼寝はさせたくないので起こす。
午前中リハビリをしたあとお風呂に入れてもらったので疲れたのだろう。
お風呂のことも前日相談室のIさんに話しておいたのできっと早めに実行してくれたのだろう。
午後は男性の理学療法士の方が診てくれた。私も一緒に見学する。

頑張っている姿を見ながらあの威張りやで怒りんぼ爺が小さく見えるのである。
こんな時でも笑い話がひとつある。
入院して二日目のこと
輪ゴムが3本ほどカバンの中にあったので「輪ゴムはもういらないでしょ?」と爺に言ったら。目を丸くして私の顔を見つめるのである。「エッ!」と言って言葉を失った様子(爺は耳が遠い)
もう一度「輪ゴムいるの?」と聞くと「やぁ~びっくりしたよ。もう私はいらないでしょと聞こえたんだ」
何か思い当たることでもあるのね・・・と言って笑った。

4人部屋と6人部屋が有り爺が入った6人部屋はトイレに自分で行かれない人が入るらしい、みんなおむつをしているが爺は頑として嫌だと断る。。。右半身は動くので自分で尿瓶で取るのでおむつはしないと断った。
しかしなんといっても半身麻痺しているので尿意を感じてもすぐには支度ができないことの方が多いのだ。

なるべく私は長い時間7時まではいるようにするが、いない時はおもらしをしてしまうことがある。
一昨日も夜中に一人で時間をかけて履き替えたようで洗濯物が多かった。

病気なんだから恥ずかしがらないで看護士さんにお願いしないとダメよ・・・というのだがそれができないようだ。爺らしいなぁ~仕方ない せっせと洗濯してあげよう。

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