友人宅の庭に3本の金柑の木がある。見事に鈴なりに実がなっていた。今日は入れ物がなかったのでポケットに入るだけ少し戴いてきた。改めて袋をもって取りに来るようにと約束してきた。楽しみである。今回は少しなのでこのまま食べてみたが美味である、この彩がなんとも美しく輝いている。
金柑の木の下には花が
帰りに通った道は昔よく見た夢の中の景色と全く同じ感じの景色に出合いはっと立ち止まった。
夢の中でこの林の中を彷徨い歩く夢を何回も見た記憶がよみがえる。何を探して歩いたのか歩けど走れど見つからなかった。同じところを歩き回って疲れて諦めて目が覚めるのだった。何かに迷っていたのかな?灯のともった家を探していたような気もする。自分の居場所を探していたのかもしれない。(家出をしていた頃の話)
もう今はそんな夢は見なくなった。この景色の近くに居場所が見つかったのも不思議な縁だと感じる。この土地の友人も数人親しくなり柿やキンカンを戴いたり話し合うことが出来有難い事である。私はやはりツイテいるオナゴだと感謝である。
見守られているんだなとも感じる。
1月31日の朝はこんな感じの雲があった。合掌
書き忘れていたが先日病院の待合室で偶然にも自宅に居たころの親友に出合い同じ医師に診ていただいていたのだった。医師に先生繋がりで会えたことを話すと何と次の予約日を同じ日の同じ時間帯に粋な計らいをしてくださった。先日も久しぶりなので私の部屋まで来てもらいゆっくりと話すことが出来た。Kさんは私の事をとても心配してくれていたが、住んでいる部屋を見て清潔感のある施設でこれだけの部屋に三食付きで居られるなんて幸せなことだよ…と安心したようだった。また2月7日に病院で会おうねと約束して帰る。昔の友人グループにも様子を話して安心させると言う。みんな心配してくれていたようでなぜあの一番元気なナツが施設に入らなければならないのか意味不明だと話し合っていたようだ。439爺との事は多少はみんな知ってはいたが、私まで入居することはないだろうと今でも家に帰って来いと言うのである。でも体が不自由で認知が始まった439を一人にはできないよ。喧嘩をしながらでも性格があわなくとも傍で看ていないと自分が落ち着かないのである。